ハジメテの気持ち。

ドキドキしてソワソワして。

その笑顔一つで、心は揺れてた・・・。



叶わなかった恋。

伝えることもできなかった恋。

だけど、彼を好きになったことに後悔はないよ。


泣きたいくらいに悲しかったけれど、それでもやっぱり、彼の笑顔が好きだったから。












「また引っ付かれとんな、あいつ・・・」


浩之が呆れ顔で窓の下を見下ろした。


両脇について歩こうとする女子達をさり気なく避けながら、苦笑まじりに歩く三郎の姿が見える。


浩之の隣に立って、悦子はその姿を見つめていた。


自然と追ってしまう切ない瞳は、行き場のない想いを今も心に込めてる証だ。


二人に気がついた三郎がヒラヒラと手を振る。


腕をついている浩之は、変らずの呆れ顔でそっぽを向き、悦子は小さく苦笑して手を振り返した。





「―――・・・忘れんでも、ええよね・・・?」





ぽつりと零れた、突然の言葉。


彼を見ているようで、その実、どこか遠くを見据えているような瞳をして。








見れば見るほど、追えば追うほど、切ない気持ちになることなんてわかってる。


それでも、背を向けることはできないと思った。


背を向けたら、もう彼の前では笑えない気がしたから。


笑顔が一番だと言ってくれた人。


初めての恋は、いつも彼の笑顔と一緒にあったから。


笑顔からは、自分を背けたくなかった。


無理して忘れて。この想いを無かった事にして。


そんなこと、できるわけがないのだから・・・。






静かな沈黙が続いて。校舎へと入っていく三郎の姿が確認できなくなった頃。


微かな言葉が悦子の耳に届く。


「・・・ええんやないか・・・それで・・・」


答えが返ってくるとは思ってなかったため、少し驚いて浩之の方へと視線を向けた。


窓の外に腕を投出して、その腕に顎を乗せている横顔は。


ぼんやりと、窓の外をただ静かに見つめている。


ふわりと風が二人の前を通り過ぎて、悦子は少しだけ笑って、頷いた。





三郎を想い。恋を想って。窓の外へと視線を移す。


学生達がちらほらと歩く校庭が、艇庫から見る海と重なった気がした。


こんな風に静かな時間を彼と過ごすことがなんとなく不思議で。だけどどこか、嬉しく思う。


隣にいてくれて。忘れなくてもいいと、頷いてくれた。


それだけで、心が軽くなっていく気がしていた。








忘れなくてもいい。


どんなに今が切なくても。泣きたい時があったとしても。


きっといつか、笑えるから・・・。


心から笑える日まで。一番だと言ってくれた笑顔で、彼の前に立てる時まで。


悲しくても、切なくても。背を向けることは、やめようと思う。


幸せで終ることのない恋。行き場の無い恋。


カタチを変えて、笑える日は・・・きっと、来るから。








◇◇◇








『―――・・・忘れんでも、ええよね・・・?』


想い続けていても、ええよね・・・。


そう、聞こえた気がした。





ギクリと強張る顔を必死で隠して、自分の出した言葉に苦しくなった。


呆れるくらい、救いようの無いくらい、どうしようもない自分がいる。


「・・・アホな俺・・・」


廊下の片隅で一人きり、浩之は自嘲的な笑みを浮かべて天上を仰いだ。


こんなにも苦しいのに。頷きたくなんかなかったのに。


そうするしかできない自分が悔しくて、少しだけ悲しい。


自分と悦子を重ねては、頷くしかできない自分。


同じじゃなければよかったのに。


叶わない想いが。見つめ続けることの辛さが。辛くても止めることの出来ない想いが。


同じじゃなければよかったのに。





切ないことを知っているから、しょうがない。


悲しくても、離れられないのだから、しょうがない。



認めるしかないんだ。悦子の恋が向かう先を。



叶わない、自分の恋を。





「−−−またか・・・?」


ふいに聞こえてきた声に横を向けば、三郎が呆れたような、それでいてどこか心配げな表情で立っていた。


「お前の方こそ、またか・・・。」


浩之はじとーっと目を細め、三郎を見上げた。


「なんでこっちにくるんじゃ・・・」


あいつの方に行けばいいのに・・・。


そう心の中で付け加えて、視線をフイッと逸らし俯いた。


近頃、いつも以上に三郎は浩之のそばへと寄って来る。


そばにいる中で三郎が言った言葉があった。





「一途やな、セッキーは」





そう言った三郎が、浩之は少し憎らしかった。


一途なのは、悦子の方じゃないか。


どうしてそれをこいつはわかってやらないんだろう。


どうして、悦子の方にいってくれないんだろう。


責めたってしかたないのはわかっているけれど。


悦子を想うと、そばに寄って来る三郎の存在が歯痒かった。


「・・・泣くなや?」


そっと頭に乗せられる大きな手。


深く沈んでる時に限って、いつもこうして触れてくる。


払い除ける気力もなくて。


