****** ロビーへと続く大階段で都倉は思わずその足を止めた。 気づいた相手も一瞬、視線を躊躇わせながらも上品な仕草で頭を下げる。 白衣のポケットへと滑り込ませていた手を引き抜いて、同じように静かに頭を下げた。 ぎこちない一瞬。 それでも。それだけでも。 十分過ぎるくらいだった。 院長の妻である彼女が夫の裏切りの証である自分を決して心から受け入れることはないだろう。 でもこうして、泉田家の城でもあるこの病院にいることを彼女は許してくれた。 それだけで十分だった。 あまりにも孤独だった時間。 独りきりになった瞬間から、止まったままだった時間。 それが今は確かに動き出していると実感できるほどに心は穏やかだった。 自分も彼の息子なんだと。家族なんだと。そう思える。 これ以上のことは何も望まなかった。 今のままで。他には何もいらない。 それなのに・・・何故−−−。 薄暗く青白い光りだけが浮かぶ室内で背中をドアへと押さえつけられながら、都倉はきつく、感情を堪えるように目を瞑った。 「いつまでこんなことを続けるおつもりですか」 目の前で自分を閉じ込めようとする存在から視界を閉ざすことで少しでも逃げ出したかった。 「言ったはずだろ。君を手放すつもりはないと。」 押し退けようとした手を反対に捕らえられ、深く囁かれる。 都倉は唇を噛み締め、足元を睨み付けることしか出来なかった。 家族ではなく。弟でもなく。 あれはそういう意味でいわれたのだと、あの日の出来事を繰り返される度に絶望のようなものが溢れかえる。 繰り返される行為はただ、身体だけを奪いつくされるばかりで・・・。 身体が慣らされていくことと引き換えに。 家族としての繋がりを削られていくような気がした。 冷めていく心のままに、なし崩しの関係を続けてしまったのは自分の責任でもあったのかもしれないけれど。 けれど病院に居られるのなら、割り切ることは簡単だと思っていたのだ。 彼が自分を抱き締める理由なんてわかるはずもないし、何を告げられたこともない。 家族や兄弟の情なんてもってのほかだろう。 視線を引き上げられるように肩を押さえつけられて、頑なに顔を逸らした。 「今日はやけに抵抗するんだな」 すかさず顎を掴まれ、捕らえられた腕に力が篭ると背筋に緊張が走る。 「おふくろにでも会ったか。」 「−−−っ」 張り詰めた心がギクりと軋んだ。 彼にとって自分は、ただ都合のいい相手だったのか。 それともジレンマに苦しむ心の剥げ口としてうってつけの存在だからなのか。 そんなことわかるはずもない。ただどちらにしても所詮自分は、彼の中で本当の家族にはなれない。 でも都倉にとって俊介は、泉田の家族だった。 名前を呼べと言われる度に、今以上に泉田の家に踏み込んでしまう気がして躊躇われた。 踏み込んで。そして失ってしまうのが怖い。 今のままで十分だと言いながら。心の底では、家族を求めていることを思い知りたくなかった。 もう十分すぎるほどに独りきりの孤独は、悲しいほど知っているから・・・。 あまりに自分が情けなくて。申し訳なくて。 現実を見つめてしまう度に、割り切ることが出来ないことを思い知った。 元々、割り切れるような間柄ではなかったのだ・・・。 「都倉先生」 悲しげに俯く彼の様子に、俊介もまた暗いものを胸の奥に陰らせた。 何故、彼と自分の間には血の繋がりなんてものが存在するのだろう。 抱き締めるたびに壊せない壁があることを思い知った。 血の繋がりなど、なければいいのに。 そんなものがなければ、孤独に悲しんでいる彼を別の立場として何よりも大事に包み込んでやれただろうに。 「諦めてくれ、都倉先生。」 言葉で傷つけずには済んだだろうに。 「−−−諦めてくれ。 俺は君を、血の繋がった家族だと認めることはできない・・・」 割り切った関係だと思わせているのは自分なのだとわかっていた。 それでも想いを口にすることは簡単じゃなかった。 言えばきっと、彼はこの腕から逃げてしまうだろう。 割り切れなくなった時、彼が選ぶのは自分ではないと知っているから。 これ以上先に彼が足を踏み入れたくないと思っているのは、どんなに抱かれたとしても泉田の家族なのである。 どんなに抱きしめても、俊介自身にはならない。 それがわかっているから、身体だけでも自分のものにするしかなかった。 言い訳だと言われようとも。こうして手に入れたものを、今更、どこにも行かせたく無かった。 「そんなことはわかってる・・・っ」 家族になれないことなんてわかってる。 そう言って崩れそうになる身体を腕の中に抱き止めながら。届かぬ想いに、胸を焦がした。 「・・・わかってないよ。都倉先生は。」 何も、わかっていない。 家族じゃ満足出来ないから、こうして君を奪うんじゃないか。 少しくらいわかってくれと、責めるように口付けた。 終。 |