恋色ビヨリ





まだ年越しには少し早い、12月の中頃。


さくら家に届いたのは、赤の振袖。





「なにそれ。お姉ちゃん、着るの?」


つい先日仕度されたばかりのコタツを目当てに居間へとやってきたまる子は、目の前にたたまれたそれに目をぱちくりとさせた。


まじかで見ることもない、柔らかな花が描かれた赤い振袖。


綺麗でしょ?と母が優しくそれを撫でるのを横目にまる子はコタツに手足を入れた。


ほわりと暖かい。


珍しいものには人一倍興味を示す性格の子がさして興味を見せようとしないのに、母も、そしてその脇にいた姉も首を傾げた。


「なに、まる子。興味ない?」


「せっかくおばあちゃんの知り合いが来年どうですかって貸してくれたのに」


老人会の親しい人が自分の孫が大きくなって、ちょうど年頃の子がいるのを知って話を持ち掛けてきてくれたのだ。


貰うにはあまりに高価な気がして、貸してもらうことにしたのだが。


「だって、それって凄い動きづらかったり、お腹が死ぬほど苦しいって奴でしょ?」


「ま、まあ、死ぬほどではないけどね・・・」


「そんなのあたしはごめんだね。」


「・・・そお?」


喜ぶだろうと思っていた子がこんなに素っ気無いのはなんか勿体ない気がして、残念なため息がでる。


花の絵柄が可愛い赤いそれは、娘に似合う気がしていたから。


母の残念そうな表情を見やって、さき子は少し考えるそぶりを見せるとまる子ににこりと笑顔を向けた。


「ちょっと羽織るくらいならいいじゃない。袖通したら、案外気に入るかもよ?」


「えぇ・・・っ!?」


面倒くさそうに不満げな声を出せば、鋭い視線で睨まれて。


まる子はギクッと肩を震わせた。


下手に怒らせると厄介だよ・・・。


もう共にいるのが十三年ともなれば、少しは学習していくものである。


まる子はしぶしぶとコタツから足を引きずりながら出した。


どうせ袖を通したって、着ることなんてない。


意気揚々と振袖を手に立ち上がった母の成すがまま、ただじっと立ち尽くしながら、まる子は思った。


お正月はお年玉とおせちとお雑煮、そしてきっと寝正月。


たまちゃんは親戚の家に行くっていってたから、初詣の予定もない。


そんなことを思いながらも、袖を通される瞬間に触れた感触は思ったよりも柔らかくて優しくて、思わずドキッとした。


肩にかかる重みと手に触れる柔らかさに胸が高鳴る。


でもそれは苦しいものじゃなくて、どこか背筋が正されるような緊張感と、それとは別にふわりと宙を浮くような不思議な気持ち。


これが着物なんだと思わず関心するように自分の肩や身体を見ていれば、突然、さき子が呟いた。


「そうだ。あんた、大野君と初詣に行ってきなさいよ!」


「えっ・・・!?」


なぜだろう。一段と大きく跳ね上がった心臓に自分で驚きつつも顔を上げれば、ニヤニヤとにやけた笑みを浮かべた姉と目が合う。


「制服、浴衣、そんでもって振袖。うん!定番だわ!」


「定番ってなんのさ?」


鮮やかに微笑み手を打つさき子に突っ込んでみたところで意味はなく。


「大丈夫よ、馬子にも衣装程度には可愛いだろうし。」


「・・・問題はそこじゃなくてだね・・・」


若干顔を引き攣らせながら、強く言い返す言葉も見つからずにまる子は途方に暮れていた。








別に・・・一緒に行くのはいいけど。


いいけど・・・・・・・・・


(・・・どうやって誘ったらいいのさ・・・)





彼の教室の少し手前の廊下で、まる子は足を止めた。


初詣に行かない?なんて、普通に誘えばいいことだけど。


なんだか、それが無性に戸惑うのはなぜだろう?


