ツカマエテしまおうか・・・。





見向きもしない、その全てを。











「・・・アホな奴」


教室のドアに寄り掛かりながら、浩之は一人呟いた。

無理やりに溜息を吐きながら。

そうしなければ、おかしくなりそうだから。呆れてるんだと自分自身に想わせないと、保てなくなりそうで。

暴れ出しそうな感情を誤魔化して。浩之は顔を上げ、廊下にいる存在に目を向けた。







視線の先。悦子の姿がある。

どこかぼんやりと。いつも大きく見開いている瞳を切なげに細めて。悦子は、窓の外を見下ろしていた。

窓の外になにがあるかなんて、嫌でもわかってしまう。

微かに聞こえる女子たちの弾んだ声。黄色い声音。

入学当初は近寄りがたかったその存在も、今はすっかり、紛れもなく彼は人気者だった。

ボート部に入ってから彼が少し変わったからか。昼休みや休み時間には、我先にと女子たちが彼のそばへと集まってくる。

今度家庭科でクッキー作りがあるらしく、積極的な女子たちは食べてほしいだの受け取ってほしいだの、朝から言っていた。

そして昼休みの今も、彼は女子に囲まれ校庭を歩いている。

彼が女といるのがどうとか・・・では、ない。

悦子は知っているから。彼の中に、大切な人がいることを・・・。

知っていながら。わかっていながら。

それでもその姿を切なげに見つめ続ける悦子が、浩之は嫌でたまらない。

普段はなにも変わらずに明るく過ごしている悦子が、時折ふっと彼を見つめることが、心を苛立たせた。



強がって。無理をして。どんなに苦しくても、悦子は彼の笑顔を選んだのだ。







修学旅行から帰った後。こんな風に切なげに中田を見ていた悦子に浩之は冗談めいて聞いたことがある。


「あんな訳わからん奴のどこがいいん?・・・全然わからん」


気まずさを紛らわすように言った言葉だった。

悦子はそんな質問をした浩之を少し驚いたように見た後、俯いてポツリと呟いた。


「・・・・・・笑顔・・・やったんやと、思う・・・」


綺麗で、優しく、微笑んでくれる。

彼が微笑んでくれると、ホッとした。心が暖かくなった。

だから・・・切なくても。苦しくても。彼には、笑ってほしかった。

彼の笑顔が嬉しくて。でも・・・切なかった日。





浩之は、思い出して思う。

あの日。小さく膝を抱えて泣いてる悦子を、浩之は励ましたかったのだと。

らしくない、と。元気付けて、いつものように戻ってほしいと、あの日からずっと思っていた。

けれど悦子は、一週間、二週間・・・数ヶ月経った今も、彼を切なげに見続けている。

そのことに・・・浩之が苛立ちを感じたのはいつだろうか。自覚したのは・・・いつだっただろうか。

気がつけば、心は悦子を見る度にイライラしていった。







気にしなければいいのに。目で追ってしまうのは、きっとそれが当たり前だから。

身近にいる存在が。いつも一緒にいた存在が。悲しんでるのを見ているのは、辛いものだから。

どんなにアホでも。ヤバネエでも。いつものように、戻ってほしいと思っていた。

けれど心は、いつのまにか違うことを想っている。





いつまで、あいつを見ている・・・?