「泣くか・・・・・・」


ただ、小さな反抗を言葉にするだけ。



そっと乗せられる手は、悔しいけれど・・・憎めなかった。








◇◇◇








「・・・なんかブー、変やない・・・?」


そのことに気がついたのは、ついこの間のことだった。


気がつけば、変だったのはもっと前からのように思う。


夕暮れの艇庫で彼の近くにしゃがみ込んでいれば、いつもはどこか迷惑そうな顔をしていたのに。


黙って。不機嫌そうに帰り道も自転車の速度を上げて先を進んでいたのに。


何故だか、近頃、浩之は違った。


「そうしとんのもええけどな。はよ帰らんと身体冷やすやろ」


そう気遣うように言って、一緒に日が暮れる帰り道を歩いてくれたり。


三郎を見つめていて、ふっと気がついてみれば、ただ静かに隣にいてくれたり。


なんだかそれが嬉しくて。でも・・・どこか、浩之を見ると寂しい気持ちになっていた。


それに気がついて。


そういえば三郎と浩之が一緒にいる時が多くなっていることや、二人でいる時の様子がどこか違うことにも気がついて。


だから思い立った時には、悦子は三郎を呼び止めて聞いていた。





「・・・優しいような気もするんよ?だけど・・・なんか違うんよ・・・。」


優しくされてる。そう想うのに、どうしてだろう。やっぱり寂しい気持ちになるのは。


隣にいるのに。すぐ近くに存在は確かにあるのに。


その心は、凄く遠いところにあるような・・・そんな気がした。


「怒ったりもせんし・・・笑ってる顔も、あんま見ん・・・。あんなんブーやないみたいで・・・」


言い合いもずっとしていない。からかうこともない。


笑っていたとしても、なんかいつも無理した笑顔ばっかりで。


浩之にどうしてほしいかなんてわからないけど。今の彼は違う気がした。


不安げな表情で窺ってくる悦子の様子に、三郎は何故か安心するようにそっと微笑んだ。


その笑みの意味がわからず、悦子が不安げなまま首を傾げる。


「あんた・・・なんか知っとんの・・・?」


三郎は少し考えるそぶりを見せると、ニヤリと笑った。


「大丈夫やて、篠村。セッキー、近頃少し食べ過ぎなの気にしとるだけや」


「ええ?」


「ほれ、セッキー昔は太ってたんやろ?だからちょっと食べ過ぎただけで気にするみたいでな。
 精神的に情緒不安定で、いつもより静かになっとんのやろ」


なんとももっともらしいようならしくないようなことを笑いながら言っている三郎に、悦子はしばしポカンとして、
少したった後、思わずフフッと笑っていた。


「・・・ッ・・・アハハッ・・・な、なんよそれっ!なんかっブー、女の子みたいやないっ!」


食べ過ぎたのを気にしてる浩之を想像して、悦子はクスクスと笑う。


お腹に響くくらい笑いながら、ふっと三郎を見やれば、彼の優しい笑顔とぶつかった。


「−−−・・・っ!!」


一瞬ハッとして。けれど、悦子はそのまま笑顔を止めなかった。


クスクスと可笑しさに笑っていた笑みが、優しい笑顔に変っていく。


柔らかな、笑顔。


元気付けようとワザとおかしなことを言ってくれたのだと気がついて、やっぱり彼は優しいと思った。


優しさが嬉しくて。好きだった、彼の笑顔が嬉しくて。今、彼の前で心から笑えてる自分が嬉しかった。





笑えてる。





笑えてるんだ。





「そんなこと言ってるの知ったら、ブーに怒られるんやない?」


フフッと微笑んだ笑顔は、少しだけ大人びた笑顔。


けれど変らない、キラキラとした一番の笑顔だった。














真っ赤な空が、目の前に広がる。


防波堤に仰向けに寝転がって、浩之は空を見上げていた。


脳裏には数時間前に見た、悦子と三郎の姿がある。


嬉しそうな、幸せそうな笑顔だった。


そこに。二人の間に、入り込める隙間なんて、ないと思った。


そうなることを望んでいた。


ありえないことだと思っていたけど。人の心は、きっとわからない。


自分の心も、変るんだろうか。


見つめ続けていたものを無くして。


慰められ、不本意ながらも、励まされていたものを無くして・・・。



いいじゃないか。


一番に想っていた、悦子の想いが叶ったのだから。


その相手が、酷い人間じゃないことも。


悔しいことに、憎めない存在じゃないことも、知ってしまっているのだから。



いいじゃないか。



けれど。だけど・・・ポッカリとあいてしまった心は埋まらない。


そうなることを望んでいた。


望んでいたはずなのに。








どうしたかった?


どうすれば、よかった?


いつも見ていなければ、なんて。


目で追わなければ、なんて。


捕まえたい、そう想わなければ・・・なんて。


・・・好きにならなければ、なんて。


そんなこと無理だった。それが当たり前で、自分の心、そのものだった。



そんな恋を無くすには、どうすればいいんだろうか?














