注意。:冒頭以降の青文字の部分は、ストーリー的には2と続いているのですが、
拓とその友達のお話(男→拓)になっていますので、抵抗のある方、興味の無い方は、
黒字の部分までスクロールしてくださいませ。たぶん読まなくても、大丈夫・・・だと思います。(汗)








幸せになってほしい。


みんな、優しい人だから。


みんな、大切な人だから。




届かないかもしれない。一緒にはいられないのかもしれない。


僕には何もできないのかもしれない。


だけど、どうか幸せに。


それがどんなカタチでも。みんながみんな、想いを通じ合えなくても。


きっといつか、幸せに・・・。




悲しまないで。苦しまないで。


幸せに、笑っていてほしいから。


















「恋って・・・難しいのかな・・・?」


「−−−・・・・・・」


ポツリと呟いた言葉に、高崎は固まった。


手に持っていた缶コーヒーを危うく落としそうになりながら、隣を歩いている拓を見下ろし凝視する。


「・・・拓・・・?・・・なんの話、してんのかな?」


口元を引き攣らせながら、聞いてみる。聞きながら、間違いであってほしいと思いたい。


からかいを含んだ口調とは裏腹に、自然と、胸の中に嵐が吹き荒れる。


「好きあってるのに一緒に居られないのって・・・凄く悲しい・・・よね・・・」


いつだって。傍から見れば苛立つ位に他人中心の拓だというのに。珍しく、独り言のように呟く。


言葉以上に悲しい顔で小さなペットボトルのカフェオレを切なげに見つめる様子に、缶コーヒーを掴む手に力が入った。




バコッと音が鳴って。


ピキリ・・・と頭のどっかがキレる。




「・・・誰のことを言ってる?」


押し殺した、低い声。


「え?」


彼を見上げて、拓は目を丸くした。


明らかに怒っている。


いつのまに?


スチール缶を片手で見事に潰しながら、どこか痛いくらいに鋭い視線を向けてくる男を前にしても拓は相変わらず
きょとりとしている。


「どうかした?」


不思議そうに首を傾げる拓に、高崎の眉がピクリと釣りあがった。


「・・・どうかした?じゃないだろう?・・・なんだ今のは。恋だの好きだの。少し目を離した隙にいったいどこの
 ふざけた馬鹿に妙な意識を植え付けられたんだ?」


今まで。拓の口から恋の話が出るなんて、ほとんどなかったというのに。


ムカツクくらいに男女問わず知り合いが多く。折角誘っても先を越されているか、邪魔で余分なのがついて来るか。


おまけにここ数週間というもの、家からの呼び出しばかりで、まともに過ごせやしない。


困った顔をさせるわけにもいかずに、帰ることを許してしまっていたのだが、


その甘さが不味かったのだろうか?





思い悩むことなど許さない。


恋など、許さない。





「どいつだか知らないが、女だったら容赦なくふっちまえ。男だったら・・・・・・」


男の目が、すぅーと細く、険しくなる。殺気を込めて、彼は言った。


「俺が、殺しておいてやるから。」


恐ろしいくらいに真剣な顔つきで言い放つ男の脳内に、すでに拓の気持ちは欠片もない。


けれど拓は首を傾げたまま。


何のことをいっているのか、よくわからない。


「誰のことかはわからないけど・・・そんな物騒なことは・・・」


「誰のことって、お前のことだろ。誰なんだ、いったい。海に蹴り落とす程度ですませてやるから、言え。」


それも十分物騒なんじゃ・・・。


思わずツッコミそうになるけれど、ふと思い返す。


「お前のことって、僕のこと?」


「・・・・・・・・・・?」


しばし沈黙。


ここへきて、ようやく互いに話が噛み合っていないことに気がついた。


「僕のことじゃなくて、隼人兄のことなんだけど・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・ああ・・・・・・」


