あの帰り道から、さくらの様子がおかしい・・・。 大野がそう感じるようになったのは、帰り道の次の日のことだった。 帰り道も放課後も、二人きりで楽しそうに話したり笑いあったり、手を繋いだり抱きしめあったり。 そんな幸せな時間を過ごしていたはずなのに、今はどこか切なかった。 ギュッ・・・・・・。 夕焼けに染まる教室の窓ぎわで、まる子の手が大野の服の袖を掴んだ。 それは掴むというよりも、握りしめるような感じだった。 「・・・どうした?・・・さくら・・・?」 大野が問いかけても、まる子は俯いたまま、ただ小さく首を振るだけ。 なにかを押さえ込むような僅かな沈黙のあと、顔を上げるまる子の顔は切なそうに揺れていて、 そこに浮かぶ笑顔に以前の無邪気さはなかった。 その苦笑にズキリと胸を痛め、なんでもない・・・と、なにも言ってくれない態度に苛立ち なにもできない自分が悔しかった。 それは帰り道も同じで。 キュッ・・・。 繋いだ手が握り返される。 歩きながら伺うように視線を向けると、今度はなぜかホッとしたように小さく息をついて はにかむように、でもやっぱりどこか切なそうに微笑んで・・・。 そんなことが度々繰り返されていくと、大野はあることに気がついた。 視線だった。 日誌を書いている時、外を二人で眺めているとき、横に並んで歩いてる時。 それは、視線のあっていない時。 気づいて、そして・・・胸に溢れる。 自分を想い、手を伸ばして必死で掴んでくれる小さな手が・・・とても、とても嬉しくて、暖かいと感じた。 でもそれと同時に浮かぶのは、切なそうな・・・あの笑顔。 思い詰めて、苦しそうで、切なそうで・・・。 そして、安心したように気を緩めるホッとした気配が気になった。 (何が・・・そんなに不安なんだ・・・?) そう心の中で思っていても、口には出せなかった。 口に出せば・・・自分にも同じ不安が生まれてきてしまいそうだった。 あの帰り道がきっかけなら、なおさら・・・聞くべきではないと思った。 自分のもどかしい気持ちをぶつけたことで、何かが変わってしまったのなら 今はただ・・・不安を抱えるまる子のために、少しでもその不安を減らしてやるために抱きしめようと 大野は心に誓った。 体育の授業中。女子とは別に、男子はグランドで二組に分かれて持久走だった。 先の組で走りおえた大野はグランドに座り込んで遠くを見つめていたが、同じく走りおえた 杉山の声に顔を上げた。 「幸運を呼ぶ白猫?」 そういえば聞いたことがあった。 どこかの雑貨屋に売っている白い猫のぬいぐるみに願いを込めて枕元において寝ると、願いが叶う。 そんなありきたりな、よくある流行話。 「ま、大野とさくらには必要ない話題だったなっ!幸せだもんな〜!」 いいよな〜。彼女がいてさ〜。 そうからかうような杉山の笑い声に、大野はふっと視線を逸らした。 逸らした先で、苦しそうにグランドを走る男子の荒々しく砂を蹴る足音に乗せるように、 大野は小さく呟いた。 「・・・そんな簡単じゃねーよ・・・。」 息を切らして走る。苦しくて、倒れそうで、弱くなりそうで・・・。 走りおえた今でも、胸にのし掛かる苦しさを感じながら。 それでも大野は、目を閉じ、走りおえた時だけを思い描く。 この苦しさは、きっと終わることはないのかもしれないと感じていても それでも・・・今抱える一つの想いが、無事に走りおえることを願う。 その日、夕焼けに染まる放課後の教室で。 窓ぎわの席に突っ伏して眠るまる子の姿を見つけた。 そのそばでふわふわと揺れるのは、真っ白な柔らかい毛の猫のぬいぐるみ。 頬を机に引っ付けて、腕を前に伸ばしてぬいぐるみを持っているまる子の体勢に思わず笑みが零れる。 そっと夕焼けに染まる髪に触れながら、どこか微笑んでいるような白猫に視線を向けた。 幸運を呼ぶ白猫。 こんなぬいぐるみ一つで願いが叶うなんて信じないけれど。 けれど・・・願う。 不安が消えるように。また、あの頃の笑顔が浮かぶように。 二人の想いが・・・無事、走りきれるように。 大切で大好きな人の願いが叶うように・・・・・・と。 いつか別れてしまう・・・。 その時を考えると、怖くて・・・怖くて・・・堪らなかった。 あの帰り道の日も、その次の日も・・・。 こんなに苦しい思いをしたのは初めてかもしれない。 ・・・違う。苦しい思いは前にもあった・・・。 つきあい始めたあの日。初めて抱きしめてくれたあの日。 話しかけてもくれない。視線も合わせてくれない。 そんな大野君の態度が・・・すごく苦しかった。 でも・・・あの時、口に出せた不安は・・・今は出せない。 口に出すのも怖いくらいで・・・。 言葉にしたら・・・現実になりそうに思えた。 でもやっぱり不安で・・・。どうしようもなくて・・・。 すぐ近くにいてくれるのに、明日には、次の瞬間には・・・遠くにいってしまうような気がして。 掴まずにはいられなかった。 遠くを見ないで・・・。私はここにいるんだから・・・。 こっちを見てよ・・・。いっちゃいやだ・・・。 募る・・・。想いが募る・・・。 不安と苦しさと・・・大野君で・・・想いが募って・・・溢れそうだった。 そんな時、偶然聞いた噂話。 幸運を呼ぶ白猫。 もしも、それが本当なら・・・どんなにいいだろう。 そう思って、なんとなくいった雑貨屋で初めて白猫のぬいぐるみを見つけた時。 そのぬいぐるみが噂のものかもわからなかったけれど、手に取って、柔らかな真っ白い毛に触れて。 どこか微笑んでいるような優しいそのぬいぐるみを・・・買わずにはいられなかった。 そして願う。一生懸命願った。 別れたくないから。離れたくないから・・・。 ずっとずっと・・・そばにいて、一緒に笑って、いっぱいいっぱい 沢山たくさん・・・幸せでいたいから。 ずっとずっと、願い続けた・・・。 でも・・・やっぱり駄目だね・・・。 ある日見つめた光景に・・・駄目だったと思い知らされる。 窓の外。学校の校庭が下に広がっていて、見下ろした先で見た出来事は、大野君と 可愛い女の子の二人の姿。 その女の子は、とっても可愛くて優しくて。すっごく男の子にもてる素敵な女の子・・・。 ズキッと、胸が痛かった。 優しそうに微笑むその子と、そのそばで大野君は微笑んでた・・・。 たった一つの光景が・・・心に重くのしかかる。 不安定な気持ちは揺れ動いて、震えて・・・・・・ 「・・・大野君・・・・・・」 どんどん苦しくなる。 「・・・私のことが好きなんだよね・・・」 好きだっていってくれた。 「ずっと、ずっと好きでいてくれるんでしょ?一緒にいてくれるんでしょ? 別れたりなんてしないよねっ?」 抱きしめてくれた。 握りしめた白い猫が見上げるように微笑んで・・・。 「ねえっ!そうだよねっ!!だって、あんなにお願いしたんだよっ!!」 一人ぼっちで。大野君はどこにもいなくて・・・。教室で一人・・・叫ぶことしかできなかった。 「叶えてくれるんでしょっ!・・・なんで・・・なんで叶えてくれないのさっ!!!」 頭から離れない、お似合いな二人の姿も。大野君の微笑んだ顔も。 もう・・・どうしたらいいかわからなくて。優しく微笑む白い猫に・・・ぶつける以外なにもなくて。 「こんなの全然役にたたないじゃんっ!!なにが願いが叶うぬいぐるみなのさっ!! こんなぬいぐるみなんて買わなきゃよかったっ!!あんたなんてっあんたなんてっ・・・っ!?」 叫び続ける声も。震える手も止まらない。おかしくなりそうで・・・。 突然、霞む目の前に白いものが舞い上がった・・・。 「・・・あ・・・・・・・・・」 白い綿が・・・舞い上がる。 引き裂くように・・・くい込んだ指も身体も声も、ガクガクと音を立てて・・・足が崩れ落ちた。 引き裂かれた白い猫のお腹から綿が飛び出していて 優しそうに微笑んでいたその顔がどこか切なそうに見えて・・・。 −−−−−−涙が零れた。 「・・・あ・・・・・・ごめっ・・・ごめん・・・っ・・・・・・うっ・・・ふぇっ・・・っ!!」 しゃがみこんだまま、ぬいぐるみを抱きしめながら・・・まる子は泣き続けた。 傷つけてしまったぬいぐるみ。壊してしまったぬいぐるみ・・・。 もう・・・壊れてしまったんだと・・・。自分が壊したんだと・・・。 願った願いも・・・。白い猫の優しい微笑みも・・・。 大野君の優しさも・・・暖かい気持ちも・・・。 もう・・・壊れてしまう・・・・・・。 泣きながら、家庭科で使う裁縫道具を取り出した。 「・・・痛っ・・・・・・っ・・・」 不器用で、縫い合わせることすらできなくて・・・。 止まることのない涙が溢れて流れた・・・。 