とある日曜日の午前中。


竜は玄関先で空を見上げた。


空は快晴で手に持っている傘に苦笑いが零れる。


降水確率0%の日に持ち歩くには、とても違和感があるけれど。


彼は歩き出した。





青い空色の傘。


本屋の前で偶然出逢い、肩を並べて一緒に入った彼女の傘。


あの日。傘を貸してやるという言葉に、彼はこの青い傘を選んだ。


返さなくてもいいといっていたけれど、やっぱりそうもいかない。


彼女の持っていた物を手元に置いておきたいという気持ちもあるけれど、なんとなくあの時の臆病過ぎる
自分を見ているようで・・・。


だからこの日、返すことを決めた。


自分はまだ臆病だけど。少しずつ。確実に。


前へ踏み出せているから。


・・・ていっても・・・。


本当のところは、ただ口実が欲しいだけだった。


とても逢いたくて。


凄く今・・・逢いたくて。


彼女の家を訪れる理由が、欲しかった。


やっぱりまだまだ臆病。


だけど彼は、そんな自分も素直に受け入れられるようになったから。


軽い足取で。穏やかな涼しげな表情で、彼女の元へと向かっていた。








3月の空。


微かに春の香りがする、穏やかな日のこと。











「縁側でお茶を・・・・・・」











久美子の実家。大江戸一家の敷地へ入る手前で、竜は思わず足を止めた。


でーんっ!!とした玄関を見ると、やはり少し迷う。


僅かに緊張した面持ちで一歩踏み出したその時、玄関がガラリと開いた。


「お〜、あなたは久美子の・・・」


出てきたのは、久美子の祖父であり、大江戸一家3代目の龍一郎だ。


竜が緊張してぎこちないお辞儀をすると、玄関からまた一人出てきた。


「おやっさんっ!すいませんっお待たせしましたっ!!」


なにやら両手に風呂敷包みを持った若松だ。


慌てた様子で玄関を出てきた若松は竜の姿を見つけると、不思議そうに二人の顔を交互に見やる。


なんか妙なタイミングで来てしまったようで、竜は居心地の悪さを感じながらも遠慮がちに口を開いた。


「・・・あの・・・どちらか行かれるんですか・・・?」


「ちょっとばかし野暮用でして。ああ、でも久美子は家に居りますから」


「・・・そうですか・・・」


思わずホッと息をつく姿に、龍一郎の穏やかな笑みが深まる。


「縁側の方に居りますから」


庭の方へ行ってください。という龍一郎の言葉に竜は戸惑いながらも深く頭を下げた後、言われた通り
庭の方へとまわった。





「いいんですか?おやっさん・・・。あんな若いもんと二人っきりにしちゃって・・・」


「・・・この古い家に若いもんだけっていうのも、たまにはいいじゃねーか。」


「そ、そういうことじゃなくてですね・・・・・・・・・」


「まあ、テツには内緒にしとくか」


「・・・そ、それもそうですが・・・もっと・・・こう・・・・・・・」


ちょっといけない妄想に頭を悩ませている若松をそのままに、龍一郎は笑いながら歩き出した。


「おやっさんっ!」


のどかな龍一郎の後を若松は慌てて追いかけていくのだった。











一方・・・。


縁側へと向かった竜は、かなり困っていた。


「・・・・・・・・・・・・・」


(・・・どうすんだよ・・・)


逢えたのはいいけれど・・・。


その人物は、足を縁側に投げ出してオヤスミ中だった。


身体を少し丸めて寝ている姿に、どうしたものかと迷う。


シーンと静まり返った屋敷内には久美子以外誰もいないようで、竜は少し戸惑いながらも縁側に傘を置いて
久美子の足の横に腰掛けた。


1秒・・・2秒・・・。


気になって・・・というか、眺めたくて。竜は腰を捻って眠る顔を見つめた。


(・・・よく眠ってんな・・・)


