「・・・いつまで落ち込んでんだよ」


静まりかえった放課後の教室。隼人はドアに寄りかかりながら、少しばかり低い声で言った。


声の向かう先は、教壇の横に座って膝を抱えている久美子である。





イライラするし呆れもする。


それでもこの場所から動けない。


(あー、もう・・・俺って健気な奴)


なんて思っている隼人に、膝に顔を埋めていた久美子が顔を上げて彼を睨んだ。


「お前に何がわかるんだっ!物凄いショックだったんだっ!」


薄っすらと涙を浮かべて見上げてくる視線に、一瞬「う゛っ」となるけれど。


自分だって、すげーむかついてるしショックなんだと叫んでやりたいと、不機嫌そうに眉を寄せた。


「まわし蹴りぐらいで落ち込んでんじゃねーよ。お前が喧嘩強いなんて、今更じゃねーかっ」


ケッと馬鹿にしたような口調になったって仕方ない。


ううっと小さく肩を震わせてウルウルと涙目で睨まれようとも。


優しく慰めてなんてやらない。やるものか。


そんなことしたら、俺があいつに負けてるみたいじゃないか。


そんなこと死んでも思いたくない。


隼人は弱気になりそうな気持ちをグッと抑えて、久美子のそばにドカッと腰を落とした。











ことの始まりは、30分ほど前のことである。


いつもの隼人達5人組を久美子が見つけ、自然と6人になった帰り道。


目の前に現れたのは、見るからにガラの悪い不良少年達。


まあ、ここまではよくあることで、それほど問題でもなかった。


不穏な空気が漂い、睨み合いが続き。


久美子を想い、喧嘩しなくなった隼人達を他校の生徒達が馬鹿にしたように罵った。


そうとなれば、生徒大好きな久美子。


黙っちゃいられないと、慌てて抑えに入ろうとする5人をふりきって、久美子の怒りの鉄槌が降る・・・


のも、まだ、まだ、それほど問題はない。


だが・・・タイミングが悪かった。


ぐわぁ〜っと怒りに任せ、見事なまわし蹴りが決まったその瞬間を、目の前で目撃してしまった人物がいたのである。


その人物がまずかった。


私の可愛い教え子達を〜と、いつものように啖呵を切ろうとした久美子は、その人物と視線があった瞬間、固まった。


無理はない。


だってその人物は、久美子の憧れの君である、九条先生だったのだから・・・。


ビシッと固まること数秒。かぁぁ〜っと恥ずかしさで一杯なった久美子が、ショックのあまり誤魔化すこともできずに
その場を猛スピードで逃げ出したのは、やっぱり仕方ないであろう。


シーンとなんともいえない空気が漂う中、隼人が久美子の後を追ったのは、愛ゆえか、悔しさからか・・・。








そして、現在に至るのである。








生徒達のためにやったこと。我慢できなくて。喧嘩は駄目だけど。馬鹿にされて黙っているなんてできっこない。


後悔はないけど。生徒達を思えば、恥ずかしいなんて思うはずないけれど。


やっぱり久美子も女性なのだ。


見事に足を上げてひらき、男にも引けをとらないスペシャルなまわし蹴りを好きな人に見られてしまったなんて・・・。


恥ずかしい。でも、恥ずかしくない。


教師の自分と女の自分の狭間で揺れるのは、強い憧れか、恋、か。


「乙女心は複雑なんだーっ!お前にわかるもんかーっ!」


そう、久美子は顔を再び埋めて、そばに座った隼人に叫ぶのだった。


(何が乙女心だッ!人の気もしらね―でッ!)


隼人も負けじと叫びたかった。


テメーの方こそ、わかってねー。


鈍感で無神経で、俺の気持ちなんて全然気にもしてねーで。


悔しすぎる。泣きたいのは俺の方だ。


たとえ憧れであろうと。あの男と自分の扱いの違いを、見せつけられた。


「べつになんとも思われてねーんだから、何見られたっていいじゃねーか。自意識過剰じゃねーの、お前」


悪態吐いて、何が悪い。


好きだけど。もうどうしようもないくらい好きだけど。


それゆえに、彼女が憎い時がある。


自分だけを見てくれればいいのに。


自分のことだけを考えて、想ってくれればいいのに。


そんな気持ちを、久美子は何もわかってくれない。


それでも。それでも・・・。


やっぱりどうしようもなく好きなのだ。


膝を抱えて、涙を浮かべている姿がとても可愛いなんて、想ってしまうのだから、


やっぱり俺って、健気な奴・・・。


そうそっと心の中で呟いて、隼人は、はぁ・・・と呆れた溜息を吐いた。








(・・・っ・・・!・・・なんだよっ・・・うぅっ・・・)


