「お前、物投げる癖直したらどーだ?・・・角が直撃したぞっ・・・!」


拓が買い物に出かけた後、久美子は箱の角が直撃した頭を擦って言った。


ちょっぴり涙目になっている久美子に少し悪いと思いながらも、隼人は背中を向けている。


(・・・てめーが悪いんじゃねーかっ・・・)


自分は未だ一回も誘いの言葉を掛けてもらっていないのに・・・。


ふんっと不貞腐れてる隼人の様子を、頭を擦りながら見ていた久美子は、ふっと思った。



今なら、言ってしまえそう・・・?



躊躇うように視線をさ迷わせて、おどおどしながらも少しだけ隼人に近づいて、久美子はポツリと呟いた。


「・・・あの・・・ごめん・・・な?」


「・・・・・・?」


小さな声に振り向けば、久美子がすぐそばで俯いていた。


「なにが?」


表情が見えなくて下から覗き込めば、切ない瞳がある。


「・・・怒ってばっかで・・・」


「・・・はあ?」


(・・・そんなんいつものことじゃねーか?・・・わかんねー・・・)


難しそうな顔で頭を掻く隼人に気づいて、久美子は少しだけ緊張を解いて顔を上げた。


「とにかく、ごめん・・・・・・」



怒ってばっかで。叱ってばっかで。


本当に、ごめんなさい。



「・・・それから・・・ありがと・・・な」



想ってくれて。大切にしてくれて。


本当に・・・ありがとう。





「ありがとう。矢吹・・・」



「−−−っ!?」





優しい声と共に、久美子は柔らかく微笑んだ。


ほんの少しだけ恥ずかしそうにして。はにかむように。


頬を染めて、ふわりと優しいキレイな笑顔・・・。





(ふっ・・・不意打ちっ・・・・・・)


隼人は、見事にやられていた。





思わず赤くなる顔を隠すように俯いて、それでも足りなくて手で顔を覆った。


ドクンドクンと鼓動は鳴って。想いが、溢れ出してくる。


(・・・触れるくらい・・・キス・・・ぐらい・・・いいよな・・・?)


正直、かなりやばいけど・・・。


「・・・キスだけ」


「・・・は?」


「キスだけなら・・・大丈夫だよな」


「・・・な、なんの・・・お話・・・かな・・・?」


妙な空気を感じて、ジリジリと後退りを始めた久美子の腕を、隼人が掴んだ。


そのまま身体を腕の中に引っ張り込んで、唇を奪う。


「んっ・・・!」


咄嗟に突っぱねようとする手を退けて、両手で頬を包むと、さらに深く口付けた。


「・・っ・・・やぶきっ・・・ん・・・ふっ・・・!」


声も頬も唇も・・・。触れてるもの、聞こえててくる声、全てが彼女は柔らかく甘く、押さえきれない。


ぎゅっと目を瞑って、しがみ付いてくる仕草も可愛い。


「・・・んっ・・・はぁっ・・・」


思う存分に味わって、名残惜しそうに唇を離した。


「・・・山口・・・」


「はぁ・・・・・・」


胸にしがみ付いて肩で息をする久美子の背中に腕をまわして抱き込んで、そっと頬に触れる。





艶やかな髪は指をすり抜けて。白い頬は真っ赤に染まって。


赤く柔らかな唇は、甘く濡れる・・・。


虚ろな瞳には涙が溢れ、赤い頬を涙が伝う・・・。





思い浮べたものが腕の中にあって、熱に流されそうになるけれど。


隼人は、彼女の唇に触れるだけのキスを落とした。


「ん・・・やぶき・・・?」


ピクリと震える身体を優しく包んで、小さく笑う。


久美子は腕の中にいる。勇気の無い自分には、それだけでも贅沢すぎる。


きっと・・・もっと欲を出せば、失ってしまう気がするから。


だから、隼人は堪えることを選んでいる。



信じているから・・・。いつか言えることを。自分を、想いを・・・信じているから・・・。



「勇気付けて、言葉にできたら・・・お前、覚悟しとけよ?」


「・・・?」



そっと囁いた言葉に、久美子は不思議そうに隼人を見上げていた。



あまりに疎く、キレイな、久美子。



苦しくない程度にきゅうっと抱きしめて・・・。


腕の中にあるぬくもりに、隼人は心から安心して、ほうっと息をついた。





けれどやっぱり、甘い余韻や雰囲気がなくなると、そこは男・・・チラリと思考は片寄りがちになるもので。


「−−−今すぐ帰って来いっ!途中だろうと帰って来いっ!速やかに車に気をつけて、帰って来いっ!いいなっ!!」


唯一の支えである拓を、ものすごい勢いで呼び戻すのだった。














そして6時を過ぎた頃。


丁度仕事を終えて家に帰ってくる日だった博史も加わり、4人の夕食が始まった。


メニューは、マーボー豆腐だ。


「そうですか。やはり就職ってのは難しいもんですよね。ましてや、家の馬鹿息子なんて・・・」


「ハッ!てめーと一緒にすんじゃねーよ。本気になれば、仕事なんてすぐに見つけてやるよっ」


「どうだか。甘いもんじゃねーぞ?世の中は。そうですよね、せんせ?」


「−−−はえ?」


にこやかな笑顔で話を振られた時、丁度れんげをはぐっと口に含んでいた久美子は間抜けな声をあげた。


(・・・いつでも可愛い人だなー・・・)


