「沢田っ?!」

誰もいないと思っていたら、教卓の横に座りこんでいる慎の姿があった。

教卓で久美子からは見えなかったのだ。

「お、お前、びっくりするじゃね〜か・・・っ!!」

近くにあった机に手をついて、深い溜息を漏らす。

「・・・・・・・・・・・・」

突然のことに動揺していた胸を落ち着かせると、こちらに向けられる視線に気がついた。

それと同時に疑問も浮かんでくる。

「・・・お前、なにやってんだ?・・・一人か?」

いつもならほかの連中と一緒にとっくに帰っているはずの慎が一人で残っているなんて珍しいことだ。

それに、座り込んでなにをしてたんだ?

疑問に思い、彼のほうを見ると座り込んでいる慎の横に探していた教科書や出席簿が置かれているのに気がついた。

「あーっ!お前っ、それ見たのかっ?!」

教科書を指差して叫ぶ久美子を見つめながら、慎は座り込んだまま教科書を一冊手に取る。

「・・・・・見られて困るようなもんでもはさんであんの?」

「今度やるプリント用紙がはさんであるんだよっ!・・・・・っ?!」

答えを口にしてしまったあとで、自分が墓穴を掘ってしまったことに気がついた。

慌てて口元を手で押さえるが、もう遅い。

慎は丁度手に持っていた教科書の間に挟まっている用紙を引き抜いて、それに目を通してた。

一瞬取り返そうと思った久美子だったが、その手を止めた。

「うー・・・まあ、お前なら見てもみなくても同じだよな、悔しいけど。・・・あ、でもほかの奴らには言うなよ?」

今までの彼のプリントやテストの成績を思い出すと、なんとなく悔しいような気がした。

教師としては生徒が成績がいいのはいいことだけど、真面目に授業を受けてるようには見えない彼が、自分の作った問題を簡単に解いてしまうのは、どうも負けてるような気がしてしまう。

勝ち負けの問題でもないけど。なんか負けたくないって思ってしまう。

なんでへんな意地を張ってしまうんだろう?

そう思ったことは何度もあるけれど、いまだよくわからないのだ。

そんなことを考えていると、またジッとこちらを見つめる視線に気がついた。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

視線を向けると、やはり自分を見つめている慎と目があった。

その表情はいつもと同じだけど、こちらを見つめる視線の中にいつもと違う何かがある気がした。

なんだろう?なんか・・・責められてるような気がする・・・?

そういえば、いつもだったらからかうような態度をとるのに、墓穴を掘った久美子になんの反応も示さなかった。

ジッとこちらを見つめ続ける慎の様子に、だんだん不安になってきた。

室内に流れる空気が、一気に張り詰めていくような感じがして思わず身体が後ろに下がろうとしたけれど、それより先に慎が視線を逸らしたため困惑した声で名前を呼ぶだけだった。

