「ほら、出来たぞ」 テーブルにそわそわとしながらも大人しく座っていた久美子の前に、一つの皿と氷のたっぷり入った水が置かれた。 ベーコンや野菜、玉子をご飯で炒めたチャーハン。 炒めただけの簡単な料理だけど、ベーコンやタマネギの香ばしい匂いは鼻をくすぐり、キレイに盛られている。 「おぉ〜すごいじゃないか!!ラーメン屋で食べるチャーハンみたいだな!!」 「いいから、早く食べろよ。」 慎はスプーンを握りしめて感激したようにチャーハンを見つめる久美子を促し、横に自分のチャーハンを置いて その場に座る。 「いただきまーす!!」 久美子の口にチャーハンが運ばれる。 「・・・ーーーう、うまいっ!!!」 味わうようにゆっくりと飲み込んで、本当に美味しそうに声が響き渡る。 ハグハグと自分の作ったチャーハンを満面の笑顔で食べる久美子に嬉しさと穏やかな気持ちがわき上がるけれど、 今はそれで満足してはいけない。 「ーーーーあー!!うまかった!!すごいぞ、沢田ー!!お前、こんなにうまい料理が作れるならちゃんと自炊しろよ もったいないじゃないか!!」 「めんどくせーんだよ・・・それより」 満足したようにニコニコと笑顔を浮かべる久美子の顎を掴んで、その瞳をのぞき込む。 「・・・?」 何が起きてるのかわからず、キョトンと自分を見つめ返す久美子に笑みを深めてもう片方の手で手首を掴み さらに距離を詰める。 「ご褒美くれるんだろ?」 「え・・・?ああ、そうだったな。なにが」 「キス」 言葉を遮るように聞こえてきた短い単語に、久美子の思考は固まる。 「・・・・・・・・・・・はい?」 今なんと? 「キスがほしい」 キス・・・? 「・・・天ぷら?」 「・・・お前のキスがほしい」 「・・・・・・・それ・・・は・・・」 「お前の唇がほしい」 顎を掴んでいた指が、なぞるように唇に触れてきて・・・ 言葉の意味を正確に理解して、久美子の顔はボンッと音をたてて真っ赤に染まった。 「な、な、なにっ・・・」 顔を真っ赤にした久美子は、身動きがとれない状況に動揺を隠せない。 「だから、ご褒美」 慌てて離れようとする久美子に慎はさらに近づく。 「お、お前、球技大会の時、嫌がってたじゃないかっ!!」 「俺にとってはあの時とは訳が違うんだよ。お前のほうこそあん時は自分からしたがってたじゃないか」 「あ、あれはっ・・・と、とにかく!!き、きすはだめだ!!他に・・・!!」 よくわからないけど、とにかくキスはだめだと心が言ってる。 心臓が壊れそうなほどバクバクいって、自分を見つめてくる視線に耐えきれなくて目を瞑った瞬間・・・ 身体が動いて、背中に冷たい床の感触を感じて思わず目を見開いた。 視界に広がったのは・・・。自分に覆い被さる慎とその向こうに見える天井。 そして、慎の声・・・。 「キスがだめなら、身体は?」 「ーーーか、かかかかっっって、な、なに、い、いてんだっ??!!」 逃げようとする久美子の手首を頭の上で束ねて抑えつける。 「さわだっっお前、変だぞっ??ちょっ、はなせよっ!!大体、そ、そうゆうことはっ す、好きな人にっっ」 何とか逃れようと必死に手首や身体をよじりながら言った言葉に、慎は手を放して床に両腕をついて静かに言った。 「だからお前にいってんだろ?」 腕の自由は戻っても、ふってきた言葉に動きが止まる。 「・・・へ?」 一瞬なにを言われたのわからなくて、思わず見た慎の顔と発せられる言葉にすべてを奪われる。 「お前が好きだから、キスがほしいっていってんだよ」 冗談とも思えない、とても真剣な顔で・・・ 「ずっと好きでしょうがなかった」 どこか寂しそうで・・・。 目が離せなくて・・・。 でも・・・ 「沢田・・・でも私は・・・お前は・・・大事な・・・生徒だし・・・」 そう、大事な生徒。 そう思ってるはずなのに、言葉が、声が、うまくしゃべれない。 さっきまでの酷く緊張して五月蠅いくらい鳴り響く心臓の音の所為とはちがう。 言葉を口にするのが・・・怖い・・・。 怖くて、声が震えだしそう・・・。 「・・・・・・」 「そ、それに・・・私は、しの」 それでも、ちゃんと伝えなくちゃ、と思って頑張って伝えようとした。 それなのに言葉を遮られ、 「お前、まだ自分があの刑事のこと、好きだって思ってんの?」 さっきの真剣な顔や声はどこへ行ったのか、呆れたように言った言葉にガバッと身体を起こす。 「決まってんだろ?私は」 そう言ったとたん、またドサッと押し倒された。 「あいつとの約束忘れて、俺のことで一日中頭いっぱいだったくせに?」 「そ、それは大事な生徒を心配して」 「身体の心配じゃなくて、冷たくされたことでいっぱいだったんじゃねーの?」 「っっそ、それはっ!!」 思わぬことで図星を指され声を張り上げそうになったが、突然頬を包み込むよう添えられた手に声をつむんでしまった。 そして・・・頬に感じる慎の体温とは別に・・・唇に・・・ 微かに触れた・・・それは・・・彼の・・・ 「・・・・・・」 ・・・キス・・・された・・・? ・・・キ・・・キスっ?!! 