「なんか変やったね、中田三郎」


「変なのはいつもやけどな」


ヒラヒラと手を振る三郎に見送られながら、浩之と悦子は歩き出した。


背後でニヤニヤしている三郎を気にしながら。二人はしきりに首を傾げる。


やはりからかいの意味は何一つわかっていないようだ。





それでも、歩き始めて数分。


「学校の方は楽しい?」


「まあな・・・。」


ぽつりぽつりと何気ない会話が続いては途切れた。


少しの距離と、すれ違う視線を繰り返しながら。


どこかぎこちなくて、どかしい時。


互いに感じる気恥ずかしい気持ちを誤魔化しながら、アパートまでの道を歩いた。


といっても。三郎の思うところとは、少しばかり離れているのだけれど。


純情な少年と純粋な少女。


二人きりの時間が、なんだか少し恥ずかしい。














歩いて20分。着いたのは、紺色屋根のアパート。


2階の一番隅の部屋が、悦子の部屋である。


1DKの広いとはいえない部屋だけど。悦子はこの部屋がとても気に入っていた。


「ジュース飲む?」


「・・・おお・・・」


部屋に入って、浩之が物珍しそうに部屋をざっと見渡す。


ベッドと小さなテーブルに、転がるクッション。


壁には写真がいくつも飾られた、大きなコルクボード。


その写真の中に「あるもの」を見つけて、浩之は目を見開いた。


両手にオレンジジュースの入ったコップを持ちながら浩之のそばまできた悦子は、彼がじっとあるものを
凝視しているのに気がつき、少し恥ずかしそうに目を泳がせる。


「・・・綺麗な写真やから、飾ってるんよ・・・」


少しだけ、言い訳のようにポツリと呟いた言葉に、浩之は視線を動かした。


恥ずかしそうにしている悦子を見つけて、今度はそこから逸らせなくなる。


暖かいものが胸に込み上げてきて。浩之はそっと嬉しそうに目を細めた。


ほんの少しの。小さな、微かな、嬉しさと優しさの微笑を浮かべて・・・。





飾られていたのは、悦子へと宛てた浩之の絵葉書。


懐かしい海岸。どこかの街並み。綺麗な景色。幸せな人々。


そして一緒に飾られているのは、悦子が浩之に送った写真。


コルクボードの上で一緒に並ぶ。想いを込めた、写真たち。





知らなかったこの部屋に、空間に、自分の存在は確かにある。


そう思うと、突き刺していた胸の痛みも和らいでいくような気がした。














「それにしても・・・意外と片付いとるな?」


「意外ってなによ」


小さなテーブルのそばに座って、悦子が出してくれたオレンジジュースを口にしながら浩之は改めて部屋を見渡した。


関心深げ・・・というか、不思議そうに言った言葉が気に入らなかったのか、悦子はムッと口元に力を込めている。


「中学の頃は結構散らかしとったろ?」


そう問いかけながら。ふと、思い出す。


そういえば、高校の頃に悦子の部屋に上がった記憶がない。


あの出発前の日は、夜遅かったし・・・海を見ながら、話をしたかったから・・・上がらなかったんだと思う。


思う・・・というか、たぶん、そんな理由。


でもそれなら、他の日はなんだったんだろうか?


「・・・・・・・・・・・・・・」


「ブー?」


突然、眉を寄せて考え込んでしまった浩之に悦子は首を傾げた。


けれど浩之は悦子の呼び声にも気付かない。


(・・・なんでじゃ・・・?)


部活でいつも顔をつき合せてたから、部屋に上がる理由がなかった、とか・・・?


それなら中学の頃だって、別に上がる理由もなかった。


部屋に上がってたのは・・・おばさんに薦められてたからだ。


でも上がったとしても、結局いっつも二人して外に出てたけど。


それは、部屋にいてもつまらなかったからだ。二人とも。


上がるのが面倒くさかったのか?