と、目を細める博史に、隼人の眉がぴくりと上がる。


慌ててれんげを口から離し、照れ笑いを浮かべながら口元を手で隠す久美子に拓がティッシュを渡した。


「はい、先生」


「あ、ありがとっ・・・ハハッ・・・美味しくって、ついっ・・・」


「そうですかっ。それはよかった!どうぞどうぞ、遠慮なくお好きなように食べてください!」


「・・・てめーが作ったんじゃねーだろうがっ。材料費は俺だ、なんていうなよ、ケチ野郎」


「や、やぶきっ!」


いくらなんでも失礼だぞっ!!と、止めに入る久美子を無視して、隼人はマーボー豆腐を口につめ込んだ。


そうとうお小遣い無しの話が痛いらしい。


困ったように苦笑している拓の様子から、どうやらその話を隼人が知ったらしいと悟った博史は素っ気無く言い放った。


「何ヶ月も仕事が見つかんなくても、小遣いは無しだからな。拓、お前も与えるんじゃないぞ?」


「拓にそんなことさせるわけねーだろっ!!」


「どうだかなー。ねえ、先生?」


「そうですねー」


にっこりと笑い合う博史と久美子に、隼人の機嫌は最悪に悪い。


わなわなと肩を震わせながら、どうしてくれようと背中に黒い空気を漂わせ始めた隼人に、拓は、


(食べ物には手を出さないでくれるといいな・・・)


と、ちょっとズレたことを思いながら、のんきにお茶をすすっていた。


クソ親父はおぼんでぶったたくとして。むかつきが治まりそうにねーのが、こいつだっ。


隼人は博史とも随分仲良くなっている久美子を、じと〜っと睨みつけながら、考えた。


そしてふっと、前々から考えていたことが頭に浮かんだ。



「・・・そーいやー親父。てめーにずっと言わなきゃいけないことがあったんだよな」


「なんだ、矢吹。お前、親父さんに隠し事なんてしてたのか?」


きょとんと首を傾げる久美子に、隼人の口元に嫌な笑みが浮かぶ。


「こいつの実家、任侠だから。」


「−−−んなっ!?」


隼人の口から出た言葉に、久美子は驚愕の声を上げた。


固まったまま隼人を見れば、彼はしてやったりと勝ち誇った笑みを浮かべている。


(こっこいつっ!!)


思いっきり顔を引きつらせて隼人を睨みつける久美子だが、すぐにそれどころではないと慌てふためいた。


「あっあのっ・・・あのですねっ・・・!!」


(こっこれはっご、誤魔化すべきかっ?!いやっ、ご飯までご馳走になってるのにそれはっ)


もう何からしゃべっていいのか、なんて言ったらいいのかわからずに久美子の頭がパニクっていると、


ふと、きょとんとした声が聞こえた。


「にんきょう?」


その世界をあまり知らない拓は、その言葉の意味がわからず首を傾げている。


「−−−お、弟君ッ!!あ、あのっそのっ」


(いやだ〜拓君になんていったらいいんだ〜〜っ!!)


