「はぁ・・・やっと終わった・・・」

テーブルに積んだプリントの山に最後の一枚を乗せて、久美子は息をついた。

全クラスに配ったプリントをチェックするのは結構一苦労だ。

「お疲れ様です、お嬢」

「おうっ。ありがと」

お茶を持ってきてくれたミノルに軽く笑顔を浮かべて、久美子は自分の肩に手をかけた。

「肩おもみしやすか?」

「ん〜・・・いいや・・・大丈夫ー・・・」

少し間延びした声をあげながら、微かに眉を寄せて首を捻ったり肩を擦ったり。

相当お疲れな様子にミノルは心配げな視線を向けた。

それに気づいて、久美子は小さく笑った。

「大丈夫だよ。ん〜なんかドシッっていうか、のしっていうか、なんか時々妙な違和感があるんだよな」

「・・・へえ・・・?・・・それは肩こりが酷いんじゃ・・・?」

「ん〜・・・そうなのかな?・・・どっちかっていうと・・・物足りない・・・ような・・・?」

「物足りない?」

「んー・・・な〜んか・・・妙な感じ・・・」

「・・・はぁ・・・?」

ただ違和感があるばかりで、自分でもよくわからない様子にミノルはふと思う。

(・・・まさか肩に霊でも取りついてるんじゃ・・・)

と、一瞬思ったけれど。

いつも一言多いミノルでも、さすがにそれだけは口には出さなかったらしい。


そして次の日。その違和感の理由を久美子は知った。



(・・・こ、こいつの所為だ・・・)

床に座り込んでいる久美子は俯きながら、顔を引きつらせた。

背中には隼人がベッタリと引っ付いている。

お腹の辺りに腕を回し、肩に頭を乗せてのしりと体重をかけてくる。

その重みが違和感の理由だった。

学校で仕事した後は、いっつもこうやって後ろから引っ付いてくるから、すっかりこの感じになれてしまったようだ。

(・・・って!!なれてどうするっ!!)

「−−−矢吹ッ!!」

「−−−なんだよっ!?」

うがっ!と突然腰を浮かせて怒鳴る久美子に隼人は驚きつつも、しっかりと腕の力を強めた。

ギュッとお腹らへんに力を入れられ、グイッと引き寄せられる感じに思わず、かぁぁっ!と顔が赤くなってしまう。

そのまま元の体勢に戻され、結局ただ余計に恥ずかしさを感じただけになってしまった。

うぅ・・・と縮こまる久美子に、隼人はさらに力を込め、体重をかけてくる。

「なんだよ?どした?」

耳まで真っ赤に染めてる姿に抑えきれない笑みが声にも出てしまう。

「なんでもなっ・・・くないっ!!」

ボッとなって咄嗟に否定しようとしながらも、すぐにハッとして言い換えた。

(こっここはビシッというべきだっ!!)

(・・・あ〜・・・すっげー可愛いよな〜・・・)

強く決意した久美子の後ろで、隼人は久美子の可愛さに浮かれていた。

けれど、だらしなく緩んだその顔が久美子の言葉で一変する。

「おっお前っそのっ人の背中に引っ付くっていうかっ圧し掛かるの、もうやめろっ!!」

力ずくでお腹の腕をひっぺがし、久美子は赤い顔のまま振り返った。

隼人の表情が一瞬にして強張る。

苛立ちを含んだその顔に思わず隼人の身体を手で押し返して離れようとするけれど、それは許されない。

「・・・無理に決まってるだろ・・・?」

低い声にビクリと震えた。

掴まれた腕に痛みが走り、腰を引き寄せられる。

様子がおかしい。

(・・・なっなんでこんなに怒ってんだっこいつっ?!)

隼人がなぜこんなにも苛立ちを感じてるのか、久美子にはわからない。

「引っ付くな」や「圧し掛かるな」「やめろ」・・・なんて、よく言ってる言葉だ。

恥ずかしかったり。戸惑ったりするときは、すぐに出てしまう。

不機嫌そうにしたり、余計に酷くからかってきたりすることはあっても。
こんなに怒りを露にすることはなかった。

「・・・無理だからな、ぜってー・・・止められるわけねーだろ?」

ぎゅうっと強く抱きしめられて、囁く声がなぜか苦しそうで・・・久美子は戸惑ってしまう。

「・・・やぶき・・・?」

戸惑った声に、隼人はさらに強く抱きしめた。

「引っ付くな」や「圧し掛かるな」「やめろ」・・・なんて、よく言われる言葉だ。

赤い顔をして。困ったように眉を寄せたりして。どうしたらいいかわからない時に久美子がいう言葉。

たとえはぐらかしたり誤魔化したりしたいだけでも拒絶されることは不快に感じるし、
恥ずかしそうに突っぱねようとする姿は可愛いと思う。

だけど今の言葉は、嫌だった。

たった一言、「もう」がついただけで。それだけで・・・こんなにもおかしくなりそうになる。


「もうやめろ」・・・・・・「もう二度と触れるな」・・・・・・そう、言われたような気がした・・・。


「矢吹・・・?」

肩に顔を埋めて抱きしめてくる隼人の身体が微かに震えているのがわかって、
久美子は戸惑いながらもそっとその肩に触れた。

「・・・ごめん・・・あの・・・強く言い過ぎ・・・たか・・・?」

わからなくて窺うような声。きっと、そんなに深く考えて言ったわけじゃない。

そう思うと、少しホッとした。

「・・・なんで・・・もうやめろ・・・なんて言ったんだ・・・?」

まだ微かに震えそうになる声で聞いてみた。

「え?・・・ああそれは・・・っ!」

思わず言いそうになって、久美子は慌てて口を噤んだ。

(まっまさか引っ付れるのに慣れて、無いと違和感感じるから。なんてっいっ言えるわけないっ!!)