それは小さな疑問だったのに。

生まれた想いは、隠すことが苦しくてたまらない、黒い欲の塊だった・・・。





















「またブーや」


「またお前か」


部活のない日。艇庫のベランダで、二人は顔を合わせては、毎回同じ言葉を言い合う。

浩之は、自分でもどうしたらいいかわからない苛立ちを夕焼けに染まった海を眺めながら、落ち着けようとした。

けれど何故か、

そんな自分のそばに悦子が突然現れては、壁に背中を預けている自分より前の斜め横に悦子が膝を抱えて座り込むのだ。


浩之はその背中を見るのが、嫌いだった。

そっとその存在を切なげに見つめている姿よりも、嫌で、嫌で、堪らない。

あの日と同じように。小さく膝を抱えて。

きっと、あいつのことを考えている・・・。

あいつを想う背中など、見ていたくないから。

その存在がなくても。悦子は彼だけを、考えて想っている。

そのことが、浩之をさらに苛立たせた。

苛立ちは激しさをまして。呆れた溜息も、元気付けようなんて思う気もない。


苦しくて。・・・悔しくて。

苛立ちは、意地になる。自分からは、離れられないから。


「そこ、座んなや」


冷たい声は、棘になる。

あいつばかりを見続けている悦子に・・・突き刺さるようにと。

けれど返ってきたのは、同じ棘。


「私がどこ座ろうとあんたに関係ないやない。」


背中を向けたまま言われた言葉に心が痛む。

攻撃するには有利なはずなのに。突き刺さるのは、自分の方。


「俺が先に居ったんやぞ。」


だから座るなと、言おうとした浩之の声を遮るように悦子が怒ったように言った。


「ここが好きなんやからいいやないっ!黙っといてっ!」


ズキリと胸に突き刺さる。



微かに肩を震わせて。さらに背中を小さくさせて・・・。

そんなに・・・。



叶わないのに。失恋してるのに。届かないことをわかっていながら・・・。


それでも、あいつのことだけ想ってる。





・・・そんなに、あいつが好きなのか・・・





今更、何を言ってるのか。

そんなこと・・・わかっていたのに。









苦しくて。悔しくて・・・。おかしくなりそうになる。

綺麗に輝いていた海も見えない。目の前が真っ暗で、手が震えていく。

駄目だ・・・。

そう想い、浩之は勢いよく立ち上がった。

ガタガタと音をたてそうなほどに震えていく手をギリッと強く握り締めて。

おかしくなる前に。黒い欲の塊が、暴れる前に。

悦子の後ろを通り過ぎ、艇庫の中へと入ろうとした・・・その時。


「−−−おーい、セッキー!?」


艇庫の外から、浩之を呼ぶ声が聞こえた。

浩之をセッキーと呼ぶ人間は一人しかいない。

なんて・・・タイミング・・・。

ピクリと肩を震わせて、まだ見えぬその姿を探そうと立ち上がった悦子の腕を、浩之は掴んでいた。





掴み上げ、強い力で悦子の身体を艇庫の中へと引っ張り込む。


「−−−えっ・・・ぶ、ぶーっ!?」


慌てる声を聞きながら、悦子を真っ直ぐに見つめた。


「・・・な、に?どうしたん?」


薄暗い艇庫。悦子は不安げな顔で浩之を見つめ返す。

一歩。二歩・・・。

浩之は悦子を見つめたまま、彼女へと近づいていった。

もう、抑えるのは限界なんだと、思いながら。

悦子が何も分かっていなくても。行動にしてしまったら。後戻りはできないのだから。


「・・・ブー?」


近づいてくる浩之に悦子の顔に戸惑いの色が広がっていく。

無意識の内に後退るその身は、すぐにトンっと何かにぶつかってしまった。

壁側へと引っ張り込んで。追い込んで・・・。

妙な雰囲気に堪えきれなくなった悦子が、苦笑いを浮かべて言った。


「な・・・中田三郎と、喧嘩でもしたん?だ、だめや・・・ない・・・・・・」


途端に、浩之の顔が不機嫌そうに歪んだのに気がついて、悦子はビクリと肩を震わせた。

いつもの怒った顔とは違うような気がして・・・。

怯えたような反応に、ズキリとする。

恐がらせたいわけじゃない。ただ、ただ・・・・・・。



「・・・言うなや・・・」


「・・・え?」


「あいつの名前なんか・・・口にして、ほしくない・・・」