呆れた溜息を吐いた隼人に、久美子はチラリと膝から顔を上げて隼人にそっと視線を向けた。


視線を逸らして、機嫌が悪そうな顔をしている隼人になぜか目許が余計にじわっとしてきた。


こんなにショック受けてるのに。なんでそんなに冷たいんだ、こいつはっ。


そう想うと、なんか凄く悲しい気持ちになってくる。


潤んでいただけの目から、涙が零れそうになるくらい、ずっとずっと悲しい。胸が苦しい。


「そばにいるんだったら慰めるくらいしたらどうだっ!そっそんなんじゃ女の子にモテないんだからなぁっ!!」


グズッと本格的に泣きたい気分になってきた久美子は、なんか悔しくて、悲しくて、叫んだ。


ピクッと隼人の眉が怒りでつり上がる。


「誰がてめーなんか慰めっかよっ!勝手に泣いてりゃいいだろがっ!!」


勢いにまかせて隼人が怒鳴りつけると、久美子の瞳にはますます涙が溢れ出た。


訳もわからず、ボロボロと涙が出てくる。


滲む視界には、隼人の姿があって。


久美子の心は、悔しさと悲しさと、そして寂しさで一杯になった。


(なんだよっ・・・いっつも引っ付いてくるくせにっ!!なんでこういう時にぎゅうってしねーんだっ!!
 女の子が泣いてたら、ぎゅうってするのが男ってもんだろっ!やっぱりこいつは乙女心がわかってないんだ!!)


と、なんだか、久美子は自分じゃ知らぬうちに、結構大胆なことを心の中で叫んでいるのだった。


ようは、隼人に抱きしめてほしいのだ。


彼の腕の中がどれほど暖かい場所か、知っているから。


我が侭でも、子供みたいでも。


彼に。隼人に、ぎゅうってしてほしいのだ。


そんな気持ちをぶつけるように、久美子は突然隼人の胸倉をぐっと引っ掴んだ。


「−−−どわっ!なんっ・・・!」


突然、胸倉を鷲掴みにされて前のめりになった隼人は抗議の声をあげようとして、息を詰まらせた。


一瞬、固まった隼人の胸に、久美子が顔を埋めていたのだ。


ぎゅうっと胸元のシャツを掴んで、久美子はグズグズと泣きながら、隼人に身体を摺り寄せる。


ボロボロと溢れていた涙をこれでもかと隼人のシャツで拭ってやった。


ついでに鼻もかんでやろうかと思ったけど、それはあまりに可哀想だし自分も恥ずかしいから止めとこ。


などと、あくまでも嫌がらせのつもりでやっている久美子ではあるが。


(あーもう、くそっ・・・やっぱ可愛いんだよな・・・)


隼人からいわせれば、ただ超が付くほどに可愛い、まさに胸鷲掴みな行動、なのであった。


慰めてやりたくなんてないけれど。


悔しさに変りはないけれど。


胸の中の彼女が可愛いと思ってしまう。


嬉しさと苛立ちと。複雑な表情を浮かべながらも、隼人は久美子をぎゅうっと抱きしめた。


胸に久美子を囲うように抱きしめて。


そっと囁く。


「泣くだけ泣いとけ・・・」





泣いて。泣いて。忘れろよ。


あいつのことなんか。憧れの気持ちなんか。


涙と一緒に、全部流せばいい・・・。





泣いて。泣いて。泣き終わった時は、俺のことだけ思えばいい・・・。








ぎゅうっと抱きしめられて、久美子はほわっと気持ちが暖かくなるのを感じた。


悔しさや悲しさをぶつけようと嫌がらせしてやったのに、なんかこっちが丸め込まれてる気がするのが
ちょっと気になるけれど。


今はもう、寂しくないから。痛くないから。


まあ、いいか・・・。


なんて、おもった、のも束の間。








久美子は、ハッと気がついた。


自分が結構恥ずかしい行動に出ていたということに。





固まり、そしてモジモジ、マゴマゴ、真っ赤な顔で動揺している久美子に気がついた隼人が嬉しさのあまり


久美子にキスをしまくり、その日別れるまで、ずうっとニヤニヤしていたのは、言うまでもないことであろう。








何はともあれ、今日も二人はすれ違いながらもバカップル街道を歩き続けているのであった。








おわり





あとがき


時期的には、「彼女は一生腕の中」のあとぐらいでしょうか。

いつも、いつも、抱きしめてくれる人がいる。

それって凄く嬉しくて幸せなことだなぁと思います。

寒い冬は特に。(笑)

書きながら、自分でも隼人は健気な男だよなーと、しみじみ思いました。