拓の言葉に高崎は一瞬だけハッとしたように息を飲み込んで。殺気を潜めて、そっと息をつく。


思えば。この拓にそう簡単に恋というものが来るとは思えない。


なんといっても。信じられないことに、高校生になっても未だに初恋がないらしい人間だ。


「隼人兄・・・好きな人と凄く複雑なんだよね・・・。恋って・・・好きなだけじゃ上手くいかないのかな?」


・・・それに。拓が自分のことで思い悩むことなど、そうありはしないだろうから。








拓は、無垢だ。


気持ちを察することが人一倍敏感でも。素直に気持ちを受け止められても。深読みすることを知らない。


楽しいは楽しい。悲しいは悲しい。好きは、好き。


そんな想いを感じることができても、なぜそう想うのかが拓には時々よくわからない。そう想っているならそれで
いいと、そこで考えるのを止めてしまう。


悲しければ、悲しくないように。辛ければ、辛くないように。少しでも、その気持ちを救おうとして、その訳を
読むことも、知ることもしない。


さっきのことだって、何故高崎が怒ったのかは理解できていないのだ。


「好きあってるのに、どうして切なくなったり苦しくなったりするのかな・・・?」


お互いに特別で。一緒にいたいと想っているのに、離れようとしたり、誤魔化したり。


どんなに考えても、拓にはわからない。


素直過ぎて、無垢で、人の気持ちに敏感でありながら、無知な人間にはわからない。


悲しげに俯く拓の姿をじっと見つめていた高崎も、少しだけ苦しげに眉を寄せた。


許せないと思いながらも、何一つ知らないことが、胸を突く。


「・・・好きだから、苦しいんだろう?」


「・・・え?」


低く呟いた男の言葉に、拓は顔を上げた。


苦しげな表情がそこにはある。


簡単に好きだと言ってしまえるものなら。苦しさも切なさも、胸の痛みも感じられないような好きなら。


そんなもの、好きだなんていわない。


身に染みるほど苦しい想いを知っている自分には、この想い以外の「好き」なんて、なんの意味も持たないのだから。


けれどそれが恋と呼べるのか。好きという言葉で、まとめられるものなのか。


自分自身でも、底が知れない。


恋と呼べるほど、甘くもなくて、優しくもない。


それでも、これが恋と呼べるなら。


「苦しくない恋なんて、あるわけがないだろ?」


「・・・そう、なの・・・?」


問いかけられても。拓はただただ、困惑するばかり。


一つだけわかるとすれば・・・高崎もきっと、苦しいんだなってことだけ。


隼人兄や先生と同じように、切ないんだってことだけ。


だから拓は、少し戸惑いながらも聞いてみる。


「好きなのに、離れたりもするのかな・・・?」


「人によっては、あるんじゃないか。・・・・・・俺は、離れる気も離す気もさらさらないけど。」


「・・・じゃあ、名前を呼びたくても呼べなかったり・・・とか?」


「拓・・・恋なんて人それぞれだ。境遇とか関係とか、性格とか」


「そう、なんだ・・・?」


聞いても、やっぱりよくわからない。


難しそうに首を傾げる拓を見つめる男の視線に、ふっと微かな熱が篭る。


この熱は、やはり恋と変らないのだろう。


たとえ行き場がなくても。



「・・・俺の場合は・・・抱きしめたいのに、抱きしめられない・・・って、とこか・・・」



どこか切ない、感情を含んだ呟き。


その切ない想いに気づきながらも。拓は、その訳を知らない。


ただ同じように、複雑なんだと思っているだけ。


無垢であるほど。純粋であるほど。


それは時に、残酷だったりもする。



けれど拓は考える。


わからなくても。理解できなくても。それでも、何かないのかなって。


他人のための。誰かのための、自分なりの答えを出そうとする。



「でも・・・苦しくても、やっぱり好きなんだよね?」



