第一話 不幸のはじまり



春−−−。のどかな昼下がり。

時枝(トキエダ)家のリビングでは、何やら盛り上がりを見せていた。


「いい?負けた人間がスーパーまでダッシュするんだからね?」


突き出した片手をギュッと握り締め、不適な笑みを浮かべる15歳の少女が一人。


「あらあらどうしましょう。ママ走れるかしら」


おっとりとした雰囲気からは、とても3人の子持ちだとは想像しにくい38歳の未亡人が一人。


「マユはね。ジャンケン強いんだよ!だからね。負けないんだからね?!」


小さな体をソファの上でぴょンぴょンさせているまだ5歳の少女が一人。


そして、


「どうでもいいから早くしろ。」


突っ立ったまま眉を顰めている、ちょっと大人びて見える18歳の少年が一人。


今まさに、勝負の時をむかえていた。



「いくわよ!


「「「じゃーんけーん、ぽんっっ!!!」」」



華やぐ女性達の掛け声と共に幕を開けた勝負の行方は、

「ヤタッ!!なーんだ、やっぱりお兄ちゃんじゃない」

「フフ。綺貴(アヤキ)は小さな頃からジャンケンが苦手なのよね」

「ホントだね、アヤちゃん。マユは強いのにね。」

何でだろうね?と無邪気な瞳で覗き込んでくる幼い妹に、長男綺貴はぐっと苦い顔で言葉に詰まった。

しばし無言で、やがて忌々しげに舌を打つ。

「チッ・・・こっちが聞きたいっ」

ジャンケンごときでなぜこうも毎回屈辱を受けなければならないのか。

運次第のジャンケンだからこそ勝てないのかもしれないが、それでは自分がジャンケンにも勝てないほどに運が無いみたいではないか。

どっちにしても、嫌な気分である。


「と、いうわけで!はい、お兄ちゃん!牛乳とフルーチェよろしく!あとあったらバイト情報誌もね」

「そうそう!ママうっかりして卵切らしちゃったから、卵も一緒にお願いできるかしら?」

「アヤちゃん、フルーチェはね。赤くて可愛いイチゴ味がいいな!あとね、イチゴ味のチョコレートが食べたいな。」

「・・・」

というか、俺に運が無いのはこいつらの所為なんじゃないのか・・・。


にっこりと満面の笑顔で自分を送り出す彼女たちに、綺貴は妙に確信めいて思うのだった。





**********





目つきの鋭い・・・いや、はっきりいって悪い男が、小さなスーパーでイチゴのフルーチェとチョコレートをカゴに入れている様は

ある意味見ものだと思う。

しかもなんでフルーチェなんだ。


「・・・・・・チッ」

遠巻きに視線を感じて、綺貴は苛立たしげにフルーチェの箱をカゴに放り込んだ。

「わ、わかなさん・・・の、息子さん・・・よね?こ、こんにちはー」

ふとチラチラと遠巻きに見てくる主婦の一人がそれでも引き攣った笑みを浮かべながら挨拶してくるのは、

母親が近所でピアノ教室を開いているからだろう。

綺貴は眉間に皺を刻みながら、とりあえず無言で小さく頭を下げておいた。



その後、言われていた通りに牛乳と卵を買って、求人情報誌をビニール袋に突っ込んでスーパーを後にする。


その帰り道。

ふいに前方の脇に見える小さな公園の入り口から、何やら悲鳴を上げて子供たちが飛び出してくるのが見えた。

怯えたように駆けていくその様子を訝しげに眺めながら、公園へと入っていく。

そういえば、公園を横切る方が近道だったことを思い出したのだ。


小さな砂場に、ブランコにベンチ。

隅の方は伸びきった雑草が生い茂るその寂れた公園は、休みの日でもごく少数の近所の子供達が遊んでいる程度でとても静かな公園なのだが。

公園の中へと足を進めた綺貴の目に飛び込んできたのは、天気のいい昼下がりには酷く不似合いな光景だった。



「あーくそっ、イテぇなっ!」

「げぇっ!!破けてんじゃねーかよっおい!このズボン高かったんだぜっ!?」

「ズボンだけでよかったじゃねーか。俺なんて10万もした時計にヒビが入っちまったんだぞ!!」

小さな公園を陣取るように3人の男達が地面にドカリと座り込んでいる。

その顔には傷がいくつもあり、ボロボロになっている様を見るとどうやら喧嘩でもしたらしい。

