「クマとツリーとクリスマス」 「ブーっ!!」 部活のない放課後。下駄箱で声をかけられ、浩之は振り向いた。 彼をそう呼ぶのは一人しかいなくて。その人物を目に止めてから、浩之は定番のように言う。 「ブーゆうなっ!」 「へへ〜っ!」 不機嫌そうに眉を寄せても、呼び止めた人物、悦子は何やらニコニコと笑っている。 「なあ、あんた今日暇?」 「?」 ご機嫌な悦子に首を傾げた。 暇やけど・・・と小さく頷いた瞬間、背中を押されて急かされる。 「お、おいっ。なんやっ!」 「なにしとんのっ!ほらっ!はよーっ!!」 慌てて靴に足を突っ込み、自転車を転がし。 連れてこられたのは、悦子の家。 待ちきれないというようにワクワクと瞳を輝かせている悦子は浩之の腕を引っ張って、居間へと連れてきた。 なんなんだ・・・? ずっと怪訝な顔をしていた浩之だったが、居間にある、あるものを見て驚いた。 「どう?すごいやろ〜」 「あ、ああ・・・でも、どうしたんじゃ?こんな大きなやつ」 「お父ちゃんが商店街のくじ引きで当てたんよ」 そう嬉しそうな顔で悦子が手を伸ばすのは、作り物の緑の木。 彼女の背丈くらいあるそれは、クリスマスツリーだった。 電球が巻かれ、色鮮やかな飾りで着飾ったモミの木。てっぺんには、大きなスターが輝いている。 ぶら下がったプレゼント箱の飾りを突っつきながらニコニコ笑う悦子を見つめて、浩之も穏やかな表情を浮かべた。 小学生の頃から、ずっと悦子がツリーを飾るのに憧れているのを知っていたから。 毎年のようにねだっては両親と喧嘩して。毎年八つ当たりの的にされるのが自分で。 願いがやっと叶って。その喜びを伝えたかったのも、自分らしくて。 それは悦子にとっては何の意味も理由もないかもしれないけれど。 浩之は・・・そんな些細な当たり前の繋がりが幸せだったりするのだった。 それから数日後。 お使いを頼まれていた浩之は商店街で悦子の姿を見つけた。 前から歩いてくる彼女は、なぜか俯いていて。 「やばねぇ?」 思わず声をかけたけれど。上げたその顔には、涙が浮かんでいた。 「ど、した・・・?」 びっくりして慌てて駆け寄れば、悦子は顔を背ける。 なんでもないっ・・・と袖で涙を拭って悔しそうに唇を噛み締めて。 怒りや悲しみをいっぱいにしてる姿に胸は痛んだ。 何度もゴシゴシと擦るのを止めさせようと腕を掴む。 振りほどこうとした悦子の仕草を浩之は許せなかった。 無意識のうちにぐっと力を込めていて。離すことなんて、できなかった。 しばらくの時間が流れて、悦子は強がって我慢していた気持ちがこらえ切れなくなったのか、 泣き出してしまった。 「・・・っ・・・うっ・・・・・・・・うぅっ・・・」 「どうしたん?」 しゃくりを上げて泣く悦子に戸惑いつつも問いかける声は、いつもより優しげだ。 そっと彼女の額に指先で触れれば、次の瞬間。悦子の泣き声は激しさを増した。 うわんうわんと声を張り上げて泣き始めたのに驚くのは浩之の方で。 「お、おいっ・・・」 「うわ〜んっ・・・お父ちゃんのあほぉぉぉぉぉぉーーーーッ!!!」 大音量な叫び声が商店街に響き渡った。 それから詳しく話を聞けば。 せっかく綺麗に飾っていたあのツリーを悦子の父が知らぬ間に他の人にあげてしまったらしい。 電気代がかかるだの場所を取るだの。そんな夢もへったくれもないことを無残に言われ、大喧嘩。 泣きまくる悦子をなんとかなだめて家まで送った浩之だったけれど。 しょぼくれた背中を見つめていると、やっぱり心配だった。 そして、その心配は当たってしまったようで、次の日から悦子は元気を無くしてしまった。 