部活の合間。艇庫のベランダから砂浜を走る女子部の姿が見えた。 「お、篠村。・・・がんばっとんなぁ」 目を細めて、和やかな何気ない呟き。 けれど呟いた本人、三郎の意識は艇庫からベランダへと出てきた浩之へと向いていた。 「・・・・・・」 予想通り、隣でミネラルウォーターを飲んでいた浩之の手が止まった。 表情を硬くして。視線を戸惑うように俯かせて。それでも結局は、悦子を見つめる。 そんなところが面白いんだと三郎は心の中で思う。 熱くて真っ直ぐで。基本的には素直ではっきりした性格なのに。 時々酷く、不器用で。 弱い自分が嫌いなのか。怖いのか。 変なところで突っ張っては、だけど心を上手く隠せない。 先輩達には無心に懐いて。三郎には、強く警戒して。 けれど意識を持たれるだけ、マシなほうである。 浩之にとって、意識しないものは、ただのぼんやりとした世界でしかないから。 それは彼の中で悦子の存在が心の大半を占めているから。 他の沢山のことに目をむけるよりも悦子へと向ける気持ちの方が、何よりも重要視されている。 そこ以外、悦子以外、行き着く場所のない視線のように。 たとえそれが無意識の内であったとしても・・・。 砂浜を走る悦子を見つめたままじっとしている浩之に三郎は思わず苦笑する。 「・・・一途やな、セッキーは。」 健気で一途で。見てるこっちが切なくなるほどだ。 からかったつもりはないが、浩之の目がじとっと三郎を睨み付けた。 「なんや・・・?」 不思議そうに問いかければ、ふっと視線を逸らしてしまう。 その様子に、三郎は眉を寄せた。 俯き加減の顔を斜め上から見下ろせば。思いつめているような、影の落ちた表情が見える。 「お前があいつを好きなら、よかったのに・・・な・・・」 そう、泣き出しそうなほど切なげに、浩之が言った言葉の意味を三郎は知っていた。 悦子が時折自分を見ていることも。その気持ちがどんなものなのかも。 わかっていて、それでも何も言わないのは知っているからだ。 悦子が少しずつ、前を見ようとしていることを。 歩き出そうとしていることを・・・。 だから三郎からしてみれば、浩之の言葉は見当違いもいいとこだった。 あの気持ちに自分が答えられることなど無いだろうし、悦子にとって必要なのは、 自分という存在では無いことは、少し見てればわかるものだ。 それなのに浩之は自分の殻に閉じ篭って、深く沈んでいる。 今もきっと、見当違いな思い違いをして、一人切なくしてるんだろう。 (一途過ぎやぞ?・・・関野・・・) 優しすぎるのだ。 彼女に心を与え過ぎているから・・・。 「・・・・・・・関野」 手を伸ばしながら名前を呼べば、浩之が我に返ったようにハッと顔を上げた。 悲しい影を落としている目を見下ろして、自然と視線が鋭くなっていく。 「・・・なんじゃ・・・」 浩之が怪訝な顔で問いかける。 「泣きそうな顔」 「−−−っ!」 気難しそうな顔で指摘され、浩之がカッとなった。 「誰がっ・・・泣く、か・・・っ・・・!」 叫ぼうとして・・・その目が、揺れた。 言葉と一緒に何かが込み上げてきてしまいそうで。 浩之は再び伸びてきた三郎の手を音を立てて払い除けると、艇庫の壁に背中を押し付け、 そのまましゃがみ込んでしまった。 ジワリと滲んでいく目を隠すように、立てた膝に顔を埋めて浩之は言った。 「・・・泣いたりなんか、するかっ・・・」 必死で何かに耐えようとするその声は、微かに震えていて・・・。 「・・・関野・・・」 面白くて、気に入っていたはずなのに。 見ていて、どうにも不安になるのはなぜだろうか・・・。 悦子はきっと大丈夫だと、確信めいて思うのに。 浩之を見ていると・・・時折物悲しくて、不安になる。 悲しみに溢れて・・・ このまま、浩之が死んでしまうんじゃないかと・・・ そんな、ぞっとするような想いを感じて。 三郎は思わず手を伸ばした。 しゃがみこんだ浩之の頭に、そっと手のひらを乗せてみる。 いつものように振りほどく気配が無いことを心配しながらも、 振りほどかれないことが・・・少しだけ嬉しくもあり、 どこか、ホッとしていた・・・。 それから数日が経った日。三郎は、悦子から相談を受けていた。 「・・・ブーの様子がおかしいいんよ・・・」 心配そうにそう呟く悦子を見下ろしながら、三郎はやっとか・・・と思わず吐きそうになる溜息を堪えた。 本人は上手く隠してるつもりだろうが、あんなに苦しそうな嘘はばれて当然だと思う。 