「・・・沢田?」

「・・・・・・教科書取りに来たんだろ?」

「・・・え?あ、うん・・・」

問いかける声は淡々としているけれど、俯いて見えない彼の表情にひどく不安に感じて、近づこうとした久美子にまた声がかかる。

「・・・教科書も忘れるほどアイツと出かけんのが嬉しいんだ・・・?」

けれどその声はとても小さくて、久美子にはよく聞こえなかった。

首を傾げた久美子はさらに慎に近づく。

すると突然、慎は久美子の腕を片方掴んで立ち上がった。

「・・・ぶち壊しになったら・・・お前、どうする・・・?」

「なに、いってんだ?・・・・・・もしかしてなんかあったのか?」

突然立ち上がった慎に驚きながらも、見上げた先にある表情がどこか苦しそうで

後ろに退くことは出来なかった。

さっきから無意識のうちに彼に引き込まれてる気がしつつも、そこから離れることができない。

いったいなにがあったのかと、慎の言葉を固唾を呑んで久美子は待った。

数秒の後。慎が口を開いた。

「岩下志麻の写真、出せ」

「・・・・・・は?」

真剣な面持ちで待っていた久美子は、慎の言葉に間の抜けた声を上げた。

「朝、自慢してただろ?出せよ」

「・・・・・・・はい・・・」

強い口調で言われて、訳がわからぬままバッグを置いておいた机に向かった。

バッグの中から写真を取り出すと、久美子の顔が突然笑顔に変わる。

「もしかして、お前っ!そうか〜、そうだったんだなっ!!」

うんうんと一人で頷きながら、やけに嬉しそうな顔で慎のそばに戻ってきた。

「お前も志麻ねえさんのファンだったとはね〜っ!」

「・・・・・・・・・・・・・・」

ニコニコと嬉しそうに笑いながら写真を差し出す久美子を無表情で見つめながら慎は写真を受け取った。

「まったくっ!心配させんなよ〜。それ、貸してやるから、今日はもう家に帰るんだぞ〜」

普段全然好みや趣味の話をしない慎の以外な好みを知ると同時に、慎が自分と同じ好きなものがあったことにも何となく喜ばしかったりして、久美子は嬉しそうに教室を出ようとした。

さっきまでの慎のおかしな様子も照れ隠しだったんだろうと勝手に解釈をし、やっぱり志麻ねえさんだよな〜と悦に浸る久美子だったが背後から聞こえてきた声に一気に表情を凍りつかせてしまう。

「四枚ぐらいに破いて返してやるよ」

「−−−−−・・・なっ?!?!」

思いもよらぬ言葉に勢いよく振り向いた先では、慎が破くように写真を持っていた。

「灰になって返ってくるかもな」

慎の顔に微かな笑みが浮かんだ瞬間、久美子はゾクッとするような感覚を背中に感じた。

本気・・・・・・だ。

そして自分の解釈がとんでもない間違いだったことに気がついた。

「な、なにいってんだよっ!!返せっ!!」

慎に駆け寄り、写真に手を伸ばすけれど、その腕を捕まれてしまう。

もう片方の手で取ろうとしても、写真を持つ手を高く上げられてしまい
慎より背の低い久美子には届かない。

「沢田っ!!いい加減にしろっ!!返せってばっ!!」

腕を掴む手を解こうとしたり、精一杯手を伸ばして写真を取ろうとするけれど、どれもうまくいかない。

「・・・アイツとのデートを守ってくれるお守りがそんなに大事か・・・?」

「お前っ・・・さっきからなにいってんだよっ」

「この写真のおかげだとか思ってんだろ?だから無くしたくないんだよな」

確かにそれもある。

偶然かもしれないけど、この写真のおかげで今日は沢山のいい出来事が起きてるんだ。

「それもあるけど・・・でもっ」

志麻ねえさんは、ずっとずっと大好きな人だから。

だから写真を貰ったときはすごく嬉しかったし、一生大事な宝物にしようって決めたんだ。

「お前だって知ってんだろっ!!私が志麻ねえさんの大ファンだってっ!だから返せよっ!!」

「だったら・・・」

「なんだっ!!」

なんでこんな酷いことすんだよっ・・・。

私が何したっていうんだっ・・・・・・・・・。

「だったら今すぐあの刑事に電話して、今日のこと断れ」

「?!」

な、なんだ?それ・・・・・・?

「そしたら返してやるよ。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

久美子は困惑しながらも、すぐ目の前にある慎の顔を見つめた。

困惑したのは、篠原さんと志麻ねえさんを天秤にかけたからじゃない。

わからないのだ。目の前にいる慎の気持ちが。

写真を取り返すのに必死で気がつかなかったけれど、腕を掴む手が痛いほどきつくて、震えるほどに握り締められているその腕が何かを押し殺したような彼の気持ちを表してるような気がした。

けれどその気持ちがなんなのかわからない久美子は戸惑いながらも少し思い悩んだあと、答えを出した。

「・・・わかった・・・」

答えて腕を放すまでのほんの一瞬、腕を掴む力がさらに強くなるのを感じた。

困惑しながらも、触れあう力だけが確かなものとして胸に強く拒絶を止まらせていた。



バッグの中から携帯を取り出して、篠原さんへと電話をかける。

鳴り始めた電子音を聞きながら、久美子はその向こうにいる篠原さんではなく
痛いほどに感じる慎の視線に意識を奪われていた。

「・・・・・・はい・・・本当にすみません・・・」

いつもの穏やかな声音に混ざる沈んだ雰囲気を感じて、チクリと胸が痛んだ。

だけどそれは無くなったデートへのショックではなくて、罪悪感のようなもののような気がした。

あんなに嬉しくてたまらなかったはずなのに・・・。

もともとトラブルが起きれば、きっと断るだろうとわかっていたけど。

でも今はトラブルとは言いがたいし、強引で横暴な慎にいいようにつきあわなければならない理由なんてないはずなのに。

だけど、できなかった・・・。

生徒が酷く思い詰めているのに・・・何もしないでいるなんてできない。

私は教師なんだし・・・。力になってあげたいから・・・。

「・・・いっとくけどなっ。志麻ねえさんと篠原さんのどっちが大事とか、そんなことで決めたんじゃないんだからな」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「なんか悩んでることがあるなら、聞くから。だから、無茶苦茶なことすんなよ。・・・ただでさえお前、わかりずらいんだから」