スヤスヤと。視線にも気配にも気づかない。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


眼鏡のない。綺麗で優しい顔立ちに鼓動が高鳴る。


瞳を見つめられないのは残念だけど。


こんな風に穏やかな寝顔を見るのは初めてで、とても嬉しい。


縁側に深く腰掛けて、そうっと手を伸ばそうとしたその時。


うっすらと久美子の目が開いた。


「・・・起きたか?」


ぼんやりとしながらもじっと見上げてくる視線に、伸ばしかけた手を引っ込めようとする。


けれど久美子の手がそれを止めた。



竜の指先をキュッと掴んで、にこりと一笑い。



そしてまた夢の中へ。



力の抜けた手はストンッと床に落ちた。


でも、久美子の手は指先を掴んだまま。





一瞬の出来事。


一段と辺りが静かになった気がする。


(可愛い・・・)


体温が上昇した。胸を中心に熱い。熱い・・・。


「・・・・・・可愛い」


胸の中だけでは済まなくて、ボソッと呟く。


呟いてしまったら、もう止められない。


二人きりの状況。スヤスヤと無防備に眠る綺麗で可愛い好きな人。


可愛すぎる、愛しすぎる行動。


彼女が俺を認識していたのか、していなかったのか。


他の誰かへの微笑だったのか。


そんなこと、はっきりいってどうでもいい。


こんなに可愛いのだから。可愛すぎるのだから。


触れて。引き寄せて。キスして。抱きしめて。


今はそれ以外のことなんて、考えてる余裕はない。


つーか。考えるなんて、時間の無駄。勿体無い。


「可愛すぎるお前が悪い。」


スパッと言い切って。


竜は指先を掴む久美子の手を離して、そのままその手をグイッと引っ張った。


ズル・・・と久美子の身体をそばに引き寄せて、背中に手を回したまま仰向けにたおして覆い被さる。


「・・・・・・・・ん・・・ぅ・・・・・・」


微かに眉間に力を入れて、久美子が身じろいだ。


起きるか、起きないか。


とりあえず。キスするまでは起きるなよ。


頬にかかる髪を指で退かして。背中にまわした腕にぐっと力を込めて・・・。



と、その瞬間。



「−−−−!?」


バチッと久美子の目が開いた。


普段恐ろしいくらい鈍いというのに。


身の危険を感じたのか、さっきまで熟睡していたとは思えないほどにカッと目を見開いて、


自分の上にいる竜をしばし凝視。


ここで舌打ちしたら終わりだ。


竜はなんでもないように爽やかに言った。


「おはよう。」


気持ちのいい朝。爽やかな挨拶はいいもんだ。


と、思うけれど。





ここはどこ?今は何時?この人、ここの家の人?てゆうか、近すぎない?なんか背中にまわってない?





(私って、今・・・・・・)





状況を理解した久美子の顔はみるみるうちに、かあぁぁぁ〜〜っと真っ赤に染まり。そして・・・。





「−−−−−なんにがおはようだぁーーっ!!!こんのっ変態バカヤローーーッ!!!!」





・・・爆発した。




















「・・・・・・・・・・・・・・・はぁ・・・」


(タイミング悪すぎ・・・。キスできなかったし・・・)


爆発した久美子の怒りのパンチをなんとか素早く退くことで回避できたのはいいけれど。


今の状況は、いただけない。





「・・・いつまで怒ってんだよ・・・」


声をかけようもんなら。というか、少しでも動こうもんなら。


ギッと睨みつけて、身体全体にググッと力を込める。


大きな座布団二枚がギュムッと形を変えた。





縁側にいたはずの久美子は部屋の隅まで逃げると、近くにあった座布団を引っ掴んで抱きしめた。


そして竜は無遠慮にズカズカと部屋に入るわけにもいかず、縁側に座ったまま。


二人の距離は、近いようで結構遠い。


竜は何度目かの溜息をついた。


肩を落とす度に、久美子はもう許してやろうか・・・とか、大人気なかったかも・・・。とか、


色々自分なりに罪悪感を感じているのだが、竜は違った。



なんであそこで目を覚ますんだよ・・・。キスしとけば絶対逃がさなかったのに。


はっきりいって、罪悪感なんて欠片もない。



遠すぎ。触れたい。



つーか、可愛すぎ。



座布団抱きしめてる姿により一層・・・ってな感じだ。


もうここはズカズカと上がってしまおうか。


でも後々、出入り禁止などと言われてしまったら色々問題だ・・・。


そんなことで悩み、気を落としているなど久美子は思いもしない。


座布団を抱きしめながら、チクチクと罪悪感が胸を刺す。


けっして久美子が悪い所は一つもないのだけれど・・・。


久美子は少し冷静になってくると、む〜・・・っと口を噤んで考えた。


そもそもなんでこいつがここにいるんだ?