「・・・なんか違う、気ーする・・・」


「は?・・・なに?」


「・・・なんやったっけ・・・?」


「だから、なにが?」


「あー・・・・・・」


「ちょっとブー?あんた何ゆうとんの?」


「わけわからんっ!」


「なっ、なんよっいったいっ!こっちこそわけわからんっ!!」


と、怒鳴りあいに発展しても、未だ浩之は考えに没頭したまま。


悦子はすっかり除け者にされてるような気がして、悔しいやら寂しいやら、ごちゃごちゃして。


とりあえずムカツクから・・・と、何やら浩之に向かって手を伸ばし始めていた。


それと同時に、ふっと浩之は思い出していた。





『浩君、お菓子もあるから上がってらっしゃい。』


おばさんの声が響く。


ボートを初めて、半年位たった頃・・・。


ふいに・・・想った感情を思い出した。





聞きなれていた言葉が。当たり前のようにしていた行動が。


ある日突然、固まって、出来なくなったことがあった。





おばさんの言葉を聞いた瞬間。ギクリと、心臓が締め付けられる気がした。


『あれ?ブー。どうしたん?』


ヒョコッと顔を出した悦子の姿を見た瞬間。なぜか、恥ずかしくてたまらなかった。


急激に赤くなっていく顔を隠すのに必死で。


突然襲ってきた感情に訳がわからなくて。


どこか後ろめたいような・・・そんな気持ちがして、慌てて帰ったのを思い出した。


たぶん・・・それから、だった。


クリーニングの使い以外で、悦子の家に行くことがなくなったのは。


無意識だったと思う。忘れていたくらいだ。


思い出しても、何故、あの時恥ずかしかったのか。後ろめたかったのかは、よくわからない。


だけど・・・ギクリと心臓を締め付けられる感覚や、隠したい、見られたくない・・・そんな想いは、


あの時と同じように急激に顔を赤く染めていった。


かあぁぁっと自分でも抑えられない熱が全身に広がって、誤魔化すように、その熱を隠すように、


ハッと我に返ったのはよかったのだが・・・。





「―――なっ、っ!?」


我に返ったその時、悦子の姿がいつのまにか近くに。


そしてその手が自分の顔らへんに伸ばされているのに気がついた浩之は、思わず腰を退いた。


ザッと逃げるように距離を取った浩之に、悦子は一瞬ギュッと胸が痛くなって。


伸ばそうとしたまま。宙に浮いたままの自分の手が、冷たくて寂しく想った。


「・・・な、なんじゃ・・・」


突然のこととはいえ、思わず逃げるような態度をとってしまった自分の情けなさと相変わらず顔を赤くする熱に
頭を振って、浩之は気を取り直すように座り直して問いかけた。


「・・・なに・・・て・・・」


悦子もまた、胸の痛みや寂しさを誤魔化す様に気を取り直そうとする。


けれど、伸ばされたままの手は宙に浮いたままで・・・。


「・・・え、え〜と・・・」


(ま、まさか、髪の毛引っ張ろうとしてた、なんて言えへん・・・)


