特別なシルシ 後編








夕ご飯時。まだ外は雨が静かに降り続けている・・・。



シャワーから上がった久美子は、黒崎の出してくれた服に着替えた。
シャツもズボンもブカブカで、肌に触れたときは、なんかくすぐったかった。

そういえば、人の服をこんなふうに着るのは初めてだ・・・。

前に、てつが洗濯物をたたんでいる時に、ふと目に入った
みのるのでかサイズの服に興味がわいて、着てみようとしたら、
てつに「いけませんっっ!!お嬢っ!!」って言われて、
その時のあまりの気迫に、それ以来ふれないようにしてきていた。

なんで、てつがあんなに怒ったのかわからないけれど、
みのるのような、でかサイズではないけど、
こうして黒崎の服を着るのは、とても新鮮で暖かい感じがした。


3Dの奴らよりは、ずっとつき合いは短いし、
逢った回数も片手で数える程度しかない。

だけど、隣を一緒に歩いたとき、心がほんわかした。

びしょ濡れでも、ドンヨリとした空の下でも、足取りは軽くて。


手から伝わる温もりは暖かくて・・・。


本当は、ずっとどうしてるが気になってて、
いろいろ聞きたくてしょうがなかったけど、一緒に手をつないで歩いて
暖かくて優しい気持ちを感じて、頑張ってるんだって、
優しい奴だってわかったから、それだけでいいと思った。



3Dと同じ大切な生徒のようで、でも身近にはいない存在で・・・。

ふと浮かんだ疑問は、とても難しい問題な気がした・・・。


















「・・・・・・」

黒崎は、今更ながら感じることがあった。

テーブルを挟んだ向かいには、久美子が座っていて。

彼女には大きい自分の服を着て、テーブルに広げられた弁当を、
箸を口にくわえながら、品定めをする久美子から目が離せなくて、
箸をもったままの手にも力がこもる。

「んー・・・コンビニ弁当も、けっこううまいんだなー」

何も知らずに、ただ美味しいと笑顔を浮かべる。

手を伸ばせば、すぐ目の前にある笑顔。

ずっと欲しかった気持ちに気がついて、
たまらなく愛しい気持ちが一気にあふれ出して、彼女の全てが可愛く思えた。

優しい笑顔。暖かな声。子供みたいに無邪気で、幼いまでに無防備な姿。

それはとても心を包み、満たしてくれる。

でもそれは、あの日、目の前にいた久美子からは、想像もつかない姿。

今日初めて見るモノ。

あの日とは全然違う姿でも、こんなにも自分の心を突き動かすのだから、
まぎれもない嘘のない恋に間違いはない。

けれど・・・すぐ近くまで来すぎて、急にひどく不安なものが溢れてきた。



自分と彼女の時間は、いったいどれくらいなのだろうか?