隼人兄も、先生も。どんなに苦しくても、切なくても、好きな想いは消えないから。



「抱きしめられない人でも、好きなんだよね?」



首を傾げて、ついっと見上げてくる拓に高崎は思わず息を飲む。



「恋は苦しい・・・のかもしれないけど・・・、でも、苦しいだけじゃ、ないよね・・・?」



願うような視線を見つめ返して、高崎はふっと苦笑を浮かべた。


無垢であるほど。純粋であるほど。


それは、とても清らかに澄んでいる。


「・・・そうだな」


そっと拓の頭に手を伸ばして、軽く撫でた。


苦しいだけが恋じゃない。そこに暖かな幸せがあるから、切なくても好きでいられる。


それもまた、身に染みるほど知っているから。





「隼人兄が先生の名前を呼べて、先生が隼人兄とずっと一緒にいられて」




にこりと優しく笑って。




「高崎が好きな人を抱きしめられたら、いいね」




少しだけ、残酷な言葉を拓が言ったとしても。




この想いが変わることはないのだから。











「―――腹減ったな。なんか食べに行くぞ?」


いつのまにか止まっていた足を再び動かし、丁度見えた自販機の隣の空き缶入れへと潰れた缶を投げ入れる。


「うん」


宙を飛ぶ缶を目で追っていた拓は、頷いて。残っていたカフェオレをコクコク咽へと流し込んだ。


「無理して飲むな。」


一息ついて。再度口元へと持っていこうとする手から、すっとペットボトルを取り上げる。


もう片方の手に持っていた蓋も取り上げて、蓋をするとそのまま歩き出した。


「え、あ、自分で・・・」


流れるような仕草で、あっという間に先を歩く高崎に拓は慌てて後を追おうとするが、その瞬間、


上着のポケットにしまっておいた携帯が鳴った。


「?・・・誰だろ?」


取り出して、思わず立ち止まってしまう。


「・・・せんせい・・・?」


表示された名前をポツリと呟く。


少しだけ。軽くなったはずの不安が、また心に過ぎっていた。


「―――もしもし?・・・先生?」


戸惑いながらも携帯を耳元に当てる。


その様子を高崎は少し先で立ち止まって見ていた。



『拓君・・・ごめんな?』


携帯から聞こえてきたのは、少し擦れたような小さな声。


『・・・今、拓君の家にいるんだけどさ・・・矢吹がさ、出かけちゃって・・・』


「・・・え・・・?」


微かに苦笑いを含んだ。でもいつもとは違う、明らかに沈んだ声とありえない言葉。


隼人兄が先生をおいて出かけてしまうなんて、無いはずなのに。


『私、用事があって帰りたいんだけど・・・。鍵掛けないとまずいだろ?』


「あ、はい・・・それは・・・」


『だからさ。ちょっとだけ、帰ってこれないかな?』


久美子の言葉に、拓は頷く前に高崎を見やった。


少しだけ耳元から携帯を離して、躊躇うように拓が言うよりも先に少し大げさに溜息を吐く。


吐きがてら、しょうがないというように彼は頷いた。


拓は困った顔をしながらも小さくごめんね、といって、久美子に帰ることを伝えると電源を切った。




「・・・ありがとう・・・?」


高崎が差し出してくるペットボトルを拓が手に取ろうとして。けれど、高崎はペットボトルを遠ざけてしまう。


不思議そうに首を傾げる拓に軽く笑って、彼は言った。


「この前行った喫茶店で食ってるから、時間があいたら来い」


「・・・うん、わかった。」


申し訳なさそうに、それでもにこりと頷いて。拓は背中を向けて、かけていく。


高崎はその後姿をしばらくの間、見つめていた。








いつも思う。拓は、風のようだ、と。


穏やかな、優しい風。


誰のそばにも。どんなものの近くにも。必ず、そばで吹く風。


包み込むようにふわりとそばへ来ては、心を少しずつ動かしていく。


そして悪気もなく、嵐を起こしていく。