気まずそうに視線をあらぬ方向へと向ける悦子に、浩之は怪訝そうに眉を寄せる。


悦子の背中に冷や汗が流れる。


「・・・う〜と・・・か、髪っ・・・髪、少しきったんやな〜思うてっ」


愛媛にいた頃より少しだけ短くなっているのは、再会した時から気がついていた。


咄嗟に取り繕ったのはバレバレだろうけど、浩之は痛いところをついてはこない。


ただ、なぜかじっと悦子を見つめたまま。


「・・・な、なに・・・?」


悦子は浩之にこんな風にじっと見られるのが、苦手だった。


なんか恥ずかしくて、息が胸が・・・苦しい。


息の仕方も忘れてしまうくらい、ドギマギしているのを知ってか知らずか。


浩之はじっと見つめたまま、何を思ったのかスッと手を伸ばしてきた。


「えっ・・・えっ?」


ドキッとして。思わず身を退きそうになるのよりさきに、浩之の手が悦子の肩に少し掛かる髪をチョイと掴んだ。


「・・・悦子は、少し伸びたな」


「−−−っ!?」


髪に触れられて。見つめられて。


名前を呼ぶのは・・・


「・・・反則やっ・・・アホブーっ・・・」


ドキドキしないなんて、無理やっ。


真っ赤になった顔を隠す術もなくて。


でも、ただ固まって俯いてるだけなんて、ちょっと悔しいから。


「髪短いと子供っぽく見えるで、ブー」


嫌味っぽく呟いて、悦子は浩之の髪の先を少しだけ引っ張ってやった。


「・・・ブーゆうな、いうとるやろ」


気に入らない、というように浩之が不機嫌そうに眉を寄せる。


「ブーは・・・」


ドキドキは消えないけれど。


いつもの言い合いや。


ほんの少しだけでも触れていられる、そんな感覚が。


寂しさを消してくれるような気がして・・・。


「ブーやもん」


悦子は、嬉しそうに笑った。





「・・・なんじゃそれ・・・」


なんでそれをいいながら嬉しそうに笑うんだ。


少しだけ・・・ムカツクけれど。


触れられることも。触れていられることも。


悦子が、近くで笑ってくれることも。


それ以上に、嬉しく思ってしまう・・・。


「髪は伸びてもまんまやな、ヤバねぇは」


悦子に真似るように嫌味っぽく呟いて、笑ってやった。























それから一週間後。


先週と同じ喫茶店の同じ席の窓際で、三郎がニヤニヤとしながら目の前の浩之に詰め寄っていた。


「・・・で?せっきー?」


「・・・・・・なんじゃ、気色悪い笑いしよって」


「また〜そんな冷たいこというなや〜。男同士、隠し事はなしやで」


「・・・・・・・・・は?」


わけわからん・・・。


怪訝そうに。


本当に意図することがわかっていないのか、ボケッとする浩之に妙なテンションでニヤニヤしていた三郎は、


(・・・おかしいで・・・?)


もっと気難しそうに。不貞腐れても、それとなく話せば純情少年なこいつのこと。


いつものように面白い反応が返ってくると期待していたのに。


(・・・まさか・・・?)


そして三郎は遅ばせながら、ふとあることに思い当たった。


「ええっとな?せっきー?」


「なんじゃ?」


「篠村の家、いったんやろ?」


「おお。意外と綺麗でびっくりした」


「そ、そか・・・。で、夜、とか・・・な?」


「夜?なんかあったんか?花火?」


「・・・・・・・・・・・」


純粋に、ボケッと首を傾げた浩之に三郎は思わず言葉を失ってしまった。


(せっきー・・・)


あまりの純情さに三郎が呆然と固まっていると。


「なに?なんかあったん?バーベキュー?」


これまたボケボケな声が・・・。


「なんで教えてくれんのっ中田三郎ー!」


「デカイ声だすな。ほれ、座れ」


むっと口を尖がらせ、文句を言ってくる悦子とその隣で悦子のために椅子を引いている浩之を見つめて。


「−−−っ・・・クッ・・・!!」


三郎は、急激に込み上げてくる笑いが堪えきれず吹き出していた。


「なに?お腹痛いん?」


「変なもんでも食ったんやろ」


突然、腹を抱えるようにテーブルに顔をつけて、肩を震わせ始めた三郎に二人はキョトンと首を傾げた。


(おっ面白すぎや、この二人っ!!純情すぎやないかっ?!)


バシバシとテーブルを叩きたいほどに自分たちが笑われていることも知らずに・・・。














純情過ぎる二人。


浩之が微かに感じ、思い出したはずの感情が再び心に現れるのは。


きっともう少し・・・先の、こと・・・?














あとがき


お待たせしましたー。

可愛い二人を目指してみたのですが・・・三郎がちょっと最後の方、変かな?

髪の毛をチョイっと掴み合う二人が書きたいな〜と思ったのが始まりだったので、お気に入りはそこらへんです。

最後の三郎&浩之も好きですけど。(笑)

それと、「・・・反則やっ・・・アホブーっ・・・」かな。

好きと言わなくても。まだよくわからなくても。

結局、大好き。

そんな気持ちが伝わればな、と思います。