凛とした美しい姿、柔らかな子供のような姿。

ほかにも、自分の知らない姿があるのかもしれない。

それを、ほかの誰かは知っていて、もうその心はそいつのものなのかもしれない。

だから彼女は、こんなにも暖かくて優しくて
幸せな笑顔を浮かべられる奴なのかもしれない。

もしそうなら・・・俺の想いは・・・どうすればいいのか・・・

誰かのものだと思うと、心はざわつく。

奪ってしまえばいい・・・そう囁く声が聞こえるけれど、

もしも・・・誰かを想って今の彼女があるならば、

べつの誰かを胸に置く彼女が好きだとしたら・・・

きっと、どうしようもなくなってしまうだろう。



手を捕らえることも、聞くことも、帰すことも出来なくて、
とにかく落ち着かせようと黒崎は立ち上がった。

「・・・ちょっと出てくる・・・」

「え?どこ行くんだ・・・?もしかしてなんか用事あったのか?」

いきなり立ち上がり玄関の方に向かう黒崎に、
久美子は慌てて跡を追い、困惑した顔を浮かべた。

「近くにコインランドリーがあるから、そこでお前の服乾かしてくるだけ」

「あ、だったら私もっ・・・」

「・・・お前が濡れたらどうすんだよ。
それに、髪だって濡れたままで、また外に出たら風邪ひくだろーが・・・」

だから待ってろよ、と言葉や声には気遣わしげなものが含まれていたけれど、
黒崎は久美子と視線をあわせることなく、部屋を出ていった。





久美子に出会い、大きく成長した心は、時に優しく臆病で・・・。

彼女の世界を知らなすぎて、短すぎる2人の時間に微かな冷たい風が吹いていた。










どうしたらいいんだよ・・・・・・。



回り始めた音をバックに、黒崎は静かに降り続ける雨を見つめた。



2人の時間はどんどん限られていく。

とてつもなく絶好のチャンス。

今日ほどの機会は、もう巡ってこないかもしれない。

今日の2人の時間が終えてしまう前に、どうにかしたい。

きっと前の俺なら、感情のままに、勢いのままに、動いていただろう。

でも今は、突然浮かんだ迷いに、足がすくむ。

手を引いて、腕に抱いて、想いをぶつけてしまいたい。

自由なはずの告白さえも、戸惑ってしまう。


わかってるんだ。


たとえもしも彼女に大切な人がいても・・・

口にしたら・・・触れたら・・・もう本当に後には退けない。



抑えられない激情の中に、ちらつく悲しげな久美子の顔が・・・

それだけが、男の自分を押さえつけていた。















「・・・マジでふざけんなよ・・・・・」

悩みに悩み、苦悩し続けながらも、家に帰ってくるしかなかった黒崎は、
乾いた服の入った袋をそのままドサッと手から放し、
呆然としながら乾いた声を上げた。

その視線の先にいたのは、テーブルの脇で仰向けに眠っている久美子だった。

「・・・冗談じゃねー・・・」

しばらくあまりの光景に放心していた黒崎は、
深い溜息と共に、久美子の傍にしゃがんで
すっかり寝入っているらしいその寝顔を見つめた。

初めて見る寝顔。穏やかで、優しげな寝顔に、
鼓動はどんどん大きく増していく。

身体に再び熱を感じながらも、
そのあまりの安らかな寝顔に、苛立ちも感じはじめた。

人がもの凄い悩んでるっていうのに、
なんでそんなに幸せそうな顔してんだよ・・・。

無防備にもほどがある。

男として認識すらされてないのかと思うと、
もう悩んでる自分がバカにしか思えない。

可愛さあまって、憎さ100倍ってやつなんだろうか・・・?

悲しむ顔が見たくないとか、久美子ことを想って苦悩してやったというのに、
こんな態度されてむかつかないほうがどうかしてる!!

「マジでふざけんなよ・・・」

もういっそ、このまま手に入れてしまおうか。

そんなふうに思って、久美子に触れようとした瞬間。

久美子は突然身体を黒崎の方に寝返りをうち、
ふにゃ〜んとした顔をして、呟いた。

「・・・・・・しのはらさーん・・・・・・」



(・・・しの・・・はら・・・・?)


とろけるような寝顔で、甘えるような声。そんなんで呼ぶのは、間違いなく男。

そう直感した。


しのはら・・・。


それがこいつの大事な奴の名前なんだと。

そういう男がいる・・・そう思った瞬間。

予想していたはずなのに、目の前が真っ暗になり、
ユラユラと恐ろしいまでの赤い火が揺れた。

どんな奴かも知らない、名さえも初めて聞く存在を、こんなにも憎らしく思う。

やっぱり自分の知らない彼女がそこにはいて、その心はもう遠い。

久美子がこんなにも優しい存在じゃなかったら・・・

幸せそうな笑顔を浮かべていなかったら・・・

今すぐにでも、捕まえてしまえるのに・・・。

ギリッと痛む胸に、目元が熱くなりながらも、いまだ眠り続ける久美子の
肩に触れた瞬間、今度はむにゃーと片手を上げて、またまた呟いた。



「・・・ん・・・テツー・・・まだぁーかー・・・」



(・・・テ、テツ・・・?)




テツ・・・。どう考えても、男の名前だよな・・・。



(テツ・・・子・・・て、ことはねーよな・・・)



さっきとは違い、今度は少し不機嫌そうになっている。

でも、どこか無防備ですごく気を許してるような顔だ。



そしてまた自分の知らない名前に、
黒崎は思わず久美子の髪の毛を一房掴み、力を入れた。

すると、またまた久美子は呟いた。

「・・・むー・・・髪・・・引っ張るなよー・・・内山ぁー・・・」



(う、うちやまっ・・・?・・・うっちぃのことか?)


内山なんて名字、いくつもあるだろうが、
何故が妙な確信でアイツだって思えた。



(・・・こいつ、どんな夢みてやがんだ?)


というか、普通こんなに寝言で名前なんて呼ぶもんなのか?

しかも男の名前ばかりじゃねーか。

寝言で呟くのは、想い人っていう思いこみもあるんだろうが、
こいつの場合、どの奴とも深くつながってるような気がする。

(・・・もしかして、実はすげー男と遊んでる奴なのか・・・?)

無防備なのも全部ホントは誘ってるとか・・・?