というか、ばれなきゃ、それこそ本当に浩之が死んでしまうところだ。 悦子の前では必死に無理して自分誤魔化して。 部員達の前となれば、心配させないように・・・というか、それが余計に心配させてるってことを わかってんだろうか、こいつは・・・と呆れるほどに、無理して元気そうに笑って。 一人きりになった途端、悲しそうに切なそうに俯いて。 心が壊れてしまうのも時間の問題なような気がしていた。 そして、三郎のもっともらしいんだか、らしくないんだか、かなり微妙な理由によって、 いつものキラキラとした笑顔を取り戻した悦子に、 これできっと関野も大丈夫だろう・・・と、思ったのだが・・・。 物事はそう簡単には、収まりそうもないらしい。 「・・・・・・あいつ・・・嬉しそうに笑っとったな・・・」 廊下に背中を預けて、俯き加減にポツリと呟いたのは浩之。 三郎は、その横顔が切ない影を帯びているのに戸惑った。 なぜそんな切なくて悲しそうな顔を今の状況でするのかが、疑問だ。 二人で話してるのを見てたんなら、悦子が自分のことを吹っ切ったのは、雰囲気的にわかりそうなものなのだが・・・。 「・・・・・・お前・・・ちゃんと、あいつのこと見てて・・・守ってやれよな・・・?」 「・・・・・・・は?」 危なっかしい奴だから・・・と、じとっと上目づかいで睨み付けてくる浩之に三郎は思わず固まった。 返事を待っているのか、じ〜っと睨み付けていた浩之は三郎が何か口にしようとすると、ふっとそっぽを向いて俯く。 「・・・俺も・・・ちゃんと・・・・・・もう・・・見ないように・・・・・・・・・」 小さく呟いた言葉に、三郎は頭がぐらっとした気がした。 どうやら・・・浩之はまたしても、見当違いな場所へ向かってしまったらしい。 (こんなに悲観的な奴やったんか?・・・セッキー・・・) あまりの展開に呆れる。 しかたない。 だって浩之は、場の空気を読むのが大の苦手。 自分の気持ちも他人の気持ちも、いまいちよくわからない、かなり鈍い子なのだから・・・。 「・・・関野・・・」 「・・・っ・・・俺、のことは、気にすんなやっ!?・・・どうしようもないのは、わかっとったし・・・」 傷ついて。切なそうで。気持ちを押し込めよう、平気だ平気、悦子が嬉しそうに笑ってるならそれでいいんだと、 必死で自分の前で取り繕うとする痛ましげな姿に、三郎は、やはり手を伸ばさずにはいられなかった。 頭に手を乗せて、そっと浩之の頭を引き寄せてみる。 トンっと軽く音を立てて胸元に沈んだ頭を抱き込むように押さえた。 「・・・・・・・な・・・なんや・・・・・・」 一瞬、驚いたような声を上げて。 「・・・・・・なんでっ・・・お前に慰められなきゃならんのじゃっ・・・」 微かに震えている声に胸のどっかが痛んで。 突っぱねる気配のないことに心配しながらも。 突っぱねずに大人しくしている姿が、嬉しくもあり・・・ やっぱりどこか、ホッとしていた・・・。 そして次の日。 「−−−中田くんっ!!」 悦子に初めてそんな風に呼ばれた三郎は、少し驚きながらも微笑みを浮かべた。 振り向いた先、キラキラと輝いた悦子の笑顔の後ろで、浩之の驚いた顔が見える。 パチリと大きく目を見開いて。少しの後、その顔に優しげな笑顔が零れた。 久しぶりに見た、屈託のない笑顔。 三郎は、安心するのと同時に・・・。 浩之の幸せそうな笑顔が、なんかつまらん・・・と、思うのだった。 「・・・これ・・・」 そう言って、ずいっと浩之が前に出してきたのは、青いリボンで結ばれた包み。 「なんぞ・・・?」 三郎は、その包みに怪訝な顔をした。 その包みは、三郎が女子から受け取った浩之へのクッキーである。 本人は全然わかっていないが、意外と浩之に想いを寄せる女子は多い。 近寄りがたい雰囲気を持っている浩之には直接渡す勇気がないらしいその子は、 一緒にいることの多い三郎にクッキーを頼んだのだ。 人気のある三郎に頼むと、別の問題があるような気がするのだが・・・ その子は、浩之以外どうでもいいらしい。 そんなクッキーをどうしろと? 「・・・誰からか、覚えてるやろ?」 「あ?・・・それが、なんぞ?・・・まさか、その女子と付き合うわけないやろ?」 「そんなわけあるかっ!」 「なら、なんや?」 「返さないとやろ?」 「・・・わざわざ?」 「食べるわけにはいかないやろ。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 ああ、なるほど。と、三郎は気がついた。 