「どこいったん?・・・ブー・・・」


キョロキョロと艇庫の2階を見渡して、悦子は首を傾げた。


三郎の前で笑えた時から、ずっと探してるのに。


昼休みにも。放課後になった今でも。浩之の姿が見当たらない。


三郎の前で笑いながら、悦子は思っていた。


浩之に会って、ちゃんと話したいと。


切ない時、そばにいてくれた彼に、もう大丈夫だと伝えたい。


そう思った。


艇庫のベランダから海を見渡して、その姿を探してみる。


見渡せる限りに視線を遠くへ飛ばして、広い砂浜から防波堤の先まで探した。


「・・・?」


すると、ふっと遠くの防波堤に微かに黒いものが動いて見えた。


その場所まで行って、悦子は防波堤に仰向けに寝転がっている浩之の姿をやっと見つけた。


「−−−ブーっ!」


駆け寄りながら、思わず強く呼びかける。


「−−−・・・っ!?」


浩之はビクリと身体を震わせて悦子の姿を視界に捉えると、慌てて寝そべっていた身体を起こして立ちあがった。


少し息を切らして、浩之の前に立った悦子は彼を見やる。


「こんなところにおったん?ずっと探しとったんよ?」


少しだけ口を尖らせていうけれど、それでも何故か視線を逸らしたままの浩之に違和感を覚えて、首を傾げた。


問いかけ続けても、俯き加減に横を向いたまま、じっと浩之は動こうともしない。


「・・・ブー・・・?」


不安げに呼ぶと・・・。浩之の肩がギクリと揺れて、ハッと我に返ったように慌てて顔を上げた。


「あっ・・・っ・・・・・・って・・・お前、はよ帰れ。冷えるやろがっ。風邪・・・ひくぞ・・・」


けれどやっと視線があったと思えば、再度不自然に逸らされる視線。


「・・・風邪ひくんわ、どっちよ・・・。・・・ずっと、ここにおったん?」


心配してくれてる言葉を掛けられても、悦子は何だか全然嬉しくなかった。


嬉しいどころか、むっとするくらい。


問いかけても答えないし、視線も合わそうとしない。


浩之を見て寂しいと思ったその訳を、知った気がした。


遠くにあるような気がしたのではなく、実際、浩之は遠くにいたのだ。


こんな風に、彼は自分をずっと避けていたんだと思うと、悦子は思わず浩之の腕に手を伸ばしていた。


ハシッと浩之の片腕を掴んで、ぐっと下に引っ張る。


「なんか変よ、あんた。なんかあるなら、言ってよ。どうしたん、ブーっ」


こんな風に上辺だけで接するような奴じゃなかったのに。


いつのまに、こんなに彼は遠くにいっちゃったんだろう。


それが寂しくて。なんか悔しい。


「お、れは・・・別になんも・・・」


浩之は酷く動揺したように、気まずそうに視線をさ迷わせながら悦子の手を剥がそうとする。


「・・・はなせっ・・・アホッ・・・いいからはよ帰れっいうとるやろがっ・・・」


ぐぐっと剥がそうとする力に対抗するように悦子はそれ以上に力を込めて手を離すまいとした。


ギュッと力を込めて、


「なんで逃げようとすんのよっ!!」


「−−−っ!?・・・・・・・・」


叫んだ瞬間、剥がそうとしていた浩之の手の力がストンと抜け落ちた。


しん・・・と重い沈黙がおとずれて・・・。


「・・・逃げるほかに・・・どうしろっていうんじゃっ・・・」


「・・・・・・ブー?」


俯いた浩之が呟いた言葉。その声は、あまりに重く、苦しそうで・・・。


「・・・ほかに・・・どうすればよかった・・・?・・・無理やり、捕まえとけばよかったんかっ・・・!」


「−−−・・・っ!?」


微かに震えてる腕に悦子が気づいた時には、ぐいっと抱きしめられていた。


突然の抱擁に驚いて。でも、それはすぐに離れていった。


ぎゅうっと1度だけ強く抱きしめて、


「・・・・・・よかったんだ・・・これで・・・」


浩之は小さく呟くと悦子から腕を離した。


悦子の身を遠ざけて・・・。