そう考えはじめた頃、また久美子は呟いた。

「・・・沢田もー・・・ちゃんと・・・飯食えよー・・・」

(こ、こんどは、慎っ?!!)

慎の名前も出てきて、事件の時のことが頭をよぎる。

思い返してみると、あの2人も同じような感情を
微かだが抱いていたような気がする。

うっちぃはともかく、あの慎がセンコウと
仲良くつるむなんて、考えられない。

仲のよかった2人の友を思いだし、なんとなくだが、
わかってきたような気がして、再度久美子を見たら、
満面の笑顔の寝顔で、呟いていた。

「・・・んー・・・鍋・・・うまい・・・」

「・・・ッ!!」

その寝言に、黒崎は思わず吹き出そうになる笑いを抑えた。

(よ、よく考えてみりゃー、こ、こんなのに、男なんているわけねーよなぁー)

そんなちゃんとした男がいたら、自然ともっと女らしくとか、
年相応とか大人っぽい感じとかになってるものだ。



勝手に被害妄想じみたことを思い浮かべ、
悩んでいた自分がひどくバカで可笑しく思えてきて、笑いがわき上がる。

最初の男の名を呟いた久美子は、微かに淡いものを
見せていたけど、それ以上ではないだろう。

そう思った時、黒崎の顔からはピタリと笑みが消え、真剣なものに変わった。





うっちぃに、慎・・・。

おそらくテツという奴も、久美子の男というわけではないだろう。

でもこの男達は、久美子を自分と同じ気持ちで見ている・・・。

久美子は彼らの名を寝言で呟いた。

それは、久美子の中に他とは違う特別な位置にいる証拠でもある。





寝言の中に、俺の名前は出てこない。

当然だろう。

でも、傍で触れようとしたのは俺なのに、

久美子の夢の中で傍にいるのは俺じゃない。

久美子の中で、自分は特別な位置にはいない。



そう理解した瞬間、黒崎は久美子の頬に触れ、顔を近づけた。

ついさっきまで感じていた不安や苦悩は消え失せ、
また深く強い感情が一気にわき上がる。



一人でバカやってる暇なんてない。

こいつの特別な位置に自分もいきたい。



「・・・なぁ・・・久美子・・・」



名を呼んで欲しい。

自分だけの名前を、夢を見て欲しい・・・。



「・・・久美子・・・」

両手で頬を包んで、優しく届くように名前を呼び続ける。

「・・・ん・・・くろさき・・・・・・?」

ぼんやりとまだ夢の中にいるような久美子が、そう呟いた時、
黒崎はこみ上げてくる喜びに笑顔を浮かべ、

ゆっくりと久美子の唇にキスをした・・・。

ほんの少し触れた唇を放したとき、久美子はまた深い眠りについたように、
優しい寝顔を浮かべていて、黒崎は久美子の身体に腕をまわし、強く抱きしめた。





もう触れることに、不安な気持ちはない。

悩んで諦めたら、また昔の自分に戻ってしまう。

だから、後ろにさがることも立ち止まることも簡単にはできない。

もう前に進むしかない。

立ち止まることができるのは、久美子の傍に一緒にいるときだけ。









その気持ちを込めて、彼女の白い胸元に・・・赤いシルシをつけた。



それは、特別なシルシ。



今日からお前は俺の特別になったシルシ。



これからの人生の記念すべきはじまりのシルシ。









それは、すぐに消えてしまうものだけど。

久美子には気がつかれることのないものかもしれないけど。

けれど、大切な・・・一番大切な、シルシ。



心の中に刻まれた、特別なシルシ・・・。










あとがき



なんか後編が、前編からどんどん離れていく気がして、やばかったです。

もう、最後の方は、とってつけたような文になってしまいました・・・・・・。

一応、念のため書いておきますが、
黒崎はこれ以上のことはなにもやっておりません(笑)



実は、この後に抱きしめたまま黒崎は寝て、

翌朝、目を覚ました久美子がパニックにおちるシーンや、

遅刻しそうでバイクで送ってもらい、慎や内山たち3Dが、

ふとしたことで胸のシルシを見つけてしまう・・・。

というのを考えていたのですが、

後編の最初に久美子の気持ちを書いてしまって、

これで慎とかがでると、彼らが「○恋決定?!」な感じに

見えて悲しいので、出すのはやめました・・・。





自覚編からそうですが、私の中の黒クミは、ほのぼの系です。

手つないだり、なんもなく抱きしめてのどかにお昼寝したり・・・?

内クミはバカップルです。慎クミは・・・なんでもありな感じ・・・?