溢れる幸せ





放課後。竜は門を出たところで、思わず足を止めた。


校門前の広場で、照れたような笑顔の久美子が九条を見上げていた。


敵は、弁当だけではない。


けれど竜は二人に近づこうとはしなかった。


知らないふりをして、避けるように歩き出す。


一段一段階段を降りて二人から離れていく。


下りきって、竜は振り返った。


二人の姿は当然見えない。





夕暮れに染まり始めた空へ、竜は深い息を吐いた。


近づけない自分へと。臆病な自分へと。


深い深い、溜息を吐く・・・。





「・・・・・・バカな奴・・・・・・」


ボソリと呟いた。





彼女がそばにいなければ、なにもできないバカな男。


自分からは近づくこともできない、バカな男。


いつまでたっても臆病で、待つしかできない愚かな男。


それに比べて心の中は、実に欲深い・・・。





自嘲的な笑みを浮かべて、竜はまた歩き出した。





階段上の二人など見なかったことにして。


忘れたように歩き出そうとしたのだが・・・





「おーだーぎーりーーーっ!!」





「−−−っ!?」





明るい呼び声が、その足を止めた。


思わず振り向いた先には、階段を駆け下りてくる久美子の姿があった。


束ねた髪をふわりと揺らして、手を振りながら久美子は走ってくる。


動かない竜のそばへと久美子はすぐにやってきた。


「今帰りか?」


軽く息を弾ませて、久美子が笑顔で竜を見上げる。


驚きに固まっていた竜は、言葉に詰まりながらも問いかけた。


「・・・あ、いつ・・・は・・・?」


「え?・・・ああ、九条先生のことか?」


大きな瞳をきょとりとさせて、そして笑う。


「小田切の背中が見えたからさ。一緒に帰ろうと思って」


ふふっと笑った久美子の言葉に、心臓は跳ね上がった。


どうしてこいつは、こんな風にいつも俺のそばに来てくれるんだろうか・・・?


そんな疑問を抱きながらも。


竜の心は、嬉しさと喜びで溢れていた。


赤くなりそうな顔を背けようとした時、久美子の表情が僅かに歪んだ。


「−−−・・・・・・・?」


どこか切なそうなその表情の意味がわからず、竜は眉を顰める。


問いかけるよりも早く、久美子の表情は笑顔へと変わった。


わざとらしい笑みを浮かべて、久美子は竜の腕をバシッと叩く。


「なんかお前、疲れきったおじさんみたいだったぞっ?!」


からかうような口調で。でもわざとらしい笑顔は、どこか暖かい。


励ますように、久美子は明るく言ってみせていた。


肩を落として、鞄を持つ手もダラリとさせて。


一人きりで歩く背中が、とても寂しそうに見えた。


放っておけなくて。一人きりにしたくはなくて。気がついたら、九条先生にさよならを言っていた。


そばに行きたいと・・・思ったのかもしれない・・・。


「その歳でおじさんみたいなだなんて、早くも更年期障害ってやつじゃないだろうな?」


カラカラと笑いながら、久美子の手は竜の腕を気遣わしげに軽く叩く。


「悩み事ならいつでも聞いてやるからな?元気出せっ!!」


「なっ!」と、最後は優しさに溢れた笑顔で言った。


「・・・そうだな」


ポツリと、微笑みながら呟いた竜は、久美子の髪へと手を伸ばす。


束ねられた髪に指を通して、優しく梳いていく。


2、3度指を滑らせて、今度は頬へと手を動かした。


柔らかな頬をそっと撫でて。きょとりと見上げてくる瞳に、小さく笑った。





この髪も。この頬も。


自分だけが触れていたいと、思ってしまう。


この大きく輝いた瞳は、自分だけを映してほしいと、願ってしまう。


奪うこともできないくせに・・・。近づくことさえ、できないくせに・・・。


やはり自分は、彼女がそばにいなければ、なにもできないバカな男なのだ。


そしてとても、欲深い・・・。





「・・・少し、悪い・・・」


「・・・え・・・?」


小さく呟いて、竜は久美子の背中に腕を回した。


背中を軽く押して、片手でそっと抱きしめる。


ふわりと優しい香りがした。


(・・・え?え?・・・これが・・・悪いってことか・・・?)