「悦ねえ、どうしたん?」 「大丈夫?」 「・・・・・・うん」 ボート部の仲間に心配そうに顔を覗き込まれても、悦子は笑うこともままならず、 しょんぼりと肩を落として小さく頷くだけ。 後ろの席からその様子をそっと見つめていた浩之が眉を寄せれば、ボート部の面々にじと・・・と睨まれた。 もしやあんた、なんか・・・ そう恨み辛みを込めたような視線を浴び、浩之は苦々しく顔を背けた。 自分の所為ではないのに、悔しくてもどかしくて。 泣いていた彼女をちゃんと慰められなかった自分も。こうして、見てるだけで何もできない自分も。 きっと口を開いたら、また、いつものように憎まれ口を叩いてしまいそうで。 結局、声すらかけられなかった。 「お客さん、それ買うのかい?」 「・・・えっ・・・?」 気持ちが沈んでいたせいか、ぼうっとしていたらしい。 店の人に声をかけられて、浩之はハッとした。 手に持っていたのは30cmほどの小さなツリー。 帰りがけに雑貨屋の店先で見つけて手に取ってから、かれこれ20分近く見つめていたらしい。 気恥ずかしさに慌ててツリーを戻そうとするけれど。 手から離そうとしたら、悦子の泣き顔がふっと浮かんで・・・。 「・・・買ってどうするっていうんじゃ、俺・・・」 結局、離せなくて、買ってしまった。 浩之は何も言わなかったけれど、店の人が察してくれたのか ツリーはきちんと箱に入れられ、可愛い包装紙に包まれている。 これじゃますます渡しにくくなってしまったような・・・。 そうは思っても、やっぱり傷ついた泣き顔が頭から消えなくて。 ツリーを見て、嬉しそうに笑っていた姿を想う。 また・・・あんな風に笑ってくれるだろうか。 「わぁっ!悦ねえ、どうしたん?そのぬいぐるみ〜」 「すっごい可愛いやないのっ!」 艇庫で女子たちの明るく騒がしい声が響いた。 ちょうど廊下を通っていた浩之は、窓ガラスの向こうに見えた姿に一瞬、動きを止める。 「えへ〜っ貰ったんだ〜っ!!」 そう手に持ったぬいぐるみを抱きしめる悦子の顔には満面の、嬉しそうな笑顔が浮かんでいて。 浩之は目にとめた瞬間、ふいっと顔を背けた。 悔しさを押し殺して、唇を噛み締める。 笑顔になることを望んでいたのに。今度は別の理由で、悔しさを感じていた。 昼休みに見たのだ。 悦子と中田三郎が二人で話しているのを。 「すっごい可愛かったよ、あれっ!」 「気に入ったか?それならよかった」 「うんっ!あのぬいぐるみが可愛いって、評判なんよ!ありがとぉーっ!」 昨日までとは違う、嬉しそうな笑顔。 あんなに落ち込んでいたのに。自分は何も出来てないのに。 ぬいぐるみは、きっとあいつからの貰いものだ。 「あれ?ブー、帰るん?」 「・・・・・・・・・・」 艇庫の階段を下りたところで声をかけられる。 そのふとした声のトーンもどこか明るく楽しげで、酷くイライラした。 「ブー?」 声を返さずにいれば不思議そうに呼ばれて。思わず聞いていた。 「・・・もう、ツリーのことはいいんか?」 聞いたってしょうがないのに。なんか凄く、あきらめの悪い男みたいだ。 苦笑が零れそうになって、けれど、笑みを形作る前に浩之の表情は歪んだまま・・・。 「うんっ。もう、いいの」 それは諦めたものじゃない、明るくて晴れやかな返事。 それどころか、嬉しく楽しそうな感じまでしていた。 24日のクリスマスイブ。世間はクリスマス一色だというのに、ぽつんと一人、浩之は海を眺めていた。 砂の上にはあの日買った小さなツリー。渡す理由も、意味もなくなってしまったプレゼント。 包装紙を開ければプラスチックの箱の中でてっぺんの星が光っている。 