「・・・・・・」 目の前の彼女に。 こんなにも近くにいる彼女に。 なかなか進ませてくれない彼女に。 それは、もう衝動的に。 キスしたくなってしまった。 ほんの軽く唇をあわせただけのキス。 それだけでも、彼女に触れたその一瞬に、身体全身 にわき上がる熱と喜びを感じた。 細い彼女の身体を抱きしめ、喜びの絶頂に浸る慎だったが、腕の中で放心状態だった久美子の身体が 小刻みに震えだしたのに気がついて、我に返った。 震える身体に思いっきり嫌悪されたのかと思って胸に一瞬痛みが走ったけれど、久美子を見たらそんなもの 吹き飛んでしまった。 「・・・な、なんてことっっすすんだ〜っ!!」 震えて目にいっぱい涙を浮かべているけれど、顔は真っ赤で腕の中を嫌うどころか、恥ずかしさのあまり その腕にしがみつく姿は、とてつもなく可愛いもので自分を拒絶するそぶりもない。 その仕草はとても二十歳を越えた大人の反応とは思えなくて、ある疑問が浮かんだがその答えはすぐに出た。 「・・・私の、ファーストキスだったのに・・・初めてのキスは・・・ううう〜〜」 さらに腕にしがみついて泣き始める久美子の様子に、キスをしたというとこで頭がいっぱいで自分が今どんな状況で、 誰に何をしてるのかもわかっていないのだろうと感じた慎は、少し意地悪そうに腕の力を強めて囁く。 「初めてだったんだ?」 「ーーーーー!!!!」 慎のその一言で我に返った久美子だが、力一杯抱きしめられた腕と思わず見てしまった慎の顔に動くことが出来なかった。 それは優しくて、嬉しそうに頬笑む顔。 初めて見る顔だけど、どこか懐かしくて、心の奥が熱くなって、暖かくて・・・ トクン・・・トクン・・・ 鼓動が静かに響き渡った。 その仕草に慎は嬉しくてしょうがないけれど、慎は腕の中の久美子の身を離す。 「な、なんでいきなりキスするんだよ・・・。大体篠原さんを好きかどうかの話をしてたんじゃないかっっ」 隠す術を無くし、恥ずかしさに久美子は身を縮める。 「その話はもうやめろ。好きかどうかは今は大した問題じゃない」 「大問題だろっっ!!」 思わず声を張り上げてやっと視線が合わさり、慎は片方の手で久美子の手を取りもう片方の手を頬に添えて話を進めていく。 「今は俺とお前の問題だろ?」 「・・・私とお前は・・・」 「教師と生徒とかのことを言ってるんじゃない」 「じゃあ、なんだよ?」 「キスされて、嫌だったか?」 「・・・・・・」 慎の言葉に久美子は戸惑いつつも小さく首を振る。 それは素直な気持ち。 とても大切だったファーストキスを突然奪われてショックなような悔しいような気持ちはあるけど、それは一瞬の感情。 「・・・こうするの嫌か?」 落ち着いて優しい声とともに、引き寄せられて抱きしめられる。 「・・・嫌じゃない・・・」 その言葉に安心したように小さく息をついて力を抜く慎に、久美子は何故かくすぐったくて笑顔がこぼれた。 「なんか変な感じなんだ。すごく緊張してるのに、安心して。どうしたらいいかわからないのに、落ち着くんだ・・・」 とても不思議な気持ち。 「・・・ああ、俺も同じ感じがするな」 慎も感じている気持ち。 そう感じたら、また嬉しくなった。 「あのな、沢田・・・。まだ正直いってよくわからないんだけど・・・ でも、お前の気持ち、嬉しいよ・・・」 今はまだ・・・わからない気持ち。 答えを出せない気持ち・・・。 「・・・だから、もう少し・・・まっててくれないか・・・?」 卑怯かもしれないけど、今はこのままでいたい気がした。 でもきっと、答えが出せる。 そんな気がするんだ・・・。 「・・・まっててやるよ」 少し残念な気もあるけれど、それ以上に嬉しくもある。 恋にあまりに無垢な彼女の精一杯の言葉。 その気持ちを完全なものにするためには、まだまだ、これから。 「なぁ、夏休みにチャーハンの作り方教えてやるよ」 「何いってんだよー。お前に教わんなくたって自分で」 「焦がすに決まってるだろ」 「う・・・」 「キスの詫びもあるし、一ヶ月もほっといたら、俺、餓死してるかもしれないぜ?」 「そ、それはあり得るな・・・。しょうがない!!この心優しい私が、忙しい合間をぬって面倒みてやろう!」 「んじゃ、決まりな」 「おうっ!!」 心のどこかで決めつけていた。 こいつの未来は、あの刑事に繋がっていると。 心の奥底で逃げて諦めて、悔しさだけで宣戦布告をして見せた。 だから、そのあとも久美子には何もしようとしなかった。 でも腕の中の温もりに、未来はまだ決められていないんだと思える。 だから今は、自分の気持ちを大切にしよう。 今日繋がれた手は、自分から離さなければ、いつもすぐ傍にあるから。 傷つけて、抱きしめて、キスした日。 それは、ずっと冷たい暗がりの中にいた慎の心が、初めて外へ出て、熱い季節を感じた日。 慎の熱い夏は、まだまだこれから・・・。 終 |