優しい吐息











この白い吐息のように・・・。


空に消えてしまえばいいのに・・・・・。











昨日降っていた雨がすっかり止んだ日。


放課後の屋上で、竜は一人、ベンチに座って空を見上げた。


肩を落として、溜息と一緒に空に広がる白い息を、何度見ただろう。


それと一緒に浮かんでくるのは、昨日の光景。


白い息は広がって消えていくけれど、あの光景は頭に焼き付いて、いつまでも消えなかった。








表情、視線、空気。


雨の中を二人並んで遠ざかっていく後姿。








その全てが悔しいと感じた瞬間、曖昧だった気持ちが、確かなものに変わった。





自覚した瞬間に、その女は自分じゃない男に腕を引かれて消えていくなんて。


なんて惨めな始まり・・・。


教師に恋愛感情をもつこと自体ありえないと思っていたのに、始まりさえもありえない。


一瞬、絶望的だと思った。





だけど自覚した想いが強くて・・・触れたい、引き寄せたい、壊したい・・・


そう・・・思ってしまう・・・。





それに加えて、相手があまりに無防備すぎる・・・。





「そんな溜息ばっかついてたら、幸せ逃げちゃうぞ?」


突然の声に視線を動かせば、いつのまにやら久美子の姿があった。


微笑む久美子から視線を逸らして、また空を見上げる。





「数学の時間からずっとここにいたのか?」


6時限目の数学も休んで、そのあとのHRも教室には行かなかった。


久美子のいったとおり、ずっと屋上で空を見上げてた。


「お前、風邪ひくぞ?こんな寒いところにいて・・・」


寒さなんて、全然感じなかった。








また・・・空に白い息が広がる。








なんであんな形で自覚したんだよ・・・。


もっとべつの、違った形であったなら、こんなに悩むことなどなかったのに。


今日だって、ずっとこいつを見ていれたのに・・・・・・。


あの時だって・・・・・・二人が遠ざかる前に、なにか出来たかもしれないのに・・・。





やっぱり俺は・・・ひどく惨めだ・・・。








もう一度・・・溜息をつこうとした時。


視界の隅で、久美子が動いた。


「・・・はぁ・・・・・やっぱり今日は寒いね」


隣に座って、同じように久美子は空を見上げる。





白い吐息が、広がって消えた・・・。


そして・・・・・・。








・・・トクン。








と、胸の奥が・・・小さな音を立てた。








すぐ隣で、空を見上げるその横顔に・・・少しずつ鼓動が加速していく。


微笑むその顔が、とても穏やかで優しくて。


消えてしまう・・・真っ白な吐息でさえも・・・綺麗だと、思った。





その瞬間、なぜかとても泣きそうになって・・・竜は慌てて顔をそむけた。





どうして・・・・・・?


どうして・・・そう・・・。俺の心を動かしていくんだ・・・。


こんな惨めな心を動かしたところで・・・余計に惨めにさせるだけなのに・・・。





その全てが綺麗すぎて・・・。


惨めな自分は・・・・・暗く、深く・・・落ちていく・・・。


そして、激しい想いが浮かんできた。








・・・・・・ありえない感情を人に植えつけておいて。


こんなに惨めな恋を自覚させておいて。


お前は、勝手に見知らぬ男と幸せになるのか?


人の気も知らないで・・・・・・・・。











「・・・・・・そんなのってありかよ・・・」


「・・・え?」


キョトンと首を傾げる久美子に、竜は手を伸ばした。


無防備な顔にイライラしてくる。


男が触れていた頬に触れて、久美子の視線を自分に向けた。


「・・・お前、あの男のどこが好きなんだよ?」


「?・・・なんの話しだ?」


「昨日の奴のことだよ」


「昨日の奴?」


「・・・コンビニの前であっただろ。」


「あー・・・沢田のことか?」


「・・・どこがいいわけ?」


「どこって・・・・・・・・」


不思議な顔をしながらも、首を傾げて考え始めた久美子だったが、


ふいに、なぜかピタリと身を固めた。


その様子に竜は眉を寄せる。


「ま、まさか・・・・・・」


次第にうっすらと顔を青ざめていく久美子を訝しげに見つめた。


「お前ら・・・ライバル関係かなにかなのかっ?!」


「・・・・・・・・・・・・・」


青ざめた顔で目を見開いて見つめてくる久美子に、竜は一瞬ギクリとした。


けれど久美子が自分の気持ちを知っているとは考えにくい・・・と思い、怪訝な顔で問い掛けた。


「・・・・・・なんのこといってんだ・・・?お前・・・・・・」


「だ、だからっ・・・沢田を好きな女の子がお前の好きな子とか、お前が好きだった子が
 沢田を好きになって別れちゃったとかっ!そ、そういう・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


(・・・あの男を自慢してやがんのか、こいつっ・・・)


というか、俺を馬鹿にしてんのかっ?


