「山口先生は第二ボタンもらう予定あるんですか?」


卒業式の数日前。白鳥先生にそう聞かれた久美子は、初めて第二ボタンの話を知った。


そういえば、卒業式にそんな光景を見たことがあったっけ。


でも久美子は貰ったこともないし、ほしいと言った事もない。


だいいち、それは生徒同士がするものじゃないのか?


不思議に思いながらも、目をキラキラさせて聞いてくる白鳥先生に、久美子は軽く首を振った。


「予定は、ないですけど・・・?」


「そうなんですかー・・・」


なにを期待していたのか、つまらなそうに肩を落とす白鳥にその話はそれで終わった。


久美子も次の日にはすっかり忘れていたのだが・・・。お昼休みの時。ふとその話を思い出すことになった。

















ベンチに腰を下ろし、ぼや〜っと空を見上げる。


冬の雲は薄くて、少しつまらない。


夏の雲ならふわふわしていて、時々何かの形に見えたりするから。


かき氷の形をした雲やたいやきそっくりな雲を見たことがあるのを思い出して、思わず微笑んだ。


青い空に、ふわふわの白い雲。陽射しは暑いだろうけど、こうやって夏の日にも空を見上げたら、きっと楽しいだろうな。


(でも、小田切は苦手そうだな)


夏の彼は知らないけれど。なんかそんな気がする。ダルそうな竜を思い浮べて、久美子は小さく笑った。


「小田切はなにかの形した雲、見たことあるか?」


自然と興味が湧いて、空を見上げたまま、いつものように隣に座っている竜に問い掛ける。


「・・・・・・・・・・・・・・」


けれど返事がない。


不思議に思って隣を向けば、彼は首を少し傾けて眠っていた。


一人ぶんくらい空いていた距離を詰めて、そっと横から覗き込んで見る。


(寝てる時もクールな奴だな・・・)


静かで。涼しげで。寄せることの多い眉間は、今は自然になっている。


大人しそうに眠る姿に、ふふっと小さく笑って、久美子は顔から視線を離した。


身を引こうとして、制服のボタンが目に止まった。


(・・・誰かに、あげるのかな?こいつも・・・)


男子校だけど。すぐそばには桃女があるから。


心臓に一番近いボタン。心のボタン。


手のひらを合わせて、白鳥先生は華やかに微笑んで言ってた。


でも何故だろう・・・。とても、胸がモヤモヤした。


きゅうっとなって。苦しくなって。


なんだか切なくて。胸がズキズキする。


「・・・もう・・・予約済み?」


どこかに行くのか?


手を伸ばして、第二ボタンにそっと触れてみる。


冷たいそれをそっと撫でて・・・ハッと我に返った。


「―――・・・っ!?」


(なっなにやってんだっ私っ!!)


かぁっと頬が熱くなって、ドギマギとしている間も無意識にボタンは指先で掴んだまま、離せない。


すると突然、竜の身体が久美子へと動いた。


「―――っでえっ?!!ちょちょっちょおっとっ!?」


なんとも妙な声をあげて、久美子は突然倒れ込んできた身体を慌てて支えた。


横向きに浅く座っていたため、片方の太ももとお尻がいまにもずれ落ちそうになる。


「おっおだぎり〜っお、起きろ〜っ!!」


ズズッとベンチに擦れる太ももとお尻が、かなり痛い。


首筋のあたりに顔を埋めて体重をかけてくる竜の腕を引っ張ったり叩いたりしながらも、身体は徐々に倒れていく。


そして完全に久美子の背中がベンチについた時、竜がやっと目を覚ました。


「・・・・・・?」


と、いっても。まだ意識ははっきりしておらず、ぼんやりしたまま。


それでも覚えのあるぬくもりに気分をよくしたのか、久美子の身体に腕を回そうとして、自分の下にあるその身が
微かに震えているのに気がついた。


「お、おだぎり・・・た、たたったすけっ・・・!」


寝ぼけたまま眉を寄せた竜は、僅かに身体を離した。


ベンチに手をついて久美子を見れば、その身体はふるふると震え、瞳は潤んでいる。


そんな彼女を見つめて、彼が呟く言葉は決まっている。


「・・・可愛い・・・」


目を細めて、キスをしようと顔を近づけたのだが。


「ねっ寝ぼけてないで助けろ〜〜〜っ!!」


久美子の悲痛な叫びが、それを止めた。


彼女の身体はすでに半分はベンチから出ており、もう落ちるのも時間の問題で、ズズッと一気に滑り落ちそうになる。


咄嗟にボタンを掴んだままだった指先に力を込めるのだが、不幸にも、ブチッとボタンは取れてしまった。


そしてそのまま地面へと落ちていく感覚に、久美子はギュッと目を瞑った。


背中もお尻も擦れて痛いのに、それに加えて、今度は落下?