今日はお祖父ちゃん達が・・・。


と、ふいに思い出した。


(・・・あれ?)


キョロキョロと辺りを見渡す。


「おじいちゃんは?・・・もう、出かけちゃったのか?」


「俺が来たときに丁度出かけてったぞ・・・」


竜の言葉に、久美子は座布団を抱きしめる手を緩めた。


「なんだ・・・。起こしてくれれば見送ったのに・・・」


ちょっとションボリと肩を落とした久美子に、竜は不思議そうに眉を寄せる。


「どっか遠くにいったのか?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


竜の言葉に小さく頷いて溜息をついた。


いつもは賑やかな家が、今はとても静か。


夜には帰ってくるけど。


それまでこの大きな家で一人っきりだ・・・。


学校もないし。どこかへ出かける気にもなれない。


やっぱりちょっと寂しい・・・。


久美子は、竜のいる縁側へと視線を向けた。



暖かい空間。誰かいる空間。・・・竜のいる空間。



久美子は座布団を一枚だけ抱きかかえて、縁側まで戻ってきた。


竜の隣に座布団を敷いて、その上に座り込んだ。


「お前は変なことしようとしたから、座布団はなしだ。」


むすっとしながらも大人しく隣に座る久美子に、竜は抱きしめたかったのだが、いつもと様子の違う
久美子に吹っ飛んでいた理性が戻ってきたらしい。


小さく苦笑いを浮かべて、久美子の髪を撫でるだけにした。


優しい手のぬくもりに、眉間に皺を寄せていた久美子も思わず安心したように力を抜く。


やわらかな風が吹いて、久美子は不思議そうに首を傾げて竜を見やった。


「・・・そういえばどうしたんだ?今日は・・・」


「傘。借りたまんまってのもやっぱ悪いし・・・」


「なんだ。べつによかったのに・・・」


そんな風にいいながらも、久美子はどこか嬉しそうに微笑んだ。


一人きりで過ごさなきゃいけなかった寂しい日曜日。


目を覚ました時いきなり目の前にいたのは驚いたし、ちょっとまだ怒ってるけど。


今、隣にいてくれて嬉しい。


会いにきてくれて、嬉しかった・・・。














しばらくの後。


テツが作っておいてくれたおにぎりを二人で食べ終えると、久美子が嬉しそうに和菓子を持ってきた。


ピンク色の可愛い桜饅頭と、下の段が餡子で上が桜色ゼリーの長方形の綺麗な和菓子。


いちいち面倒くさいといって、急須とポットまで近くに用意された二人のお茶タイムは、


はたから見ると若いもん同士とはいいがたい・・・。


(老後の爺さんと婆さんか、俺らは・・・)


竜はお茶をすすりながら微かに口元を引きつらせながらも、


隣でニコニコと嬉しそうに桜饅頭を食べる久美子の可愛い姿に、まあいいか・・・と思った。


「そのゼリーの方は、どんな感じなんだ?美味しいか?」


興味津々な表情に竜は苦笑いを浮かべると、一口分を楊枝で切る。


「結構うまいんじゃないか?・・・ほら」


切ったそれを楊枝に刺して、久美子の方へと向ける。


久美子がパクリと食べた。


「んーっ!うまいっ!」


ニッコリと幸せそうな笑顔に、竜も幸せそうに微笑んだ。






三月の空。


縁側には・・・一足早い、春の香り。



二人きりの、穏やかな日のこと・・・。







あとがき


それにしてもうちの黒銀リーダー二人は、久美子に対して容赦ないですね。

慎の方が性格いいかもしれません・・・。

竜は基本的には優しいんですけどね・・・。ちょっと危険な面がありそうです。

隼人は年がら年中危険人物ですので。たま〜に、優しくて甘いこともありますが・・・。