大男とウサギ 1



(・・・兄さんの言うとおり、制服着てきてよかった。)

遠くに見える建物に向かって歩き始めた白音は、そっと心の中で呟いた。

全寮制で学期が正式に始まっていない今、私服とかが普通なのかと思っていたけれど。

校庭にいる彼らはどれも皆、制服を着ていて。もし私服だったら、目立っていたかもしれない。

小中高一貫性の季崎野学園では、高校からの編入は一年に一人か二人らしく。

それだけで結構な注目を集めるらしいと聞いた。

注目されるのも。人と関わるのもあまり得意じゃない白音にとっては、それは寮に入ることの次に学園に入るのを躊躇わせるものだった。

生徒数もそれなりにある。きっと制服で歩いていれば、別にあれが編入生などと騒がれることもないだろう。

けれど、白音はここで大きなことを見落としていた。


「・・・赤が三年、緑が二年、青が、一年・・・と。」

ポツリと呟いたのは、今、手に持っているものから得た情報の一つである。

学年をタイの色で区別しているのが、季崎野学園の決まりごとの一つだ。

スタスタと。颯爽ともいえるしなやかな足取りで歩く彼の白くて細い手に持つのは、学園案内パンフレット。

突然の事情でこの学園に来ることになってしまった白音は、色々と慌しくてパンフレットに目を通していなかったのだ。

試験も別の場所で受けたため、まったくこの学園のことは知らなかった。

パンフレットの1ページ目にはしっかりと噴水を真ん中にした校庭写真が掲載されていて。

それを見たときにはやっぱりきちんと前もって情報を仕入れておくべきだと思った。

けれど、ここで彼が気にしなければいけないのは別のことである。

入学式を明日に控えつつも、中等部からの持ち上がりの一年生たちがもうすでに入寮を済ませているからといっても。

今更学園の案内パンフレットなんぞ、真面目に読んでいる生徒なんて、エスカレーター式じゃそうはいやしない。

ましてや、白音はわかっていないが、その容姿は十分に人目を惹きつけるのだ。

サラリと風に揺れる髪は艶やかな、けれどきつくない黒髪で。

細フレームの眼鏡の奥にある瞳も、焼けにくい白い肌も透き通るようで。

知的で一見女性とも見紛うばかりの美人顔がしなやかに通り過ぎていけば、一つ、また一つ・・・動きを止め、ポカンとし。

中には一瞬で顔を真っ赤に染めるものもいる。

そんな周りの異変にまったく気付いていない白音をよそに、美しすぎる転入生の存在はあっという間に広まりつつあるのであった。





「・・・・・・・・」

ぱら・・・とページを捲る。

数ページ前に一度、パンフレットから視線を上げたときにはまだ随分と建物が遠くに見えて。

広々とした道がまっすぐと建物へと伸びていたため、白音は深く考えず、ただ熱心にパンフレットを読んで歩いた。

やっと視線を前へと向けようとしたその瞬間。


―――ドンッ!


「−−−いっ!?」


顔から何か硬いものにぶつかってしまった。


眼鏡が鼻筋に食い込み、かなり痛い。

反射的に眼鏡に手をかけようとして、その二の腕が誰かによって掴まれていることに気づいた。

視界に緑のタイが見え、白音は慌てて1、2歩下がり、ぶつかり、そして支えてくれたらしいその相手の顔を見ようと顔を上げるのだが。

「す・・・すみませ・・・」

白音は謝罪も中途半端に固まった。

なんとなく日々の感覚と自分の身長からすれば、少し上を向けば顔があると思ったのだが。

ズレ落ちそうになる眼鏡をそのままに、白音は恐る恐るさらに上を見上げてみる。


「・・・・・・・・・」


−−−ビクッ!


じぃっと見つめる強い眼差しとぶつかった。


目の前にいたのは、174cmある白音よりも確実に20cmは高い背丈をした大きな男・・・。


思わず、嫌な汗がダラリとこめかみ辺りを流れた。



(・・・こ、これはもしや・・・初日から、ぼ、ぼ、暴力事件っ・・・!?)

一瞬他人事のように思うが、確実に当事者である。しかも絶対負傷者側。

顔は端整だが、ガッチリとした体格にドデカイ身長。

見下ろしてくるその目は鋭い。

「あ・・・っ」

なんとか声を出そうとしても、か細く震えた声しかでない。

顔を俯き加減に眼鏡を押し上げ、じり・・・と足が後ろへ下がろうとする。

面倒ごとは、嫌いだった。

前を見てなかった自分も悪いけれど。

気づかなかった相手だって、前を見てなかったから当たったんじゃないかっ。

そんな風に頭の中では強気に文句を吐けるのに、その肩は小さく震えてしまう。

正直言って、怖い。

喧嘩なんてものはしたこともないし、その現場を見ただけでも頭が真っ白になるのだ。

殴られたらどうしよう・・・そう、思っていたら。案の定、男が手を上げるのが見えた。

「―――・・・っ!?」

咄嗟に顔の前で両手を交差させる。

ギュッと涙が滲むくらい強く目を瞑って、襲ってくる痛みに耐えようとしたけれど。

頭にふってきたのは、握り拳でもない、大きな手の平と適度な重み。

「・・・??」

ナデ・・・とひと撫でされて。

何が起きたのか、よくわからなかった。

不思議に思って恐る恐る顔を上げれば、そこに見えたのは怒りの表情とは違うもので。

殴られないんだと思うと、思わずホッとしていた。

緊張と恐怖で強張っていた顔から力が抜けて、ほわりと安堵の笑みが零れる。

その微笑を目にした男は一瞬驚いたような顔をして、そして、彼はゆったりと目を細めて微笑むのだった。






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