最悪だと思いながらも痛みに覚悟した久美子だったが、訪れたのは落ちた衝撃ではなく、引き寄せられる感覚だった。


上半身が引き上げられると背中と腰に腕が回され、暖かなぬくもりにふわりと包まれる。


パチリと目をあければ、竜が呆れた顔で見下ろしていた。


「・・・なにやってんだよ・・・」


「・・・な、なにって・・・・・・おっお前がいきなり倒れ込んできたんじゃないかっ!!」


一瞬呆けながらも、ハッと思い出して竜の身体を突っぱねる。


「・・・おれ・・・?」


まったく記憶のない竜は訝しげに眉を寄せて、名残惜しそうに腕を離した。


久美子は恨めしそうな視線をおくる。


「・・・擦りむいてたらどうしてくれんだっ・・・!」


ヒリヒリする背中や太ももをそっと手で触れていると、もう片方の手で握り締めていたボタンの存在に気がついた。


「あ・・・」


自然と視線は制服へと向かい、自分のしたことを思い出してしまう。


途端に恥ずかしくなって、久美子の顔は、ぼっと赤く染まる。


「はっ針と糸借りてくるから、ちょっと待ってろ!!」


動揺を誤魔化すように勢いよく立ち上がって、久美子は駆け出していった。


「・・・・・・つけれんのか?あいつ・・・」


呆然と呟いた竜だったが、制服に視線を落とす彼の表情は、優しく緩んでいた。




















「・・・お前さー・・・」


「な、なんだ?い、いま、とととおすから・・・」


「・・・・・・・・・・・」


(つけられる以前の問題だな・・・)


ふるふると指先を震わせながら針と糸を睨みつけている久美子に、竜は軽く息を吐いた。


久美子が屋上に戻ってきてから、すでに5分以上は経っている。


その間、ずっとこうして針と糸を睨みつけては、糸通しにチャレンジしているのだが、未だに通りそうにない。


昼休みまでには確実に終わらねーな・・・。


そうとわかりつつも、竜は5時限目のことには触れなかった。


あとで説教されるだろう久美子と忘れ去られている生徒には悪いけれど、二人の時間が長ければ、それの方が嬉しい。


自分のボタンをつけようと一生懸命になってくれている姿を見るのも、嬉しい。


だが、5分以上も針と糸に悪戦苦闘している姿は、ちょっと微笑ましいのを通り越している気がしなくもない。


可愛いとは思うけれど。嬉しいとは思うけれど。


針と糸を睨みつけてばかりで、全然こっちを見ようとしないのが、気に入らない。


「大丈夫だって!まかせろ!!」


代わろうとすれば、胸を張ってかわされてしまう。


竜は、せめて糸通しだけでも代わらせてくれと、お願いしたい気分だった。


痺れを切らして、くいっと髪を一房引っ張れば、久美子は気まずそうに視線をおくる。


「も、もうちょっとで出来るから・・・」


眉を寄せてお願いするような表情をされては、竜も強くはでれない。


(つーか・・・可愛い・・・)


やはり彼の頭は、そうとうやられていた。





膝に頬杖をついて、久美子の髪で遊びながら、待つこと3分。


「やったっ!!通ったぞっ!!」


ぱぁっと晴れやかな笑顔で糸の通った針を誇らしげに空へと掲げる久美子に、竜もホッと息を吐いた。

















トクトク、胸は鳴り響く。


触れ合う足が熱い。


そばに感じるぬくもりが、愛しい。


(やばい・・・すげー抱きしめたい・・・)


伸ばしたい手に力を込めた。








「・・・もうちょっとだからな・・・?・・・えっと・・・こうして・・・?」


竜のそば。


顔のすぐ下で、久美子はボタン付けに勤しんでいた。


自分がどれだけ竜に近づいている状態かも。竜がどれだけ意識しているかも、気づかぬまま。


危なっかしい手つきで、なんとなくで進めていく。


こんな状態で付けるよりも、脱いだ方が楽だと思うのだが、そこは3月といえどまだまだ寒い空の下。


久美子が竜の身体を心配して、今の状態になってたのだ。


だが、正直いって、寒い方がよかったかもしれない。


抱きしめたくてしょうがないのに。こんなに近くにいるのに。


その身体にちゃんと触れられないのが、もどかしい。


早く終わればいいのだが、はやりそこは糸通しに約8分もかかった女。


ボタン付けも異常に長い。








何分?いや、確実に10分を超えるボタン付けがやっと終わったようである。


「・・・これ、で・・・いいのか・・・?」


難しい顔をしながら、竜から顔を離した久美子は、付け終えたボタンに首を傾げる。


付いているといえば付いているが、なんとなくぶら下がっているって気もしないでもない。


他のボタンとはやっぱりちょっと見た感じ違う。


見比べて、久美子はまた胸が、きゅうっとなった。


「あっ・・・と・・・家帰ったら、お袋さんに付け直してもらったほうがいいかも、な・・・」


自分で言いながら、なんだか泣きそうなくらい切なかった。


ボタンが付けられない自分が、こんなにも悲しく思うなんて初めてで、久美子は戸惑ってしまう。


いいじゃないか、ボタンくらい。こんなことで気落ちしてどうすんだ?