どこか現実と離れていて。欲望も、汚さも、狡さも、醜さも、心に持ったことのない。


他人ばかりの。自分を知らない、自分を感じもしない。人なのに、人じゃないような存在。




ただ



本当に、風ならばよかったのかもしれない。


気まぐれに吹く、捕らえることなどできない風なら・・・誰もその存在に心を奪われることはないのに。


優しさをくれて。「来い」と言えば、すぐに来て。捕らえようと思えば、簡単に捕らえられる。


だけど困ったり戸惑ったりする心情に、鎖で繋ぐことを躊躇わせる。





同じ学校の奴が言った。


漫画に出てくる、金斗雲みたいだと。


その言葉の意味を知った瞬間。それを言った奴も、頷いた奴も。本気でぶん殴ってしまいたいと思った。


事実、きょとりと首を傾げる拓の姿がそこになかったなら。きっと、そうしていただろう。


呼べば、どこからでも飛んでくる雲。従順な雲。拓を馬鹿にされたような気がしたから、殴りたかったわけじゃない。


言った奴も。頷いた奴も。そんな意味で言ったんじゃない。馬鹿にしたわけじゃないことを、嫌でも知ってしまった。


自分は雲に選ばれた。自分は、雲を手に入れた。


一人一人が、その瞬間。拓を、自分の物のように言ったことが、たまらなく許せなかった。





風でもいい。誰のそばにも、同じように吹く風ならいい。


だけど・・・。


思い悩むことなど、その心を誰か一人のもので満たすことなど許さない。


恋など許さない。


誰かの物になるなど、許さない。


でも、もし。一人の人間の風であるなら。一人だけを包む風になるのならば。


その一人は、俺でなければ、許さない。


思い悩む理由も。心を満たす存在も。恋をするのも。


俺だけで、いい。


物にするのも。鎖で繋ぐのも。


俺だけで、いいのだから・・・。








手に持ったままのカフェオレを揺らす。


「戻ってくるまでの、代わりだな」


蓋のところを握り締めて、高崎は拓とは反対側へと歩き出した。


四分の一ほど残ったカフェオレが、ボトルの中でユラユラと自由に揺れる。


零れないように。逃げ出せないように。


握り締めた手に、ひっそりと・・・黒い影を宿して・・・。



















何度も、何度も。涙を拭った。


大丈夫・・・。そう、言い聞かせながら。











「・・・先生・・・?」


久美子の電話を受けて、急いで帰ってきた拓は、居間の隅で久美子の姿を見つけていた。


ビクリと震えて振り向いた久美子の瞳は赤く染まって。頬が涙で濡れていた。


どんなに拭っても、隠せない泣き顔。


それでも久美子は無理やりに笑顔を浮かべ続けた。


「ご、ごめんなっ・・・拓君っ・・・」


歪んだ笑顔を浮かべてるのもわかってる。


誤魔化せないのもわかってる。


だけど・・・気づかぬふりをしてほしかった。











「・・・はい。」


にこりと微笑んで、拓は久美子にカップを渡した。


静まり返った、どこか冷たい居間に暖かなコーヒーの湯気と香りが漂う。


「ありがとう・・・」


カップを両手で包み込んで。その暖かさに、また涙が出そうになる。


帰らなきゃいけないのに。もうここにいちゃいけないのに・・・。


久美子は動くことができない。


「・・・喧嘩、したんですか・・・?」


隣に座った拓が、小さく呟いた。


首を傾げながら不安げな表情の拓に久美子の瞳が揺れる。


言わなきゃ・・・。


きっと・・・もう、最後なのだから・・・。


「あの・・・な・・・?拓君・・・。もう・・・ここには、来ないと思うんだ・・・」


「・・・・・・」


驚くこともなく。戸惑うこともなく。


拓は・・・わかっていたというように、悲しげな表情を浮かべた。


けれど、拓は問いかける。


「どうして、ですか・・・?」


好きなのに、どうして・・・?