優しい抱擁を受けながら、久美子は抱きしめられている意味がわからず、きょとんとしていた。


微かに「きゃーっ!」という声がしていて、遠巻きに視線を感じる。


チラリと視線を周りに向ければ、確かに注目の的になっていた。


徐々に、なんかやばいのではないのかと思う。


・・・いや。これは彼なりのなにかの表現なのだ・・・と、思う。


心配してくれたお礼とか。心配かけたお詫びとか。そういうことなんじゃないかな〜っと思っている。


あまりに優しくて、ほんわかした空気に流されて。


久美子はすっかり忘れていたのだ。


「あの、小田切?お前の言いたいことは、よくわからないけど、よくわかった。・・・ん?
 ・・・いや、よくわかんないけど、なんとなくわかった。わかったから、とりあえず離せ?」


呆けすぎた間抜けな台詞に、竜は苦笑する。


「・・・全然わかってねーな・・・」


呆れたように溜息を吐いて、竜は腕を離した。


久美子のうっかり屋さんぶりは、相当のようである。











どちらともなく歩き始めて、久美子が思い出したように聞いた。


「そういやお前、なんで一人なんだ?矢吹たちはどうした?」


「・・・隼人は弟の一大事とかで、日向は明日休みだから母親と一緒に父親に会いに行くってさ。
 土屋と武田はデート・・・かどうかは知らねーけど、急いで先に帰ってった」


「ふ〜ん・・・そうか・・・」


一大事ってなんだ?とか、よかったな日向!とか、上手いことやってんなとか、


色々言いたいことはあったけれど。


(・・・だから寂しそうだったのか・・・)


と、久美子は妙に納得したように頷くだけだった。


そしてまた励ますように、竜の背中をバシバシ叩く。


「じゃあお前だけなんもなくて一人ってことか。そりゃ寂しいな!でも元気だせっ!元気が一番だぞっ!?」


「べつに寂しくねーけど?」


「まったーっ!強がんなってっ!」


意外と寂しがり屋なんだなーと笑う久美子に、竜は小さく苦笑した。


よりいっそう威力を増した叩きに、前のめりになりそうな体をなんとか持ち堪えて、竜は立ち止まった。


「そうかもしんねーけど。お前いるし、寂しくねーよ」


少しだけ声を大きくして言った竜の言葉に、ちょっとだけ先に進んだ久美子が、驚いて振り返る。


目を大きく見開いて。


少しの後。


久美子は嬉しそうな顔で笑った。


喜びで溢れた、とてもキレイな笑顔で・・・。





見惚れて、一瞬動けなくなってしまった竜の手を、はしゃいだ久美子が引っ張る。


竜の気持ちを忘れている久美子には、言葉の意味を全て理解することはできない。


けれど久美子の心は、嬉しさと喜びで溢れていた。


そばに来てくれた彼女に竜が感じたものと同じくらいに。


その心は、幸せで溢れていた。











「昨日はなー、鍋だったんだぞ?最後に食べるうどんが美味いんだ。知ってるか?」


食い意地が張っているからだろうか?


久美子は幸せな時は、食べ物の話をするらしい。


竜の手を引きながら、ニコニコと笑顔で好きな食べ物の話をしている。


「あとはやっぱ甘いものは欠かせないなっ!小田切は甘いもの好きか?」


「まあ、嫌いじゃないな」


子供のようにはしゃいでいる久美子を優しく見つめながら、竜は小さく笑って頷いた。


「そっかっ!」


頷く竜に、久美子の笑顔もますます輝いていく。


「商店街にある和菓子屋さんの大福は最高に美味しいんだぞ?あと先月できたばっかの喫茶店知ってるか?」


「いや?」


「そこのチーズケーキが美味しいらしくってさっ!お持ち帰りも出来るらしいんだっ」


「・・・へー・・・」





そんなことを話しながら、二人は夕暮れの帰り道を歩いていった。








笑って。微笑んで。


二人の帰り道は、嬉しさと喜びと、


そして幸せで、溢れていた。





終 





あとがき

またまたお待たせしてしまいました。そしてまだ続いてます・・・。

卒業する前に、どうしてもお弁当の話とこの帰り道の話を書きたかったんですよね。

卒業させちゃったら、書く機会なさそうなので。

自分で書いといてなんですが、久美子のうっかりぶりが、ありえないレベルになってる気が・・・。

もっとオドオドモジモジさせてもよかったかな?と思いつつも、実は結構気に入ってたりします。

書いてて、私も、ほんわか幸せでしたから。(笑)

次回でやっと本題です。今回のように上手くまとめられたらいいのですが・・・。(苦笑)

最後に・・・。隼人の理由が、かなり微妙な気がしますけど、お許しを。

他になんも思いつかなかったんですよね・・・。

でも拓君の一大事ってなんだろう・・・?・・・書いた本人もわかりません・・・。(おいっ!)