「・・・?」


もうすぐクリスマス、という日。竜は道端で久美子の姿を見かけていた。


久美子の住む商店街からはだいぶ遠いはずのこんな場所に、いったい何のようなのだろうか。


『ご、ごめん・・・明日はちょっと・・・』


昨日の電話でそうどこか後ろめたそうに誘いを断られていたこともあり、竜は訝しげに眉を寄せた。


偶然なんてものは、嬉しいものもあれば。苦い思いを生むものもあるもので。


隠し事も。秘密ごとも。あまり、いいもんじゃない。








「・・・卵、薄力粉・・・」


そこは大手スーパー。かごを片手に久美子は用意してきた紙切れに目を通した。


「ぐ、グラニューってなんだ?・・・ば、ばにらのエッセンス?」


(・・・や、やばいぞっ・・・何かもわかんないじゃないかっ・・・)


「テツの奴、なんで写真をつけないんだ」


気の利かない奴だな、なんてテツに八つ当たりをしながら数歩あるけば、すっと目の前に人の影が。


「あ、すみませ・・・・・・!?」


ぶつかる直前に顔を上げて久美子は固まった。


顰めた顔で見下ろしてくるのは、会ってはならなかったはずの人。


「お、小田切っ・・・!」


「・・・偶然だな。」


冷たく、トゲのある声にギクリとなる。


表情はいつもの涼しげなものだけれど、漂わせる空気は不機嫌だし不審げだ。


「お、お前っ・・・なんでここに・・・?」


「・・・・・・俺の家、大通り挟んだ先だぞ」


「えぇっ!?ああっ!!!」


思わず叫んでしまった口元を慌てて押さえて久美子は視線を逸らす。


(そ、そういえばそうじゃないかっ!!)