真っ直ぐな視線が。素直な問いかけが、久美子の心を苦しめる。


苦しそうに今にも泣き出しそうな顔。


それを知っていても。拓は、聞かずにはおれなかった。


「どうもこうも・・・元々・・・可笑しかったんだ・・・。」


久美子は何かを隠すように。視線を泳がせて、言う。


「教師が生徒の家に遊びに来てるなんて・・・変だろ?わ、たし・・・は・・・あいつの先生なんだから・・・」


ひくりと、喉に引っかかる。熱いものが込み上げてきても、久美子は口元を引き上げ続けた。


ただただ・・・必死にもっともらしい言葉を並べる。


あいつは生徒なんだ。私は先生なんだ。こんなこと、今までのことなんて・・・あっちゃいけなかった。


いけなかったんだ。


押さえきれない涙が視界を滲ませていく。





本当は・・・そんなこと、思ってもいないくせに・・・。





心の奥底で、誰かが言った。





引き攣る頬。痛みが走って、自嘲的な笑みが浮かぶのと同時に涙が頬を流れた。


押さえつけるように。耐えるように、ギュッと瞳を閉じる。


ポツポツと、落ちた雫が震える手を濡らしていくのを感じていると・・・拓が呟いた。





「・・・だから、隼人兄の気持ちを無視したんですか?」





「−−−っ・・・!?」





深い、深い奥底に・・・鋭い何かを突き刺された気がした。





「・・・本当は・・・違うんじゃないんですか・・・?」





責めるわけでもなく。ただ穏やかに、そしてとても悲しそうな声が・・・久美子は恐いと思った。


「教師と生徒なんて・・・そんなに大きな問題じゃないこと、先生、わかってるんですよね?」


「・・・な・・・んのっ・・・こと・・・・・・」


カタカタと・・・鳴りそうになる歯を押さえるかのように口元を手で押さえる。


それ以上言わないでほしい。


隠しているものが、溢れてしまうから。


震える身体を小さくして。久美子はギュッと強く視界を閉ざした。


耳を塞ごうとして・・・。その瞬間、聞こえてきた言葉に・・・手が止まった。





「だって先生は、隼人兄のことが好きだから・・・」





穏やかで、優しい声。


誘われるように顔を上げた先で。





「・・・隼人兄が生徒だから。担任だから、そばにいたんじゃなくて、好きだから・・・隼人兄が好きだから、

 そばにいたんですよね?」





拓は、優しく微笑んでいた。


穏やかな笑顔。全て見透かされている・・・。


そう感じた時。久美子は・・・あまりの恥ずかしさに。





「・・・拓君には・・・わからない・・・。」





醜さに・・・思わず声を上げていた。





「・・・何年経っても、何があっても、あいつとずっと一緒にいられる拓君にはっわからないよっ!!」





拓君の言うとおり。教師や生徒なんて、本当はただの言い訳。


もっともらしい言い訳で、醜い自分を隠したかっただけ。





「いつか離れるんじゃないかって・・・いつか嫌われてしまうんじゃないかってっ・・・そんなことばっかり考えて」





家族だったら。兄弟だったら。もっとそばにいられる?もっとずっと一緒にいられる?