いつも一人で考えて悩んでしまうのが、彼の不器用なところだと思う。

少しずつだけど、彼が心を開いてくれるのはとても嬉しいけど、

もっと多くのものを打ち明けてくれたらいいのに・・・と思うこともあった。

不器用なところや悩みも見せて欲しいって思うことは、欲張りなのかもしれない。

「・・・・・・・本当に聞いてくれんの?」

「もちろんっ!ちゃんと聞くっ!」

「・・・どんなことでも?お前にとったら・・・迷惑なことかもしれないぜ?」

「う〜ん・・・もしかして恋の悩みとかか?それは・・・ちょっといいアドバイスが出来るかわかんないけど」

「アドバイスなんていらねーよ・・・・・・聞いてくれるだけでいい・・・」

「そうか?ま、話すだけで楽になるってこともあるしな。−−−−−え、どこ行くんだ?」

「・・・家・・・」







志麻ねえさん。

いったい・・・どうなっているんでしょうか?



志麻姉さん・・・。

こんなとき私はどうしたらいいんでしょうか?

もしかしたら・・・これって人生最大のピンチなのかもしれません・・・・・・。







・・・なんだ?

なーんか・・・みょ、みょーな雰囲気がしてるんですけど・・・。

「・・・・・・・・・・・」

慎の部屋へ来た久美子は、なんとも気まずい雰囲気の中で、ただただ正座した足に力を込めるしかできなかった。

はじめはテーブルを挟んで座っていたのに、腕を引かれて真正面に座らされる。

正座をして、話を聞く体勢を作って待つこと数十秒もたつというのに、慎はただ見つめ続けるだけだった。

話してくれなきゃわかんねーだろっ?!

気があまり長くない久美子はいいかげんイライラし始めていたのだが、部屋を包む空気といつもと違う慎の様子に声も出すことができなかった。

時間がたつにつれてどんどん居心地が悪くなっている気がする。

それにずっと見つめ続ける慎の瞳が、ひどく不安な気持ちにさせるのだ。

私にいったいどうしろっていうんだよっ?!

今になって、引っ張られるままに部屋まで来てしまったことを後悔したくなってきた。

久美子のそんな気持ちに気がついたのか、慎はほんの少し顔を伏せたあと
意を決したように顔を上げて久美子の腕に手を伸ばした。

「・・・っ?!」

突然腕をつかまれ、久美子の肩がビクリと震える。

困惑したような、そして怯えたような久美子の態度に腕をつかむ手に力を込めながら、

慎は一言、ポツリと言った。

「・・・好きだ」

「・・・・・・・」

見つめ合う久美子の瞳が、大きく見開いていく。

「お前のことが好きだ・・・」

突然の告白に、意識が混乱する。

彼の言葉の意味を理解することすら困難だ。

「な、なに・・・いって・・・・・・・・っ!?」

突然のことにわけがわからなくて思わず後ろに下がろうとした久美子だったが、つかまれた腕を引っ張られて慎の腕の中に引き寄せられてしまった。

「逃げるなよ・・・。聞いてくれるっていっただろ?」

抱きしめられ、身体を包み込むようなぬくもりとすぐ耳元で囁く声に、かぁっと顔が熱くなる。

恥ずかしさに腕の中から逃れようとしても、さらに強く抱きしめられてしまった。

「・・・好きなんだよ。」

「そ、そんな・・・こと・・・」

突然言われたって、ど、どうすればいいんだよ・・・っ!

嘘・・・じゃないんだよなっ?