「・・・だから俺のことなんて・・・もう、気にすんな・・・?」


切なげに、悲しそうに、彼は笑った。


泣き出しそうな、顔をして・・・。








どうして、気付かなかったんだろう。


隣にいてくれたその人の顔が、無理した笑顔が、どれだけ切ない想いを込めていたのかを。


今頃、気付く。いつだって・・・彼は、泣き出しそうな顔をして・・・自分の隣に、居たんじゃないか・・・。





「なんにもよくないやないっ・・・全然、よくないっ!!」


悦子は、強く叫んだ。


「何いってんのか全然わからんしっ!そんな泣きそうな顔して気にすんな、なんてっ!アホでボケなのはどっちよっ!」


人のことばっかり気にして。


自分が悲しいのなんかどうでもいいみたいな顔して。


今気付かなかったら、ずっと浩之はこんな泣きそうな顔のままでいるのかと思うと、寂しいを通り越して怒りたくなる。


自然と目の奥が熱くなって、じわりと涙が込み上げてきて。本当に寂しくて悔しくて、アホでボケで、悲しかった。


「・・・なんで泣くんじゃ・・・」


「あんたがアホだからよっ!」


ボロっと零れる涙をぐいっと袖で何度も拭う。


泣きたかったわけじゃない。やっと笑顔になれたのに。もう大丈夫だっていいたかっただけなのに。


悦子は恨めしさを込めて、浩之を見やった。


浩之は途方にくれた様に困った顔で立ち尽くしている。


「やっと失恋から立ち直って気分よかったのにっ・・・あんたの所為で晴れやかな気分が台無しやないのっ」


思わず少しやつあたりじみたことを言うと、浩之の顔が訝しげなものに変った。


疑うような、探るような視線で見てくる浩之に悦子も眉を寄せる。


「なんよっ。」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・?」


じーっと見つめてくるその瞳の真剣さの意味がわからない。


しばらく悦子を見つめて。浩之は何を思ったのか、突然、顔を思いっきり顰めて、歩き出した。


「な、なんっ?ちょっとブーっ!」


ズンズンと学校の方へと向かっていく浩之の背中は、酷く怒っているで。


悦子は慌てて、彼の後を追った。








「−−−・・・どういうことじゃっボケっ!!」


「・・・なんや、セッキー」


「中田三郎?・・・なに?なんやの?ブー?」


ズンズンと浩之が向かった先。それは、三郎のもとだった。


じとっと三郎を睨み上げる浩之に、一瞬不思議そうな顔をして、


悦子の姿を見ると何かを悟ったように三郎はすました顔をした。


「俺は付き合うなんていっとらんし、ましてや好きになったともいっとらんけど?」


「−−−〜〜〜っ!!」


ニヤリと笑う三郎に、浩之の顔がカッと赤く染まった。


そう・・・浩之は勘違いしていた。


三郎の前で楽しげに笑ってる悦子を見て、彼女の恋が叶ったんだと思ったのだ。








そうなることを望んでいた。


自分の切なさがどうしようもないなら、悦子の想いだけでも叶えばいいと思っていた。


勘違いしていた恥ずかしさと三郎への苛立ちに顔を赤くして、怒ってるような悲しんでるような複雑な顔で
押し黙ってしまった浩之に、悦子の呆れた声が届く。


「なにっブー!あんた、まさか中田三郎が私のこと好きだなんて考えてたのっ?」


「そうらしいわ」


「そんなことあるわけないやない。どっからそんな考えになるん」


と言う悦子に、浩之は不安げな顔で彼女を見やった。


はっきりとした口調でその表情にも無理は窺えなかったけれど。


吹っ切ったなんて思いもしない浩之は、まだ上手く納得できなかった。





三郎が悦子を好きになる。それはあるわけがないと、浩之だって知ってた。


それでも、そうなることを望んでた。





悲しくてもいい。三郎の想いも、他の誰かの想いも、自分の想いも。


正直言ってどうでもよかった。悦子の想いが叶うことだけ、考えていたから。