わからないけれど。いつからだろう。


中学に入ってから?・・・どこか、自分が後ろめたかった・・・。


それから、変に緊張したりして。胸の奥が時々妙に暑くなったりして。


ドキドキ、していたりして。


心臓病かと心配した日もあったけれど、どうも違うみたい。


・・・・・・。


グルグルと回る頭を両手で抱えて。


意を決したように、教室の入り口まで歩く。


大野の姿が見えて声を掛けようとしたそれより先に彼に近づく人影。


「なあ、大野も来年の初詣行こうぜ?」


「そうだよ!クラスの何人かで行こうって話してたの!一緒に行こう?」


クラスの男の子が誘いをかければ、女の子がすかさず続けて。


「えっ!?大野君も行くの!?だったら私もっ!」


わっとクラス中が騒がしくなったと思ったら、数人の女の子たちが次から次へと手を上げ声を上げ・・・。


声をかけるタイミングを完璧に外してしまったまる子は、ス・・・っと一歩思わず下げた足を軸に、
くるりと背を向けてその場を離れてしまった。








時々、緊張して。暑くなったりもして。ドキドキして。


そう、それから。





こんな風に、胸が痛くなったりもする。











「まーるーこー?」


月日は経ち。一月一日、お正月。


部屋の入り口で背中を預け、まる子を呼んだ。


10時を過ぎた頃も、いまだまる子は布団に深く包まったまま。


「いつまで寝てるの、あんたは」


「・・・いいの。寝正月なんだから・・・」


もぞもぞと布団をさらに深々と被せながら縮こまる。


(ろくに寝てもいないくせに)


朝からずっと、起きてるのを知ってる。


もじもじと布団の中で思い悩んでばかりの妹に、溜息が出た。


年賀状もおせちもお雑煮も。お年玉にすら興味を示そうとしていない。


それはよっぽど、誘えなかったのがショックなようで。


(今回は余計なことだったかしら・・・?)


と、少しだけ罪悪感もわくほどだった。


でもそれと同時に憮然とした気持ちにもなる。


見るからに妹を好いているらしいのに。


年に一度の。新年の始まりだという日に。


なぜに、妹へ顔も見せにこない。電話の一本もよこさない。


わがままで身勝手でどうしようもなく呆れることもあるけれど。


それなりに大切で可愛い妹だと思っているのだ。


三が日に一度も会いにこなかったら、断固反対してやろうかしら・・・


などと、眉を寄せて気難しい顔をしていると、なにを思ったのかまる子が布団からガバリと顔を出した。


こちらも気難しい顔をしていて。天井をしばし見つめた後、彼女は起き上がった。


「起きる気になった?お雑煮あるわよ?」


「・・・いらない。」


布団の上に立ったままパジャマを脱ぎ始めたまる子は、さき子の言葉に首を振って、
着替えを済ませ、顔と歯を磨けば、スタスタとどこかへ出かけていった。








「・・・ま、まる子は・・・わしが嫌いになったのかい?」


始終、近寄りがたい空気を放ち、しかめっ面のまま新年の挨拶もせずに出かけていってしまったこの世で一番
可愛いと思っている孫の背中を柱の陰で覗いていた友蔵は、一人、寂しく瞳を潤ませるのだった。


そんな祖父の姿を横目に捉え、さき子は溜息を吐く。


どっちも世話が焼けるわね・・・と。


そして、まる子が出かけていった少し後で、さくら家の玄関を叩く男が、一人いた。











土手沿いに来ていたまる子は、カラン、と下駄が鳴る音に顔を上げた。


艶やかな着物が楽しげな笑顔と一緒に通り過ぎていくのを、つまらなそうに見つめる。


何が、新しい年さ。


空は晴天で。普段よりも暖かな気温。


それはどれも新年を祝福しているようで。ちっとも嬉しくない。


足元には小石が転がっていて。蹴飛ばしてみれば、コロコロと転がった。


「・・・大野君のバカ・・・アホ、ボケナス・・・・・・・・・」


恨みを込めるように蹴飛ばし続けても、全然気分は晴れやしない。


なんで、こんなにつまらないんだろう。悔しいんだろう。悲しいんだろう。


誘わなかったのは自分の方なのに。


こんな気持ちになるのは、あんたが誘いに来ないからだと怒ってる。


そうして何もかも、彼のせいにしたかった。


じゃなきゃ、どうして私の頭の中は、大野君で一杯にならなきゃいけないんだろう。


誘えなかったことなんか、気にしなければいいのに。忘れてしまえばいいのに。


でも、どんなに思っても結局は消せないし、忘れられないのだ。


一体なんでこんなことになってるんだろう。


なんかモヤモヤしてくる気持ちを考えていると、妙に腹が立ってきた。


さっきよりも気持ちちょっと大きめの小石を見つけて。


まる子は気持ちをぶつけるように足と手にも力を込めて、その石を川に向かって蹴った。





大野君がなんだっていうんだ。


私のなんだっていうのだ。





ていうか、





「私はあんたのなんなんだーーーーっ!」





そんな、言葉と共に−−−−。











一方・・・さくら家では、


「え・・・、出かけた?」


まったく知らぬところで怒りをぶつけられている彼、大野がいた。


「ついさっきね。」


さき子の言葉を聞き、大野は首を捻る。


(どこいったんだ?さくらのやつ・・・)


穂波に聞いた話では、彼女は正月は家で過ごすといっていたらしいのに。


初詣に誰かと行く約束も無いらしいといっていたが・・・。


まさか、誰か他の奴と・・・?