「・・・篠村のため、か・・・」 「−−−!?」 ぼそりと呟けば、浩之の頬が、かぁっと赤くなった。 「ためっ・・・ていうか・・・これ作った奴にも、悪いやろ」 「真面目やな〜、セッキーは」 「・・・なんじゃ・・・」 「でもな、返すのは止めたほうがいいと思うで?」 「・・・なんで?」 「押し倒される運命が待ってるだけやぞ」 「・・・・・・・・・は?」 意味不明な言葉に、浩之はぽかんとした。 「泣きつかれてうろたえない自信、ないやろ?セッキー?」 「・・・なんの話をしとんのじゃ、お前・・・。わけわからん・・・」 「今時の女子を甘くみとったらいかん。純情なセッキーじゃ、流されて終わりぞ」 「・・・だから、なんの話」 わけのわからないことばかりいっている三郎に、いい加減切れかかっている浩之は むっとしながら三郎を睨み付ける。 ここまでいってもわからんのかと、三郎は眉を寄せる。 本当はあまり口にしたくないが・・・しょうがない。 「篠村を悲しませたくないなら、黙ってもらっておいたほうがええって話や」 「・・・・・・・・・・・・・」 悦子のことを出され、浩之は口を噤んだ。 まだ少し納得いかないといった感じで怪訝そうに三郎を睨み付けていたが、手に持っている 包みを思い出し、浩之は途方に暮れた。 「・・・じゃあ・・・どうすればいい・・・?・・・これ・・・」 クッキーの包みを軽く持ち上げて、どうしたもんかと悩む。 三郎は何かを思いついたのか、冷たく見下ろしていた顔をふっと笑みに変えると浩之の肩を掴んだ。 「俺とお前の茶菓子にすればいいやないか」 「・・・・・・ちゃがし?」 「ほれ、セッキー」 ホイと、机を挟んだ向かいに座る浩之にジュースの缶を渡す。 机の上には広げられたクッキー。 前の机の椅子に座ってこっちを見ている三郎を浩之は缶を受け取りながら見やった。 「これじゃ食べることになるやないか。」 「そない気にせんでいいやろ。あげるってもらったもんや。どうしようとセッキーの好きにしたら ええもんなんやぞ?食うのも捨てるのも自由や」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 捨てるという言葉に、浩之は渋々クッキーへと手を伸ばした。 ぱくり・・・・・・・ぱくり・・・・・・。 戸惑いながら、一枚一枚を食べていく浩之。 律儀というか、生真面目というか。 そこまで気にしなくてもいいと思うのだが。 (・・・一途で健気やから、しょうがないのか・・・・・・) そう思って・・・三郎は思わず眉を寄せた。 「・・・・・・?」 冷たく睨み付けてくるような視線に、浩之が不思議そうに首を傾げる。 「・・・つまらん」 「・・・・・・・はぁ?」 「なんか、ものすごくつまらんわ・・・」 浩之がつまらない。なんか幸せそうなのがつまらない。 これなら今にも死にそうだった浩之の方がマシだ。と、本気で思う三郎だった。 「−−−〜〜〜〜っ」 つまらないを連呼する三郎に浩之が切れるのは、それから数秒のことである。 「人の顔みて、つまらんいうなやっ!!なんや、お前はっ!!失礼な奴やなっ!!」 終わり・・・。 あとがき えー、血迷っちゃいました。 当初はここまで三郎の気持ちを持ってくる気はなかったんですが・・・ 悲しくて切なくて痛々しい浩之を思うと、手を差し伸べてやりたくなるのです。 そして差し伸べるだけじゃあきたらず、三郎が勝手に思考を持っちゃったんです。 そしてシリアスで行こうとして、ギャグっぽくなってしまった・・・・・・。 本編ではナイスでいいキャラな彼ですが、心の中は意外と黒かった。 私の中の浩之は、大体文中に出てきてるイメージそのものですね。 意識持ってないことに対しては、なんかぼや〜としてそうだし、悦子に心与え過ぎてるとも思います。 (悪い意味じゃないです) 演じてる子は猫に例えられる感じですが、浩之自体はわんこだと思うのです。中型のわんちゃん系。 先輩には無心に尻尾振って懐くけど、なんか反りが合わん空気の三郎には警戒心剥き出しです。 でも、なんかいっつもそばによってくるし、近くにいるし、時々甘やかしてくれるし優しくしてくれるし(これ妄想) ・・・だから、仕方なく・・・別に一緒にいてもいいよ。と、いつのまにやら、そばにいることを許しちゃってるのです。 こんなことを妄想している時点で、すでに危ない私の思考・・・。 あ、でもご心配なく。あくまでも浩之×悦子前提なのはかわりませんので。 |