とにかく家の近所から離れようと思っていて、知らぬ土地を選んだのがいけなかったらしい。


竜の家は知っているけれど、こっちの方には一度も来たことがないからうっかりしていた。


「あは、あのな、小田切・・・えっと、・・・・・・じゃっ!そういうことでっ!」


作り笑顔を残して、久美子は瞬時に身を翻し駆け出した。


追いかけようとしたけれど。


離れた久美子が振り向いて手を振ったから、それ以上動くことはできなかった。





「クリスマスイブにな〜〜!!」


手を大きく振りながら、楽しそうな笑顔でそんなことを言われたって。


「・・・俺は全然楽しくねーよ・・・」


軽い溜息とともに思わず子供のような台詞を吐いてしまった。





店内に流れるクリスマスソング。壁で揺れてる輝いた飾りたち。


正直言って、クリスマスだからどうこう思う気持ちは特に無いのだ。


それに加えて。


自分だけのものにして。大事に、大事に閉じ込めておきたいくらい。


独り占めにしていたいくらいの彼女の心を奪われているような気がして。


ますますイベント事が嫌いになりそうな竜だった。


けれど・・・最後に見た楽しそうな笑顔が心に残っているのも事実だった。

















そしてクリスマスイブ。


竜は久美子宅へと来ていた。


玄関先で声をかけてみるけれど。なぜか人が出てくる気配はない。


午後2時。


約束の時間に間違いはないはずと時計に視線を向けたところで、ガラリと戸が開かれた。


出てきたのは久美子だったが、ちょっと様子がおかしかった。


俯いて、なぜだかガックリと肩を落としている。


「・・・どうした?」


俯いた顔を覗き込もうとすれば、ぐっと胸元の服を掴まれた。


「小田切ぃっ・・・!なんでっなんで、私ってこんなに情けないんだぁっ!なあっ!」


ぎゅぎゅぎゅ〜っと服を掴み、ガクガクと揺すりながら、久美子は何かが途切れたように泣き出した。


「なんだよ・・・?」


訳はわからないけれど。竜は優しく久美子の肩を引き寄せて、慰めるように頭を撫でるのだった。








いくらか落ち着いた久美子と共に家の中には入れば、気を利かせてくれたのか、他の人は誰もいないらしい。


何かを隠そうとしている久美子を厳しい視線で諦めさせて、連れてこられたのは台所。


「・・・こんなつもりじゃなかったんだ・・・」


久美子は柱にしがみつく様にして項垂れた。


流し台には大量の玉子の殻やなんだかわからない黒い塊。ところどころに飛んでいる白い粉。


「・・・ケーキ作ろうとしてさ・・・。でも、失敗しちゃって・・・だからケーキは諦めて、」


じとっと視線を送った先のテーブルには、焦げ付いたもの。


「・・・一応、クッキー・・・なんだけど・・・」


呟いたその瞳にはじわっと涙が浮かんでいた。


できれば、見せたくなかった。こんな有様なんて。こんな自分なんて。


どうして、作れるなんて思ったんだろう。作る前には微かにあった自信もすっかり無くなってしまった。


グズッと鼻を啜る久美子に竜は苦笑いを浮かべて、さっきから気づいていた傷のついた久美子の手を掴んだ。


「それで、火傷したのか?」


指先や間接にいくつもついた絆創膏。白くて細い指には、それは痛々しくて。


労わるように優しく指先を掴んで撫でた。


「火傷と、あと切り傷・・・でも、そんな大したことはないから大丈夫だぞ」


傷の痛みよりも、上手く作れなかった事の方がよっぽど痛い。


ケーキをプレゼントするつもりだったのに。出来たのは、焦げたクッキー。


プレゼントは、焦げたクッキー・・・。


竜に申し訳ない気持ちで溜息もでない。


「なにか、どっかで」


買ってこようと、身を翻そうとする久美子を竜は止めた。


「ケーキ作るつもりだったなら生クリームとかイチゴもあんだろ?」


「え?」


キョトンとする久美子の手を引いて台所に立った竜はパッパと手を動かし始めた。





ボールの中で泡立っていく生クリーム。


角が立つくらい、少し固めに作られたそれをクッキーにつけ、そばで見ていた久美子の口元に運んでいく。


「ん?」


ちょっと戸惑いつつも口にしてみれば、焦げて苦いクッキーに生クリームが結構ちょうどいい感じの甘味を与えてくれて。


「んんっ!おいっ・・・!?」


美味しいと口を開こうとしたところへ、すっと冷たいものが一瞬唇に触れて中へと入ってきた。


口の中に入ったのは、半分にカットされたイチゴ。


噛めば、途端に広がる甘酸っぱさ。


キュンッとなりそうな冷たさと酸っぱさの刺激に久美子は思わず頬を手で包んで笑った。


その仕草と表情がそれはもう可愛らしくて。竜もまた、満足そうに微笑んだ。

















「今度からは、一人で作るなよ?」


「う・・・」


久美子に返せる言葉はない。だけど、


「・・・驚かせようと思ったんだ」


上手に作って、喜んでもらう計画だったのだ。


そんな健気な久美子の気持ちもわかってはいるし、嬉しいとも思うけれど。


やっぱり竜はそれ以上に想う。


「俺は、お前といる方がいい。」


会うの断られて、作り笑い浮かべられて、苦い思いをして。


自分のことを想ってそうしてくれたのはわかったけれど。


それでも、そばにいるほうが幸せなのだ。


さらりと言った言葉にキョトンとしたままの久美子に手を伸ばして。その頬を撫でる。


「だから、プレゼントは何も用意してない。二人で、一緒に選ぼうと思っていたから。」


顔をそっと近づけ、赤い唇にキスを落として。


「・・・その方が、嬉しいだろ?」


そう囁かれた瞬間、久美子の顔は音を立てるように真っ赤に染まるのだった。








歳はずっと上だというのに。


料理の腕も。こういうことにも。まだまだ当分、敵いそうにはない久美子だった。





END