そう想わないと、そばで見ていることは出来ないと思った。


見つめ続けていられるなら。どんなカタチでもよかったんだ。


だけど、望んでいた通りになったと思った瞬間。


どうしたらいいかわからなかった。


見つめ続けたいと思っていたのに、それさえも諦めなければならなくて。


いつのまにか増えてしまった二人との時間を両方失ってしまった自分は、どこにいけばいいのかもわからなかった。




帰っていった中田の背中を見送る悦子の横顔を見つめた。


そこにはやっぱり無理をしている様子はなくて。


どこか、安らいだ、清々しい表情をしているのがわかって。





そうか・・・違ったんだ・・・。





そう、改めて自分の心の中にその事実を収めると。


すごく、ホッとしていて。


自分でも気づかぬうちに、微笑んでいたらしく・・・。



「わっ!!」


いきなり悦子の驚いた声がして視線を向けたら、何故か悦子が真っ赤な顔で仰け反っていた。




「あっ・・・あんたっ・・・なんっ・・・!?」


胸に手を置いて、口をパクパクさせながら異様にドギマギしている様子に怪訝に首を傾げる。





けれど、真っ赤になって動揺している姿は可愛かった。












ブーもあんな風に笑うんやね・・・。


寂しそうでもない。悲しそうでもない。思いつめてもいない。


それはどこまでも嬉しそうで、どこまでも優しそうな、笑顔だった。


彼の笑顔を見た瞬間、わけのわからない衝撃を受けたように胸がドキドキしていた。


でも、それと同時に嬉しかった。





もう、悲しい笑顔は見ることはない気がして・・・。


遠くにいる気していた彼が、また、そばに戻ってきてくれたようで。


とても、嬉しかった。














「おはよう、ブーっ!」


次の日の朝。廊下で浩之の背中を見つけて、悦子はその背を叩いた。


叩かれた痛みに浩之は少し顔を顰めるけれど。横に並んだ悦子の笑顔に、ドキリとした。


失ってしまいそうだった笑顔。


見つめることが怖くて、切なくて、耐えられなかった笑顔。


今は、また・・・見つめられる。


なにも変わってはいないけれど。


今は、ただ・・・見つめられることが嬉しかった。





「あっ!」


並んで歩く悦子が何かを見つけたように声を上げて。


そのまま大きく手を振って少し駆けていった。


前方を見れば、中田が教室へと入ろうとしていたところで。


少しだけ・・・まだ、悔しくなる。


けれど、ついで聞こえた悦子の声に、浩之は思わず立ち止まっていた。





「−−−中田君っ!」





フルネームで呼んでいたはずの悦子が、「中田君」と、そう、呼んだ。


彼をフルネームで呼ぶそれは、心の中でずっと刺さっていた小さなトゲの一つで。


驚いて、目を見開いて悦子を見つめる顔が、自然と緩んでいくのがわかった。


笑顔になっていく表情と一緒に、心の中に刺さったトゲが、抜け落ちていく気がしていた。








変わらない日々。


変わらない、変えられない想い。





でも、少しずつ。ほんの少しずつ。


動き出している想いも、そこには確かに。





きっと、ある−−−−。

















あとがき


サイドストーリーとリンクしているので、所々はっきりさせていない点はそちらを読んで下さるとわかるかと。

ですが、えっと、かなりごめんなさい・・・かと。

さんざん待たせて、こんな終わり方は・・・。と、残念に思った方には本当に申し訳ないです。

どうにも後半の展開が上手くまとめられず、当初の予定より大幅に路線変更しております。

なので前編と話が微妙に違ってて・・・。

しかも、もう一つのサイドストーリーをお読みになるとわかるかもですが、
そっちのほうが結構ストーリーがしっくりまとまってたりします。(汗)