勝手な、想いだ。

だけど・・・嫌だった。


フルネームで呼ぶ。それは、あいつだけにあげる、悦子の心のようで・・・。


切なげに眉を寄せて。浩之は悦子の右手をそっと掴んだ。

力を込めて、その手を握り締めてみる。

悦子は怯えていたのも忘れ、心配そうに俯いた浩之の顔を覗き込んだ。


「どうしたの・・・?・・・ぶー?」


キュッと握り返される手のぬくもりに浩之は想いが溢れていくのを感じた。

握り締めていた手を一度放して、そして左手にも手を伸ばす。

右手も左手も、指を絡めるように繋いで・・・そのまま壁に抑えつけた。

優しく・・・。けれど、逃げ出せないように。悦子の肩口に顔を沈めて。

浩之は哀願するように、囁いた。


「・・・言うな・・・見んな・・・考えんなや・・・」


苦しい、だけじゃないか。

こんなにも・・・切ないだけじゃないか・・・。


「・・・いつまで、あいつばかり見とんのじゃ・・・」


叶わないのに。

振り向いてくれるわけ、ないのに・・・。


「・・・ほんまに・・・アホな奴やな・・・」


自嘲的な笑みと共に、浩之は繋いだ手に力を込めた。


暖かなぬくもり。ずっと、ずっと・・・こうしたかった。



・・・抱きしめたかった。



でも、それは・・・許されない・・・。



切なげに、彼だけをただ見つめ続けていた悦子を想う。


自分と同じ、彼女を想う。



叶わないのに。振り向いてくれることはないのに。





「・・・俺も・・・アホや・・・。救いようのない、ボケじゃ・・・」







それでも・・・見つめ続けて、いたかった。









最後にもう一度だけ、繋いだ手に力を込めて。浩之はそっと悦子から身体を放した。


「ブー・・・あの・・・」


戸惑っている悦子の言葉を遮るように、


「見てるこっちが辛くなるくらい落ち込んどるから、思ったこと、言ってみただけや」


気にすんなや?


そう言って、浩之は笑った。















「−−−お、セッキーっ。ここにおったんか。帰りに肉まんでも奢ってやろーおもって探してたんや・・・ぞ・・・?」


艇庫から出てきた浩之を見つけて、中田は口元に笑みを浮かべた。

俯いた浩之の顔を覗き込んで、彼は気付き、そして真剣な顔で浩之を見た。


「・・・関野?どうした?」


眉を寄せ。口を噤んだまま、どこか苦しそうな浩之に中田は思わずその顔に手を伸ばそうとする。

そっと頬に触れる瞬間。


「・・・なんでお前なんや、ボケ・・・」


「・・・なにが?」


「・・・・・・お前が・・・あいつを好きなら・・・少しはよかったのに・・・な・・・」


らしくない。無理をするように、悲しそうに、浩之は微笑んだ。



少しだけ・・・泣き出しそうな、顔をして・・・。







叶わぬ想い。けして届かないとわかっているのに。



それでも・・・見つめ続けていたかった・・・。







続く・・・。





あとがき


ご、強引浩之はどこへ・・・?そしてこの切ない展開・・・。

おまけになにやら、中田→浩之的な感じです。いえ、けしてそれを狙って書いていたわけではないのですよ。

浩之の切なさを表すのには、第三者が必要な気がして。

でもリーだと、さらにドロドロしそうだし、救いようがない気がするしで・・・。

三郎の場合は、あくまでも「友達」で通せそうなので。(苦笑)

あと、今回書いていて思ったのは・・・。やはり浩之は心広くて、不器用でも優しいのが私のイメージだと思いました。

ごくせんキャラ達のように、強引で横暴で「俺のもんだっ!」的なキャラにはできそうにないです。

可愛い子だと思ってるのが、一番の原因だからでしょうけど。というか、浩之は可愛い。

ちびまる子ちゃんの「大まる」と路線は同じ・・・なの、か?

どっちかっていうと、三郎の方が強引で横暴で「俺のもんだっ!」的なキャラにしやすいよ。

(あー・・・また中田→浩之にいってるよ、私・・・)


とりあえず、次はハッピーで頑張りますのでっ!!そしてもちっと今度こそ強引な浩之をっ!!

そして悦子の可愛さをっ!!書けたら・・・いーなー・・・。