と、竜は一気に視線を鋭くさせた。


怒りに染まる竜に、久美子は慌てたように手を振り出した。


「あ、で、でもっ心配すんなっ!!さ、沢田は、彼女とかいないみたいだしっ」


顔の前でわたわたと動く久美子の手を掴んだ竜だったが、久美子の言葉に動きを止めた。


「あ、あいつ、そういう話しないからわかんねーけどっ・・・そ、その子とは何にもないと思うぞっ」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


久美子の両手首を掴んだまま、久美子のいった言葉に意識が奪われる。


(・・・彼女がいない・・・?)


「・・・・・・そ、そういう問題じゃないなっ・・・えっと・・・」


すっかり勘違いしている久美子は、なんていったらいいかわからずに困った顔で視線を落とした。


久美子が言葉が見つからずに大人しくなった頃、竜は思いきって口を開く。


「・・・・・・・・・お前・・・あの男とどういう関係なんだ・・・?」


恐くて・・・正面きって聞けなかったことを聞いた。


「え?どういう関係って・・・沢田は元教え子だから・・・・・・関係っていわれると・・・」


「・・・教え子?」


「そうだぞ?」


それがどうかしたのか?って顔で、久美子が竜を見た。








その顔に、竜の中で昨日の光景が浮かぶ。





あんな顔で・・・。あんな風に寄り添って・・・触れさせて・・・。


たぶんあの男のものだろうと思う服を着ていて・・・?


それで付き合ってない?


おまけに俺と同じ立場だった・・・・・・?








「・・・・・・小田切?」


俯いてなにも言わない竜に、久美子が心配げにその顔を覗き込もうとした瞬間、
竜は掴んだままだった久美子の手首を自分のほうへと、思いきり引き寄せた。


「え・・・?」


突然のことに、なんの抵抗もなく胸の中へとおさまった久美子を、竜は強く抱きしめる。








空気が・・・どんなに冷たかったのか、気づいた・・・。


冷え切っていた身体が、抱きしめて触れ合ったばしょから暖かなぬくもりに変わっていく・・・。





胸が痛いくらいの熱が・・・竜を包んだ。








『そんな溜息ばっかついてたら、幸せ逃げちゃうぞ?』





確かにそうだ・・・。


白い吐息が消えるたびに・・・暖かい熱が消えていった。


どんどん惨めな気持ちになってた・・・。





重苦しい吐息は・・・熱を奪って、惨めさだけを残して消えるけれど。


優しい吐息は・・・・・・熱を与えて・・・心に優しさを残して、消えていった。





あの時・・・トクンとなった、久美子の吐息は・・・・・・。


綺麗でとても・・・優しかった・・・。














その優しさに、竜は思った。


今はまだ・・・確かに俺は惨めな位置にいるかもしれない。


まだ、教師と生徒の立場で。


出会ったのも遅くて。


一歩遅れているのかもしれない・・・。


だけど・・・けして絶望的なんかじゃないだろ?


惨めなままで。遅れたままで・・・諦めるなんてしたくない。


重苦しい吐息をはいて、消えるのを眺めてるだけじゃ・・・なにも、はじまらない。














「小田切・・・?・・・あの・・・元気だせよ?」


相変わらず勘違いをしている久美子の言葉に、竜は小さく微笑んだ。


勘違いとはいえ、自分を想ってるその言葉に・・・。


「お前だって、負けず劣らずカッコイイんだから・・・そう、気を落とすことないぞ?」


そっと戸惑うように肩に触れた久美子の手のぬくもりに。


暖かい嬉しさが・・・広がった。











抱きしめる腕を強めて・・・。


暖かいぬくもりに、空を見上げる。





そっと空に消えた白い吐息は・・・・・・・・。





竜の心に、優しくて暖かな気持ちを


残して、消えた・・・・・・。

















あとがき


「慎の予感、的中」話、第2弾です。

ギャグっぽいものを書いた後なので、とことんしんみり路線な私です。

久美子の勘違いが強引すぎだし、なんか色々曖昧ですね・・・。

詰め込みすぎました・・・。

「慎の予感、的中」話は、拍手でリクしてくださった方もいらっしゃるので、
土屋編も書こうと思います。