で、でも・・・

「好きで・・・。だから、ほかのやつとデートするなんて我慢できなかった・・・」

「だ、だからって、あんなやり方すんなよっ・・・」

「・・・わかってる。自分でもひどいことしてるってわかってんだよ・・・。でも・・・」

肩を抱きこんでいた腕が片方腰に移動し、腕の中で俯いていた久美子は背中に回される腕と、腰を掴む手にビクリと全身を震わせて、思わず慎の顔を見上げてしまった。

「抑えきれなくなる。お前のことになると、我慢できなくなんだよ・・・。」

「・・・沢田・・・・・・」

だからっ・・・そんなこと言うなよ・・・。

そんな顔、すんなよ・・・。

こっちまで切なくなるほど、思いつめたような顔をしている慎に久美子の心は大きく跳ね上がっていた。

けれど久美子はどうすればいいのか本当にわからなかった。

慎の気持ちや感情がこもった瞳を見ていることができなくて、俯くしかできない。

身体が震えてしまいそうで、思わず慎の服を掴んでしまう。

「そんな・・・こと、いったって・・・わ、私は・・・教師なんだぞ・・・」

自分は教師で、こいつは大切な生徒なんだ・・・。

なのに・・・なんでこんなにドキドキしてるんだろ・・・。

「わ、わからないよ・・・沢田・・・どうすればいいんだよ・・・・・・」

「・・・断り方がわかんねーの?」

「・・・・・・え?」

慎の言葉に、思わず顔を上げてしまうと抱き寄せられたまま頬に彼の手が触れてきた。

自分でも熱くなっているのがわかっていたから、とても恥ずかしくてたまらない気持ちになったけど、それよりも先に声が出ていた。

「違うっ!・・・あ・・・そうじゃなくて・・・断るとか・・・そうゆうことじゃなくて・・・」

・・・なんていったらいいんだろう・・・?

なんで・・・なんで・・・もっとちゃんと言えないんだろう?

真剣に打ち明けてくれている彼に対して、自分はなんて卑怯なんだろう・・・。

答えが欲しい彼に答えを求めて、それが彼を傷つけることになるのもわからなくて。

悔しくて・・・涙が出そうになる・・・。

「・・・簡単なことだろ・・・?」

今にも涙がこぼれ落ちそうな潤んだ瞳を覗きこまれる。

「・・・・・・・・?」

「俺を・・・見ればいいだろ?」

「・・・み、見てるぞ・・・?」

「そうじゃなくて。・・・男として、見ろっていってんだよ」

「・・・・・・っ・・・・・・・!」

「生徒とか、教師とか・・・それだけじゃなくて。ちゃんと一人の男として見て、そういう気持ちの奴がいるってこと自覚しろよ・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「俺だって考えたさ。お前はセンコーだし、全然女らしくねーけど・・・でも俺にとっては女だって・・・そう気づいたら、もうお前だけしか考えられなくなってた・・・」

「・・・さわ・・・だ・・・・・・」

どうして・・・

生徒として、教師として・・・それだけが自分と彼を繋ぐものだと思っていたのに・・・。

なんで・・・お前は・・・。

私はお前の先生だから、私には何でも見せて欲しいなんて・・・
言ってた自分が恥ずかしくてたまらない。

生徒とか教師とか、そんな立場を利用していたのは・・・私の方だ・・・。

意地を張る意味が、やっとわかった・・・。

彼を見て思うこと全てに・・・私は意地を張っていたんだ・・・。



「・・・男としてみても、まだあの刑事以上に想えなくても・・・俺、諦める気なんてないから」

張り続けた意地を溶かしていくように・・・涙が溢れ出して・・・視界が滲んでいった。

強く、強く抱きしめる慎の腕も、声も・・・暖かくて、力強くて・・・

でも、微かに震えているのを感じて、久美子は小さく微笑んだ。

「なあ、沢田・・・。あの時さ・・・お前だったら・・・選んでたと思うよ・・・きっと・・・」

利用していたけど。だけど、それは確かに二人の間にあるものだから・・・。

だから今は・・・まだ私とお前は先生と生徒だよ。

やっぱり私は卑怯で意地っ張りだけど・・・それでも、諦めないでいてほしい。

見ていてほしい・・・。

私もちゃんとお前を見てるから・・・。

・・・・・・・・ちゃんと・・・男として・・・・・。





慎クミ 終。



大変遅れまくってましたね・・・。

もう何ヶ月も前にほとんど書いてあったので、昔の慎クミ小説が気に入っている方には、懐かしい慎かもしれません。

一応補足ですが、ラストの久美子のセリフは

「志麻ねえさんと篠原さんのどっちが大事」ってところからくるセリフです。

わかりやすくいうと、

「篠原さん=志麻姉さん 篠原さん<慎 志麻姉さん<慎」てことですかね。