そんなの恥ずかしすぎだっ!!

と、顔を真っ赤にして固まった久美子に隼人は肩から顔を上げると訝しげに眉を寄せた。

「・・・なんだよ」

「あっと・・・えっと・・・そっそそそのっ・・・肩っ・・・肩こりが・・・酷くて・・・だな・・・」

「はあ?」

(・・・それだけかよ・・・)

明らかに動揺しているのを「肩こりが恥ずかしい」と解釈した隼人は、一気に力が抜けた。

(俺は肩こりが理由で言われた言葉にあんなに動揺したのか・・・?)

安心すると同時に、なんか自分が馬鹿に思えてくる。

それに「ただの肩こりで俺にあんな嫌なことを言いやがったのか、こいつ」と、思って。

隼人は意地の悪い笑みを口元に浮かべた。

「お前さー引っ付くなとかいうのはいいけど、もう少し言い方あんじゃねーの?」

「言い方?」

「そっ。抱きしめる・・・とか?」

「−−−だっ!?」

久美子の顔が、ぼわっと一気に真っ赤になった。

「せめて抱きつくとかさー」

「だっ!だだだ誰がっそんなこというかっ!!引っ付くで十分だっお前はっ!!」

カッカッカッカッと熱を上げる様子に隼人は可笑しそうに笑い声を上げた。

「おっおまえ・・・やっぱっ・・・可愛い・・・つーか可愛すぎてっ俺・・・おかしくなりそっ・・・」

「ばっ馬鹿にすんなっ!!」

肩を震わせて笑う隼人にますます顔を赤くしながら怒鳴った久美子は、ふっと隼人の肩に目を止めて思った。

(そういえば・・・圧し掛かったことってないよな・・・?)

いっつも隼人がそうしたいほど、圧し掛かるのは楽しいものなんだろうか?

なんかそう思うと興味が湧いてくる。

(背中に引っ付くのってどんな感じなんだ・・・?)

背中を預けて座るのは心地いいけど、背中に引っ付くのも心地いいものなんだろうか?

なんか凄く・・・ウズウズしてきた。

「・・・背中・・・乗ってみたい・・・」

「は?」

まだ少し笑いが残っていた隼人は、間の抜けた声をあげた。

「私も圧し掛かってみたいっ!」

「はあっ!?ちょっちょっと待てッ!!」

がばっと立ち上がって背後に行こうとする久美子の腕を、隼人は慌てて掴んだ。

(なに考えてんだっこの女はっ!)

「俺を殺す気かっ!?」

「なっ!?失礼な奴だなっ!!私はっそんなに重くっ・・・ないっ」

ムカッと怒ったと思ったら、今度は急に萎んだようにシュンとなった。

「・・・と、思うけど・・・重い・・・か・・・?」

自信なさげに自分の身体を見下ろして、ごにょごにょと不安そうに呟く。

「・・・そういう意味じゃねーんだけど・・・?」

「え?なんだよっ!気にしちゃったじゃねーかっ!じゃあなんだ?」

「俺がいってんのは体重のことじゃなくてっ!とっとにかくやめろっ!!」

「なんでだよっ!!いいじゃないかっ!!いっつもお前ばっかでずるいっ!!」

「ずるいってっ・・・ガキかよっテメーはっ!!」

(あ゛ぁ゛〜〜〜〜っ!!誰かこいつの精神年齢どうにかしてくれっ!!)

と、心の中で祈りを叫んでいる間に久美子は背後にまわりこんだ。

そして首に腕を回して首を肩にかけ、ベタリと引っ付いた。

それはまるで小さな子供がお父さんの首に引っ付いてるように・・・も、見えなくもない。 

「−−−っ!?!?」

が、隼人にとってはそんなもんじゃ済まされない。

もろに意識していた所為で、もろにわかってしまった。

(あっ当たってんだよ〜〜っ!!わかれよっ20過ぎてんだろってめーーーっ!!)

心の中で叫んでも。久美子にそんな意識あるはずもなく。

隼人はただ一人懸命に自らの理性と戦うしかないのだった。

そして久美子はというと。

どうやらなかなか心地いいらしく、隼人の背中でふにゃーと幸せそうな笑顔を浮かべていた。


やはり恋人同士の甘い雰囲気には、まだまだ遠い二人である。





あとがき

えっと一応ラストは、「時には隼人に甘えてみたい久美子」って感じで書いてみました。

隼クミシリーズの久美子は素直じゃないので、このぐらいが丁度いいんじゃないでしょうかね。

可愛く書けたし。切なさも込められたし。隼人の理性強さも書けたし。

ストーリー的にはちゃんと書けた気がします。やっぱまだまだ文章の勉強が必要ですね。あと、言葉とか表現とか。