ねえ・・・君は、 いつもそばにいてくれるね。 「そばにある気持ち」 一年に一度。甘く、中にはほろ苦く・・・心に刻み込まれる恋の日がある。 2月14日、バレンタインデー。 そわそわと浮き足立っていた生徒たちがまだ少し残る放課後に浩之は廊下で窓辺に身をあずけて溜息を吐いていた。 空気までもが甘ったるくなっている気がするこの日は、はっきりいって苦手だった。 はたから見れば、バレンタインの放課後に一人でいるのは結構寂しいかもしれない。 まったくもらえなかったわけじゃないが、貰ったのはたぶん普通に義理チョコなのも虚しい。 まあ、これは浩之が勝手にそう解釈しているだけで、実はその中にもひっそりと想いのこもったチョコがいくつかあったりするのだけれど。 でも、浩之は特に寂しいとも虚しいとも思ってるわけじゃなかった。 もらえるような心当たりもなければ、自分なんぞに義理でもチョコをくれる人がいただけでも十分だなと思う。 それならば何故、こんなところでいつまでも残っているのかというと。 今はまたもひっきりなしの呼び出しに出向いている中田三郎にじゃんけんで負けたからである。 学校一の人気を誇る彼は、昼休みにはもうすでに両手いっぱいのチョコを貰っていて。 負けず嫌いな浩之は彼にのせられて、じゃんけんに負けたら自転車を貸すという約束をしてしまったのだ。 (こんなんなら負けた時にとっとと鍵渡しときゃよかった・・・) はあ、と疲れた溜息を吐きつつも。こうしてきっちり待ってるのが、意外と真面目で律儀な浩之なんだろう。 それでも、廊下にも教室にも人の気配がなくなった頃には限界が来てて。 机に鍵を置いて帰ろうと、窓の外から廊下へと視線と身体を向けたその時・・・、 「あっ・・・と・・・!」 「・・・やば、ねえ・・・?」 パチンと目があったのは、とっくに帰ったと思っていた悦子だった。 「まだ帰ってなかったんか?なに・・・」 なにしてる・・・そう、問いかけようとして、浩之は息を詰まらせた。 背中に何かを隠しているのがまるわかりな姿勢で立つ悦子の姿に、酷く動揺してしまう。 朝も昼も。彼女はずっと普通で、変わりなくて、そんな予感なんて何もなかった。 普通にいつもどうりにカバンを抱えて教室を出て行ったから。 何もないから・・・安心してた。 だから平気だったのに。寂しくも思わないし、虚しくも思わないし、胸が痛くなることもなかったのに。 どうしてこんな終わりがけに、一番見たくないものを見てしまうんだろう。 後ろに隠してるだろうそれにズキリと胸が軋んで。浩之は痛ましげに視線を逸らした。 「えっと・・・ぶ、ぶーはまだ帰らんの・・・?」 もう、その想いは終わってるんだと思ってた。 「あ、そか・・・。中田君、まだ戻ってこんの・・・ね・・・」 もしほんの少し残っていたとしても、今日この日に悦子がそれを手に抱えてるなんて、思ってもいなかった。 「・・・・・・・・・」 気まずそうに視線を泳がせながら小さく苦笑する悦子の口から、その名前を聞くだけで嫌な気分が湧き上がってくる。 ぎゅっと拳に力を込めて。浩之は、耐えようとした。 それでも・・・おずおずと背中に隠していたそれを赤い顔で恥ずかしそうに前に出した時。 青い包み紙にラッピングされた箱をはっきりと目にしてしまった時。 胸に溢れた苛立ちを、浩之は抑えることが出来なかった。 「なんやお前、それチョコか?」 自分でも怖くなるくらい、冷たい声だった。 ビクンと肩を震わせる悦子にどうしようもなく苛立つ。 「なに似合わんことしとんじゃ。きしょいな・・・」 「−−−っ!」 嘲笑うかのように零した言葉に、悦子の顔が一瞬かあっと赤く染まって。 それはすぐに真っ青に変わり、泣き出しそうに彼女の顔は歪んだ。 傷ついた悦子の顔を目にして。はっと我に返っても、もう遅くて。 「あんた、サイテーよっ!!!」 −−−バシンッ!! 泣くのを堪えながら叫んだ悦子は浩之を睨みつけて、手に持っていたチョコを彼に向かって投げつけると廊下を走っていってしまった。 チョコは見事に浩之の顔に当たって、廊下へと落ちる。 浩之は追いかけることも出来ずにその場に立ち尽くすしか出来なかった。 傷ついた、傷つけてしまった悦子の顔がちらついて。 それでも・・・胸のどっかでホッとしてる。 「ほんと・・・サイテーじゃ・・・」 呟いて、浩之はひしゃげてしまった箱を見て小さく笑った。 どうして、あんなことを言ってしまったんだろう。 どうして、傷つけてしまうんだろう。 そんなこと、わかりきっていた。 チョコの前にどさっと座り込んで、浩之はそっと潰れたそれを手に取った。 渡してなんか、ほしくなかった。 そうなったら・・・壊れてしまいそうだったから。 本来行き着く場所に行くことも出来ず、潰れて残るチョコにさえ、胸が痛んで。 浩之は深く溜息を吐く。 落ち着いてきて。今度はちゃんと我に返って、後悔がどっと押し寄せてくる。 酷いことをいってしまった。傷ついて、泣きそうな顔で睨みつけてきたあの表情は頭から離れそうにない。 これからどうしようかと頭を悩ませていても、それでもやっぱり浩之はチョコを見るとイライラしだす気持ちを誤魔化せそうにはなくて。 あいつになんて、やらない。やりたくない。 びりっと包装紙を破いてふたを開ければ、砕けた丸い板チョコが現れる。 浩之はその砕けたチョコの欠片を口に入れて、いくらか強く噛み砕いた。 あたりにはチョコの香り。口の中にはビターな味が広がった。 傷つけたことは悪いと思ってるけど。サイテーなことした自覚もあるけど。 このチョコだけは、誰にもやらない。それはやっぱり譲れない。 珍しく困った顔でオドオドしながら頬を赤く染めてた悦子を思い浮かべて余計にイライラしながら、バリバリと音を立てながら、 浩之は憮然とした顔でチョコを全部腹に収めていくのだった。 続く・・・。 後編へ |