担任になれたことを幸せに思いながら、違う場所じゃ・・・そんなこと考えてる。





「離れたくなくてっずっと一緒にいたくてっ・・・でも・・・そんなの・・・きっと無理だって・・・無理なんだって」





こんな私。


歳だって違う。いつか、きっと・・・もっと歳が近い人や、素敵な人を好きになるんだって思った。





「だからせめて嫌われないように・・・せめて教師でいられるようにって・・・そう・・・思ったんだ・・・」








嫌いにならないで・・・。ずっとそばにいて。


他の人を・・・好きにならないで・・・。





どうしてっ・・・こんなに、自分勝手な思いをもってしまったんだろう。


幸せなら。あいつが幸せに笑ってくれれば、それでいいと、そう思っていたはずなのに・・・


いつのまにか・・・思えなくなっていた。


同時に・・・そんな自分が、とても嫌だった。


知られるのも、嫌だった。





しがみついて。すがりついて。


こんな気持ちを知られて嫌われるくらいなら・・・離れた方がましだと思った。


無視した方が・・・傷つけた方が楽だと・・・。


「自分勝手で・・・おかしくて・・・酷いと思うだろ?」


吐き出して、少しだけ気持ちが落ちついたような気がして。


そんな自分も・・・やっぱり酷いと自嘲的に笑う。


なにも言わず、ただじっと久美子を見つめていた拓は、少しの沈黙の後。





「酷いと、思います。」





真っ直ぐに見つめて、拓は言った。


瞳を揺らしながら、久美子は耐えるようにキュッと口元に力を込めた。


戸惑いもない。素直な言葉が、自分で思う以上に胸を締め付ける。


そんなことないですよって、優しい笑顔で言ってほしかったなんて・・・。


俯いて、涙がこぼれそうになる。


涙を腕で拭う様を見つめながら。それでも拓は戸惑うことはしなかった。


真っ直ぐに見つめ続けたまま、言葉を続けた。


「でも・・・先生?・・・先生が酷いのは、自分勝手だからじゃ、ないですよ・・・?」


「・・・・・・・え・・・?」


思いもしない言葉に久美子は顔を上げた。


涙で滲む視界に映るのは、はっとするほどに穏やかな笑顔。


優しく微笑みながら、拓は言った。





「先生が酷いのは、嘘をついたことですよ?・・・隼人兄にも自分自身にも、嘘をついたことです」





拓の言葉に、久美子の瞳が大きく見開いていく。





「・・・本当のこと何も言わないで、嘘を吐いたままでいいんですか?」





溜まっていた涙が頬を流れて・・・。





「自分の気持ち、何一つ言わないなんて酷すぎます」





にこりとした、微笑。





優しい想いが・・・心を包んでいくような気がした。


暗く、濁っていた心の奥底さえも・・・包み込むように・・・。


優しい想いに心が触れて・・・。


久美子の瞳が涙で溢れ出した。


「・・・っ、・・・・・・ふっ・・・」


何かが溶け出していくように、あとから、あとから・・・涙が溢れていく。





ボロボロと、零れ落ちる涙。


とても簡単な言葉。とても、当たり前の言葉。


それでも久美子にとって・・・それは、どんな言葉よりも・・・嬉しい言葉だった。





本当は、言ってしまいたかった。


自分勝手な自分。そんな自分を嫌いになりたかったけど、それ以上に・・・言ってしまいたかった。


言ったら・・・。きっと言ったら、あいつは嫌な顔をするかもしれない。疎ましく思うかもしれない。


だけど。だけど・・・嘘を吐くのは辛すぎて、苦しすぎて・・・


本当は、ずっと・・・気づいてほしかった。





一緒にいたい、と。離れたくない、と。一緒にいたいんだ、と・・・。














ボロボロと泣いて。


グズグズと、まるで子供のように泣いて。


それでも拓は・・・優しく微笑んでいた。








泣いて、泣いて。沢山泣いて。


少し落ち着いて。涙を腕で拭いながら顔を上げた久美子に、拓は言った。


「言って、あげて下さいね・・・?」


少しだけ悲しげに微笑んで。遠慮がちに窺がうような声が拓君らしいと、久美子は小さく笑った。


「隼人兄が思っている以上に先生が悲しんでるのと同じくらい・・・隼人兄も、先生が思う以上に悲しんでると思うから」


だから、言ってあげて下さい。


その言葉に・・・久美子は思わず戸惑ってしまう。けれど・・・


「・・・そう、だよな・・・。言わなきゃ、な・・・」


少しのあと、彼女は小さく頷いた。











「コーヒー、入れますね」


空になっていたカップを持って、台所へと向かおうと立ち上がった拓に久美子はふっと思う。


わかっていても。言わなきゃいけないと思っていても。やっぱり心は臆病になってしまう。


「・・・拓君は・・・どうして、そんなに素直でいられるんだ?」


羨ましいと思う。その穏やかさも、その優しさも・・・。どんな時でも、素直でいられることを。


拓は久美子の言葉に足を止めた。少しだけ戸惑うように振り向いて、拓は・・・微笑んだ。


それは、悲しそうで。いつも見せる困った苦笑とも違う。どこか・・・。


久美子が一度も見たことのない、寂しげな笑顔だった。


「・・・拓、君・・・?」


不安げに問いかける久美子に、拓は寂しげな笑顔のまま呟いた。





「・・・僕は・・・手を引かれて歩いているから・・・」





「え?」


首を傾げる久美子に拓は微笑む。


「一人じゃ、なにも出来ないんです。それじゃ駄目だって、わかっていても・・・歩くことは出来なくて・・・。
 甘えてるんです・・・。お父さんにも、隼人兄にも、友達にも・・・。」


誰かが居てくれなければ、誰かの存在がなければ。きっと自分はなにも出来ないんだろうと思う。


動くことも。思うことも。出来ないような気がするから。


「だから、素直でいるんだと思います。前を向くことしか・・・素直でいることしか、僕には出来ないから・・・」


大切な人達に。優しい人達に。自分が出来ることは、きっとそれしかないから・・・。


にこり、と・・・微笑む。


久美子は一瞬だけ悲しげに俯いて。そして小さく問いかけた。


「・・・恐いって、思ったことない・・・?」


「・・・?」


「・・・前を向くのが恐いって、思うこと・・・」


手を引かれて。前を向いたら・・・。その人が、嫌な顔をしていたら?


もしも・・・優しすぎて、手を離せないでいるだけだと気づいたら・・・?


素直になって。前を向いて。その人の本当の心の中が見えてしまったとしたら・・・?


それを見るのが恐いと・・・思わない?