なにがあるの・・・? なにもないのに・・・。願ったって・・・きっと私じゃ駄目なんだ・・・。 可愛くもない。優しくもない・・・。女の子らしいところなんて何一つない・・・。 そんな私・・・。 ・・・よくわかってた。 自分のわがままなところも。自分勝手なところも。卑怯なところも。 自分でよくわかってた・・・。 いつも自分のことばかりで・・・。自分の幸せばかりで・・・。 大野君を独り占めできたらいい・・・。私だけに優しくしてくれたらいいのに・・・。 そんなことばっかりで・・・・・・。 なんで私・・・こんなんなんだろ・・・。 なんで・・・・・・。 「・・・なんで・・・私のこと・・・好きなんていったんだろ・・・・・・」 好きなんて・・・言わないでほしかった・・・。 だったらこんなに苦しくなんかなかったのに・・・。楽しいままでいられたのに・・・。 どんなに責めたって、それでもやっぱり。 「・・・ふっ・・・ぅ・・・っ・・・大野くん・・・っ・・・大野くんっ・・・・・・」 やっぱり・・・私は大野君が好きなんだ・・・。 こんなに・・・こんなに・・・好きなんだ・・・。 ボロボロと涙が零れて 「・・・大野くんっ・・・大好きなんだよ・・・大好きっ・・・・・・っ?!」 その時、突然・・・暖かいぬくもりが触れて・・・。 「・・・わかってるよ。」 優しい声が・・・聞こえた。 「なに泣いてんだよ。」 「・・・・・・大野くんっ・・・・・・」 大野君は優しくて。 ぬくもりがあって・・・。 それだけで、私の中はいっぱいに暖かくて・・・。 無くなってしまうものでも、壊れてしまうものでも・・・。 私は・・・・・・やっぱり・・・どうしようもない性格で・・・。 「・・・大野くんはっ・・・私のこと好き・・・?」 しがみついて・・・諦めきれない・・・。 わがままだって、欲張りだって・・・それでもいい・・・。 大野君が好きだって言ってくれるなら・・・ 「お前なぁ・・・なにいってんだよ。好きに決まってるだろ?」 当たり前のように。当然のように・・・言ってくれるなら。 「ずっと・・・私と一緒にいてくれる?」 「ああ・・・。」 それだけで・・・嬉しいから・・・。 今はただ・・・その言葉と暖かさだけが・・・支えてくれる。 壊れないでいてくれる・・・。 いつもの帰り道。 手を繋いで、並んで帰る帰り道・・・。 涙で赤くなった瞳で、小さな笑顔で聞いた。 「大野君は私のどこが好き?」 「・・・・・・・・・・・・どこだっていいだろ?」 赤くした頬で、照れたような顔で・・・ はぐらかされてしまったけれど、まる子は幸せそうに笑った。 「私はねー・・・。私のことを好きな大野君が好き。」 「なんだよ、それ」 その呆れたような声と優しい笑顔に、もう一度大きく笑って・・・。 その後ほんの少し、瞳が揺れた。 「・・・でも・・・」 小さく呟いて・・・。 そして・・・言いかけた言葉を飲み込んで、繋いだ手を握り返して、もう一方の手も腕に絡めて。 腕に抱きつくように。 しがみつくように・・・ぬくもりを確かめるように・・・そっと切なく微笑んだ。 でも、きっと・・・。 きっと私は・・・そうじゃなくても、大野君が好きなんだろう・・・。 いつか別れる時がきても・・・それでも・・・私は、好きでいたいから・・・。 怖がっていても・・・どんなに願ったとしても・・・。 一番信じなくちゃいけないのは、この気持ち。 自分の気持ち。 どんなに苦しくても、壊れそうでも・・・ 大野君の気持ちと私の気持ちがそこにあれば・・・きっと今日のように 頑張っていける気がするから・・・・・・・。 一緒にいてよ・・・。 一緒にいる・・・。 私を見てよ・・・。 私が見てる・・・。 私をずっと・・・好きでいてよ・・・。 あなたをずっと・・・・・・・・・・・・ 好きでいる。 あとがき・・・。 ごめんなさい!切なく終わらせるつもりは無かったんですが・・・。 それに大野君サイドが最後までいってないのに終わってしまって・・・・・・。 なんか書いているうちに、「大野君のことが好きで好きで大好きでたまらないまるちゃん」 になっていって・・・どんどん切なくなっていってしまいました・・・。 ラブラブにできなくて、待っていてくださった方には本当に期待を裏切ってしまってごめんなさい。 |