そう考えて、大野は眉を顰めた。


自分もクラスメイトに誘われた覚えがあったから。


クラスの違う穂波が知らぬ約束があったのかもしれないと、憮然とした気持ちなる。


「・・・・・・・・・・・・」


ひとんちの玄関で黙り込んでしまった大野の姿を目の当たりにして、さき子は思う。


(・・・やっぱりこいつはまる子バカだったわ・・・)


心配して損した、と呆れた溜息を吐くのだった。











「・・・はぁ・・・」


思いっきり叫んで、まる子は息を吐いた。


ちょっと力んでいたせいでしばらく肩で息をしていれば、気持ちも落ち着いてくる。


はあっと一際大きな溜息を吐いて、まる子は川に背を向け、家に帰ることにした。


なんなんだ、なんて考えたってわかりっこない。


それがわからないからこんなにモヤモヤするっていうのに。


人の気持ちまで気にしてる余裕なんてありはしないのだ。


それに、自分が彼の何かなんて、そんなのわかったところでどうなるのさ。


「あ〜頭が渦を巻いてきたよ・・・」


難しいことはあまり考えるもんじゃない。


だんだん自分が凄くバカらしいことをしてるような気がしてきた。


クールな姉が「あんたバカね」と言っている声が聞こえてきそうだった。


でも結局、考えているのは彼のことだけで。


「−−−さくらっ!」


無駄に疲れたような気分で歩く帰り道で突然現れた彼の姿に、まる子は驚き、そして胸を高鳴らせているのだった。








「・・・どこ行ってたんだ?」


「・・・・・・・・・・・・」


少し怒ったような顔の大野と対峙したまる子はただ呆然と真っ赤な顔で固まっていた。


ずいぶんと怒っていたはずなのに。つまらなくて、悔しくて、悲しかったはずなのに。


そんなものは、一瞬にして吹き飛んだ。


時々、変になる。


わけもなく、ドキドキして。わけもなく、嬉しくなって。


わけもなく、泣きたくなる。


じわりと涙が滲んできてしまいそうで。


咄嗟に俯いた。


「どうした?」


「・・・あ、あくび、がね・・・」


誤魔化して、急いで瞳に浮いてくる涙を拭う。


少しの沈黙の後、信じたのか、彼の手がそっとまる子の髪に伸びた。


「!?」


そっと髪を撫でられる感触に、もうこれ以上ないくらい、息もできないくらい、胸が一杯で熱かった。








いないと言われた時から、ずっと不安だった。


他の誰かといるのかと思うともどかしくて、苦しくて。


その姿を見つけた時もまだ、心は落ち着かなかった。


けれど突然俯いて、戸惑うような声で目元を擦る仕草がどこか可愛くて。


胸が一杯になるくらい、可愛らしくて、どうしようもなくて。


思わず手を伸ばして、その髪に触れた。





こんなとき・・・いつも思う。


ああ・・・、本当に。どうしようもなく、彼女が好きなんだと。


こんなに可愛らしく思うのも。触れたいと思うのも。


本当に、自分でも信じられないくらい、さくらだけが胸一杯になる。


そばにいる。触れて、いられる。


優しく撫でながら、大野はその顔にも優しい笑みを浮かべた。


落ち着かなかった心が、ほっと安心するように暖かな息をついていた。








つづく・・・次へ・・・





恋色シリーズ第二弾といいますか、ベタボレシリーズ第二弾です。

続きもまる子の恋の葛藤と大野君のベタボレで突き進もうかと。

ビジョンよりも、もうちょっと甘くできたら嬉しいかな。

お姉ちゃんがよき役どころなのですが、ここで問題が・・・。

はて、お姉ちゃんとまる子って何歳差でしたっけ?

多分、2、3歳かと思うんですけど・・・。

こんなところでなんなんですが、ご存知の方いらっしゃいましたら、ご一報下さると嬉しいです。

そして遅れに遅れまくって申し訳ないです・・・。