仲良くお買い物とかまでしたいと思っている久美子は、拓に知られるのが一番のショックである。


頭を抱えて泣きそうになっている久美子を横目に、隼人はにこりと拓に教えてやった。


「ほら、拓。道でたまーに渋いっつーか古いっつーか、そんなん着てる奴とかいんだろ?
 あとテレビで、極道とかっていう、あれだよ」


「やぶき〜〜っ!!」


「極道・・・ああっ!だから、先生の口調って、ちょっと男の人みたいなんだ」


不思議に思っていたことがやっと解決したとちょっと嬉しそうに微笑む拓に、久美子は拍子抜けした。


「え・・・あの、それだけ・・・?」


もっと恐がるとか、逃げ腰になるとか・・・。


そういう反応をしてほしいわけじゃないけど、そんなにこやかに納得されることがないため、返って戸惑ってしまう。


「・・・?・・・べつにすごく悪いことしてる・・・とかじゃないんですよね?」


「もっもちろんだっ!!」


力一杯叫んだ久美子に、拓はにこりと笑った。


受け入れてくれたのが嬉しくて、思わずテーブルの向かいにいる拓へと伸ばしそうな久美子の手を隼人が追っ払う。


キッと睨み合う二人をほっといて、拓はふと博史に目を向けた。


「お父さん?」


拓の声にハッと思い出した久美子も慌てて博史に向き直り、隼人も憮然とした視線を送る。


博史はテーブルに手をついて、なぜか深く項垂れていた。


その肩がちょっと震えてるような気がして、久美子はちょっとビビッてしまう。


「あ、あの矢吹さん?け、けして、内緒に・・・は、してたかも知れませんが・・・あのっですね・・・」


わたわたと焦って言葉を詰まらせる久美子に、博史は腕でごしっと目を擦って顔を上げた。


「・・・なに泣いてんだ?このじじい・・・?」


「・・・?」


「す、済みませんでしたっ!あの・・・」


「いえっ先生っ。実家が任侠だろうと、そんなことは全然かまわないんですよ」


「・・・え?・・・でも・・・」


「いや。これはですね。私のささやかな夢が無くなってしまって、ちょっとショックだっただけですので・・・」


「・・・はあ?」


「・・・じじいのささやかな夢ってなんだ?拓、知ってるか?」


「う、ううん・・・知らない・・・」


「拓と私の、本当にささやかな夢なんで、先生はお気になさらずに・・・」


「えっ?ぼ、僕もっ?」


「・・・拓を勝手に巻き込んでんじゃねーよ・・・じじい・・・」


「人聞きの悪いっ!!これは確かに拓と俺の夢だぞっ!!なあ拓っ!!」


「え?・・・な、なんかあったっけ・・・?・・・先生の・・・・・あ・・・」


「なんだ?なんかあんのか?拓」


「お、弟君っ?なんだっそれはっ?」


「・・・えっと・・・・・・お嫁さんのこと・・・かな・・・?」


「「お嫁さんっ?!」」


「・・・うん。・・・お父さん、自分の奥さんは諦めて、隼人兄のお嫁さんに期待してたみたいで・・・」


「・・・なんかクソ親父が考えてるって思うと、かなり嫌で妙な気配がするんですけど・・・?」


「−−−・・・・・・・・・・・・・・」


「にんきょうってことは、家柄もちゃんとしてるだろうから・・・たぶんそれで、お嫁さんには貰えないって
 思ったんじゃないかな?」


「お前は婿だろうがなんだろうが、どこにでもくれてやってもいいけどな。
 先生がお嫁にこないなんてっ・・・ああっ!ショックっ・・・」


「・・・馬鹿かてめー。・・・つーか、てめー・・・なんか妙な想像してんじゃねーだろうなっ!?」


「なんだとっ!!俺は純粋にお前達を応援してやってるんじゃねーかっ!!」


「てめーのどこか純粋だっ!?あ゛ぁ゛っ!!」


「・・・はじまっちゃった・・・。あれ・・・?・・・先生?」


いつものように喧嘩を始めた二人に困った溜息を吐いた拓は、久美子を見て、首を傾げた。


そういえば、さっきから大人しい・・・。


「あ゛っ?!なんだっどうしたっ!!」


拓の声を素早く耳にした隼人がものすごい剣幕のまま目を向けた、次の瞬間・・・。





「−−−や、山口っ?!?!」


「「−−−せっ先生っ!?」」





久美子は真っ赤な顔で・・・きゅ〜〜っとぶっ倒れてしまった。


奥さんやお嫁さんという言葉に、思考がショートしたらしい・・・・・・。



タオルタオル、扇ぐもん扇ぐもんと、家中を慌しく動き回ること、数分・・・。


熱さまシートと、なにか冷たい物を買ってくるとコンビニへと走った博史を除いた矢吹家は、だいぶ静かになっていた。








「窓、開けようか?」


「そうだな」


いまだ真っ赤な顔で気を失っている久美子の額に濡らしたタオルをそっと置いて、拓は窓を開けた。


うちわの変りに下敷きで久美子を扇いでいた隼人は、風が入ってくるのを感じて手を止めると、久美子の頬を触れる。


「・・・あれぐらいでぶったおれんなよな・・・」


やっぱ疎い奴。はぁ・・・と溜息を漏らす隼人に、窓の外を見ていた拓が笑った。


「そういえば今度の日曜日ぐらいが丁度満開なんだって。・・・お花見の約束した?」


「まあ・・・な・・・。こいつが掛けてくりゃーいいんだけど・・・」


「・・・まだまだ複雑なんだね」


「季節は春でも・・・俺らの春は、まだまだ遠い先かもな・・・」





まだ少し冷たい風を感じながら。


う〜んと唸っている久美子に、隼人は再度深い溜息を吐いた。





拓が言うとおり。まだまだ複雑な二人である。













あとがき


か、閑話なのに、ものすごく長くなってしまいましたね・・・。

一応、実家のことをばらすために用意していたのですが、こんなに色々引っ付くとは、書いてる私も驚きでした。(苦笑)

前回のお花見に関しては、次回のお話に入ることになってますので。

たぶん切ない系です・・・。久美子の後ろ向き悲観的さが結構痛いかもしれない・・・。

う〜ん・・・それにしても、シリーズ当初から比べると、隼人はどんどん良い男になってますよね。

何気に優しいし久美子のことも心底大切にしてるし。