問いかける久美子に、拓は手に持ったカップに視線を落とした。





「恐いけど、でも・・・。僕は、知らないことの方が恐いと思うから・・・。」





なにも知らずに、気づかずに・・・突然手を離されることの方が、恐い。


悲しい顔をさせたまま。傷つけたまま歩くことの方が、ずっと・・・恐いから・・・。


「それに、後ろ向きで歩くことの方が大変だし、恐いです」


そういって、久美子に視線を戻した拓は笑った。


いつもの穏やかで優しい笑顔で。


久美子はその言葉にはっとして。そして・・・つられるように優しい笑顔で笑った。


「やっぱり、いい子だな。拓君は」


「・・・そう・・・ですか・・・?」


戸惑う拓に笑顔を深める。


「いい子だよ。一人じゃ生きていけないことも、そばにいてくれる人の大切さも知ってる。それって当たり前のことだけど、
 思うように受け止められないことってあると思う。私だって、一人で突っ走っちゃったり、受け止められなくて突き返し
 ちゃうこともあるんだから・・・。だけど拓君は、それをちゃんと知ってる。それって、凄いことだと思うよ。」


優しく、暖かな笑顔。


ふわりと微笑む久美子の言葉に、拓は少しだけ戸惑いながらも。


「・・・ありがとう、ございます・・・」


そっと呟いて。そして穏やかに、どこか嬉しそうに、にこりと微笑んだ。


久美子は、その笑顔にホッとして。


そして・・・胸に想いがこみ上げてくるのを感じていた。





似ていないと、思っていた。


全然、何一つ違うと思っていた。


けれど二人はやっぱり兄弟なんだと、この時初めて思った気がする。


拓の嬉しそうな笑顔に、隼人の顔が浮かんでいた。


拓のような穏やかさはないけれど。


どこか人をからかうように笑っていることが多かったけれど。


嬉しそうなその笑顔は・・・。


拓と同じように・・・優しさで溢れていたことに、気づく。


途端に溢れる、涙と想い。


彼の笑い顔が。あの暖かなぬくもりが・・・。


心に・・・込み上げていた。





「・・・っふ・・・や・・・ぶきっ・・・」





溢れ出す、涙。


止め処なく溢れる涙と一緒に。


隼人への想いが溢れていく。





「やぶきっ・・・っひ、・・・っく・・・やぶ・・・き・・・っ・・・」





あいたかった。


とても、とても・・・今すぐに・・・あいつに、あいたかった。











(・・・隼人兄・・・)


再び泣き始めてしまった久美子に、拓は玄関へと続く廊下へと視線を向けた。


隼人兄が今すぐにでも、先生の元へ来てくれるように。


先生の想いが。隼人兄に届くように。


二人の想いが通じるように・・・。


願いながら、泣き続ける久美子へとそっと暖かなコーヒーの入ったカップを渡そうとして、
ふっと何か物音が聞こえた気がして再度廊下へと視線を向いた。


「・・・?」


違和感を感じて。もしかしたら・・・。


そう思いながら、カップを手に持ったまま、拓は廊下へと出た。


・・・そこにいたのは・・・。





「・・・隼人兄・・・!」


拓は嬉しそうに笑顔を浮かべて、久美子には聞こえないくらいの小さな声で隼人の名を呼んだ。


居間から出て、すぐ近く。玄関から少し入った廊下に、隼人は壁に背を預けて佇んでいた。


拓の声に隼人は俯いていた顔を上げた。


微かに戸惑いを見せる隼人の表情に少しだけ不安な顔をして。


それでも拓はにこりと笑って、隼人のそばへと歩いた。


「・・・はい。」


カップを、差し出す。


「・・・・・・・・・・・」


隼人は躊躇いがちに、それを受け取った。


それ以上何も言わず。拓はそのまま玄関で靴を履くと、


「行ってくるね」


と、いつものように、なんでもないように隼人に声を掛けて家を出て行こうとする。


「・・・・・・拓・・・・・・」


扉に手をかける拓を隼人が呼び止めた。


振り向いて首を傾げている拓に、隼人は呟く。


「・・・ありがと、な・・・」


どこか戸惑うようなぎこちなさを感じる微笑み。


拓は、一瞬だけキョトリとして・・・。





「−−−うん。」


にこりと笑って、頷いた。











続く・・・。





あとがき


な、なんかこれからって時に続けちゃってすみませんですっ。

おまけに趣味走りすぎ・・・。

でも、一番書きたかったストーリーでもあるので、ホッとしています。

次回で「春〜」は終わりかと。次は、ちゃんと隼クミですので。

それにしても久美子さんが・・・。さ、賛否両論あるかと思いますが・・・(否定ばっかだったらどうしよう・・・)

ど、どうか大目?に見てくださると助かります。・・・って、書いたことに後悔はないんですけどね。(苦笑)