「なにやってんのじゃ、俺・・・。」 コツンっと箱を指で弾く。 なにやって、って・・・。何もやってないじゃないか。 何も、なんにもできてない。 不貞腐れた子供のように膝を抱えたくなるような心境で。ふと、そんな時。 「−−−こんなところでなにしとるん?」 ひょいっと顔の前に突然現れたのは、白いニット帽を被ったクマ。 「っ!?」 慌てて横を向けば、悦子がきょとりと首を傾げてこっちを見ていた。 「なっ!?なんっ・・・!?」 突然の登場に頭がついていかない。腰が引けて砂の上でバランスを崩しそうになる。 「?・・・あ、なに?そのツリー」 「−−−っ!!!なっなんでもないっ!!!」 動揺を隠せなくて、凄いわたわたしながら、慌ててツリーを背中で隠した。 「なに?なんで隠すん?」 ずいっと悦子が身を寄せてくる。 浩之は腕にツリーを抱えながら、思わず叫んでいた。 「お、お前っツリーはもういいんじゃないんかっ!いらんのじゃろっツリーなんて!!」 「え?」 言った後で、かぁっと顔が真っ赤に染まる。 今のは、拗ねた子供のような台詞だった。 鈍い悦子のこと。言葉の深い意味なんて感じ取れるわけがない。 そう、思ったけれど。 「もしかして・・・それ、私に?」 何故だか今日は鋭かった。 「プレゼントなんっ?クリスマスプレゼントっ?!」 途端にぱあぁっと明るい笑顔を見せる悦子にドキリとする。 けれどその腕には中田三郎から貰ったクマのぬいぐるみがちょこんと収まっていて。 ツリーを抱く手に力を込めた。 「ちょっ、ブー!それ、くれるんやないのっ?」 「もういい、言うたやろが!」 無理やりにもツリーを受け取ろうとする悦子に浩之は悔しさを堪えることもなく、叫んだ。 いつになく感情的なその声はどこか切ない感じがして。 悦子は、伸ばしていた手を引っ込めた。 どうしてそんな傷ついた顔をしてるん? ふと浩之を見つめてみれば、とても苦しそうな顔をしていた。 ツリーを抱きしめるその姿は悲しそうで・・・。 悦子は何かを思ったのか、浩之の腕を取って引っ張った。 「おいっなんや・・・って、ここ・・・保育園?」 突然腕を引かれ連れて来られたのは、なぜか町の保育園。 なんだっていうんだ。 怪訝に眉を寄せて保育園の中を見てみれば、そこには見覚えのあるツリーがあった。 「・・・あのツリー・・・」 「お父ちゃんがあげた家のお姉さんが、ここで働いてるんよ」 呟いた浩之の言葉に悦子が返す。 横にいる悦子を見れば、その顔には優しげな笑顔が浮かんでいて。 ああ、それでか・・・。 と、浩之はふっと心が軽くなった気がした。 あの、明るく晴れやかな笑顔のわけは、中田三郎のぬいぐるみではなかったようで。 それだけでも・・・悔しさが少しだけ消えた。 「−−−あら。悦子ちゃん?」 優しげな声がして顔を向ければ、保育園の軒下に保育士の人だろう、女の人がいた。 彼女に続くように子供たちが一斉に外へと飛び出して、ツリーの回りを囲んだ。 「ほら、押したら危ないわよ。」 子供たちに優しく気を使いながら、女の人が悦子と浩之にふわりと微笑んで会釈をした。 それに返すように小さく頭を下げて。 隣を見れば、悦子はニコリと笑いながら、クマのぬいぐるみの腕を手を振るように動かしていた。 「・・・?」 その意味がわからず首を傾げた浩之に、気がついた悦子が言う。 「ツリーのお礼にって、あのお姉さんに貰ったの。」 「・・・・・・・・・は?」 思わず、思考が鈍くなる。 「え・・・な、かたに・・・貰ったものじゃ・・・?」 「え?