もっと明るくいこうじゃないかっ!


頭の中で元気をつけて、久美子は落ち込んでいた気持ちから素早く立ち直った。


楽しいこともついでに思い出す。


「そういえば小田切って、あんまり寝相よくないだろ?」


大人しそうに寝てる癖に、いきなり倒れてくるんだからな。


そう言って笑いながら顔を上げると、


「お前がそばにいるからだろ?」


そう耳元で囁かれ、抱きしめられた。


「寝てても・・・触れたくなる」


肩に顔を埋めながら囁いた言葉に、久美子の顔が真っ赤に染まった。


「そ、そんなことわかるわけないだろっ・・・ね、寝てるんだから・・・」


「でも、ちゃんとお前に向かって倒れただろ?」


「・・・そ、それは・・・」


身を捩りながら離れようとする身体を、竜はさらに強く抱きしめた。





「触れたかったんだ」


寝ていたのも、あまり意識はないけれど。


気づいた時に触れていたぬくもりも。ぼんやりとした視界に映った姿も。


ちゃんと覚えてる。


その瞬間に感じていた気持ちも。


心に優しく、残ってる・・・。




















やっと抱きしめることが出来たぬくもりを、手放すのは難しい。


ぎゅうっと込めたい気持ちを抑えて、ふわりと優しく包み込む。


糸通しに約8分。ボタン付けに10分以上。


かかり過ぎな時間は、触れたい思いが満たされれば、彼女らしくて可愛いと思う。


こちらを見ないことや、触れられなくてもどかしいことは、ちょっと遠慮したいけど。


「・・・小田切?」


肩口で竜が笑った気がして、久美子は不思議そうに名前を呼んだ。


逃げるにも逃げられず。離すにも離せず。なんとなくな感じで腕の中に納まっている。


竜は腕をそのままに、少しだけ身を離した。


そういえば・・・。と、ふと思う。


(なんでボタンが取れたんだ?)


第二ボタン。


その意味を知らないわけじゃない。



「・・・欲しいのか?」


思わず、聞いていた。


聞いたのは、微かな期待。


そうならいいと・・・思う。


心臓に一番近いボタン。心のボタン。


あげるとしたら・・・。行き着く場所は、一つだけだ。



唐突な問いに首を傾げる久美子に、言葉を加える。


「第二ボタン」


「・・・!?」


一瞬、久美子の肩がビクリと揺れた。


頬を染めて、気まずそうに視線を下げて。


けれどすぐに、はたっと思い出したように不思議そうな顔で視線を戻した。


「それって生徒同士がするんだろう?先生にあげてどうすんだ?」


きょとんと、心の底から疑問に思っている。


「先生にあげてるのなんて見たことないぞ?」


第二ボタンは生徒同士だけに行われるものだと思っているらしい。


「・・・・・・・・・・・・」


期待していたものとは随分とかけ離れていて、気が抜けた。


やっぱり偶然か・・・。


溜息を吐こうとして、久美子の身体がもじ・・・と小さく動くのに気づいた。


「・・・起きてたわけじゃないよな・・・」


ボソッと呟いた言葉に、背中に回していた腕に力を込める。


「なんの話だ?」


「っ!?」


驚いて見上げる久美子の顔は、真っ赤に染まっていた。


オロオロと視線をさ迷わせて、恥ずかしそうに呟く。


「・・・だ・・・誰かと約束してるのかな、とか思って・・・ちょっと触ってただけだ・・・」


気まずそうにいいながら、その瞳に微かな影が浮かぶ。


竜は追い詰めたい気持ちを抑えた。


ハッキリしなくても、ボタンを意識している気持ちは、わかったから。








続く・・・








あとがき


とりあえず、ここからが今回のお話のメインって感じです。

竜はもう変でも気にしないことにしました。可愛い、可愛いを、一杯言わせてやります。(笑)

あと少しわかってきた方もいるか、どうかわかりませんが、竜クミの久美子キーワード?は料理と裁縫、「家事」です。

「二人のランチタイム」での料理と、今回の裁縫。

その辺と、竜が久美子の可愛さにやられすぎな所が、竜クミの見所でしょうか。