容姿や身なりからすると、成人は超えているようで。しかもどこか一般人らしくない雰囲気つきで。

子供達が怯えるのも無理はないようだった。

だが綺貴は、どうせ喧嘩でもしてやられたのだろうと冷めた目で一瞥しただけで彼らの横を通り過ぎようとする。

「お?」

瞬間、一人が顔を見上げて綺貴の姿を目で追った。

あとの2人もそれにつられるように視線を向けると、彼らは一旦互いに目配りをして、何かを閃いたかのように笑みを浮かべた。


「ちょい、兄ちゃん!」

声を掛けられて綺貴の足が止まった。

無視をするつもりだったのだが、立ち上がった彼らの一人に片腕を掴まれたのだ。

「いいところに来てくれたぜ。」

「ちょっとさ、手当てするもん買ってきてくんねぇか?」

その馴れ馴れしい態度に綺貴は眉を顰める。

「なぜ俺が?」

冷ややかな声に、琥珀色の眼が光をかざした様に鋭利な鋭さで彼らを睨んだ。

男達は一瞬驚き、思わずその目を覗き込む。

「本当に珍しい目だな、兄ちゃん。」

「カラコン・・・じゃなさそうだし、やっぱ身内に外人でもいるのか?」

マジマジと興味深げに見つめていれば、綺貴の機嫌はますます悪くなっていって。

男達は一斉に苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

「あーいや、悪い。悪い。」

状況判断は悪くないらしい。

しかも行動も迅速で、綺貴が鬱陶しげに捕まれたままだった手を振り払おうとすれば、反対側に持っていたビニール袋を素早く奪っていく。

「っ・・・!」

ギンッと顔色を変えて睨みつけてくる視線を無視して、男達は勝手に袋の中を覗き込んだ。

「卵に牛乳・・・お、フルーチェじゃねーか!」

「何だ、見かけによらず可愛い買い物だなあ。」

「っ・・・返せっ!!」

咄嗟にきつい声を上げれば、あっさりと袋を返される。

だが、綺貴は苛立たしげに男達を睨み付けた。

袋の中に入っていた財布を取られてしまったのだ。

「牛乳もあることだし、早く家に帰って冷蔵庫に入れないとな」

「で、傷の手当てできるもん持ってきたら返してやるからさ。」

「消毒液とか包帯くらいならあるだろ?」

口々に指図され、綺貴の拳がギリッと軋む。

大人しくしていればしゃあしゃあと!

「そのぐらい貴様らで買ってくればいいだろうがっ!!」

我慢の限界とばかりに、怒鳴りつけた。

「こんな傷だらけで店にいってみろ。警察に通報されるかもしれないだろ」

「そんなの俺の知ったことかっ!!」

なぜこんなことにっ!!

ギリギリと歯を軋ませながら、綺貴はヤクザらしい男達にも動じることなく、鋭い一喝を放った。





**********





バターンッと派手な音を立てて開かれたドアに長女の雪葉(ユキハ)と母の若菜(ワカナ)、そしてマユが一斉に目を丸くした。

「どしたの、お兄ちゃん」

「おかえり、綺貴。どうしたの?そんな怖い顔をして」

「アヤちゃん、頭痛いの?」

あっちでもこっちでも、まったくっ!

帰ってくればまた畳み掛けるように声が飛び交ってくる状況に、マユが言うとおり本気で頭が痛くなってくる。

目を据わらせたまま雪葉に袋を押し付けた綺貴は、ズンズンとリビングの奥へと進んでいった。

そして救急箱から適当な物を上着のポケットに詰め込んで再び去っていく後姿を、彼女達は不思議そうに首を傾げて見送るだけだった。



結局財布を取り返せなかった綺貴は、イライラしながら公園へと向かっていた。

警察に通報してやろうかとも思ったが、自分も喧嘩で何度か世話になったことがあるため出来なかった。

ましてや相手は傷だらけ。下手したら自分の身の方が危ない。

そこまで計算して綺貴に狙いを付けたのかは知らないが、ああいう風に言葉で囲まれるのが綺貴は苦手だったのだ。

理由はもちろん、家族の所為である。

あからさまに喧嘩腰で殴り合いを仕掛けてくる連中には容赦なく拳で勝負してしまえるが、

口があまり上手くない綺貴は、ジャンケンと同じように口でも彼女達には敵わないのだった。



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