ああ、中田三郎がくれたのは、あのツリーについてる飾りよ」 ほら、あのサンタさんとトナカイのぬいぐるみがそう。 と、言いながら悦子が指をさしたツリーには、確かに悦子の家に飾られていたときにはなかった サンタとトナカイのぬいぐるみがぶら下がっていた。 悦子からツリーの話を聞いていた中田が家の押入れにあったものが出てきたからと、くれたらしい。 ・・・勘違い。 それに気づくと、浩之はまたも顔を赤くして腕に抱えていたツリーを抱きしめて、 気まずそうに顔を逸らし溜息をついた。 アホか、俺・・・。 あまりの情けなさにガックリと肩が落ちる。 本当に何をやっていたのかって感じだ。 「ブー!帰るん?」 ふら・・・と歩き出した浩之の背中を悦子が追いかける。 「ねえ、そのツリー!プレゼントやないの?せっかく買ったのに、くれんのっ?」 浩之のツリーがえらく気に入ったのか、悦子はちょこちょこと小走りに後をついてきた。 別にあげたくないわけじゃない。 彼女のために買ったものなのだから。 でも、今更なんと言ってあげればいいのかわからないのだ。 プレゼントなんかじゃない、なんて言えそうにはなくて。 かといって、このままあげずにいるのもなんか嫌な気がして。 こういうところも、ますます情けないなと思う。 けれど、情けない自分を思うとふと思った。 理由は中田三郎ではなかったけれど。 自分が何もしてあげてないことに違いはないんだと。 慰めてやりたくて。泣いてほしくなくて。笑顔になってほしくて。 そう思って買ったこれを渡すこともできないなんて・・・。 ぴたり、と足が止まった。 トトッと悦子も立ち止まって、浩之は振り返った。 じっと見つめれば、悦子が不思議そうに首を傾げていて。 笑ってくれるなら、渡すくらい、なんてことない。 そう、自分に言い聞かせる。 ゆっくりと悦子の前にツリーを差し出す。 手にしっかり持ったのを確認してから手を離せば、無くなった重みに少しだけ寂しさを感じた。 「クリスマスイブにツリー貰ったってしょうがないかもしれんけどな」 小さく苦笑する。明日が終われば、ツリーはお役ごめんといったところだ。 それでも、悦子は言った。 「そんなことない。今日も飾って、明日も飾って、来年も再来年もずっとずっと毎年飾るんやから」 ニッコリと嬉しそうな笑顔を浮かべてくれた。 その笑顔と毎年飾る、その言葉に胸が一杯に溢れそうになる。 何もできないプライドなんて、彼女の前では無意味だと思った。 「あ、でもお返し!何も持ってないん、私っ。どしよ?中田三郎にもお返ししてないしっ」 ハッと気づいたように慌ててだした悦子は、ツリーを持ったままキョロキョロと意味もなく周囲を見渡す。 それに含まれた言葉に、浩之は思わずぴくりと眉を寄せた。 そういえば・・・。 勘違いだったとはいえ、自分がまったく知らなかったことを何故にあの男が知っていたのか。 そこは納得いかない。 いつだって、悦子の身近にいたのは自分だったはずなのに。 気づけば危うい自分の居場所。 中田三郎を見るその視線の意味も。いつのまにかそばにいて微笑みあっているその事実も。 いつだって、苛立ちを感じずにはいられなかった。 何もできないプライドなんて・・・本当に、無意味で無駄だ。 ブツ、とどっかが切れたのか。絡み付いていた鎖が千切れたのか。 浩之の手は、悦子の頬へと伸びていった。 「・・・お返しなら、これでいい」 そっと頬を包み込む優しい手のひら。 「え・・・?」 不思議そうに顔を上げたその唇に軽く触れたのは・・・・・・甘い、ぬくもりだった。 「・・・メリークリスマス。−−−悦子、」 優しい声が、囁いた。 END |