※シリーズものとして書く前に書いた企画ものなので、若干他のシリーズと違うところがあったりします。




「恋する風邪っぴき」





隼人が最初に気がついたのは、火曜日の放課後のことだった。


まだ決まっていない生徒達の進路について色々と調べるという久美子と、誰もいなくなった3Dの教室で
二人きりの時間を過ごす。


椅子に座って資料を見ている久美子に後ろから圧し掛かってる隼人は、いつもと違う感じに首を捻った。


「お前。なんかいつもより熱くねーか?」


肩口で言う言葉に、久美子は首を傾げる。


「そうか?・・・お前の身体が冷えてるんじゃないか?」


これといって思い当たることもないらしい久美子に、隼人はまだ少し変な感じを受けながらも、
その時はそれ以上深く考えるのを止めた。





けれど次の日。


昼休みに、いつものごとく空き教室に引っ張り込んで久美子を抱きしめた隼人は、あることを直感した。


「お前っ熱あんじゃねーっ?!」


隼人の少し怒ったような声に首を傾げる久美子の様子は、パッと見いつもと変わりないような気もするけれど
明らかに腕の中のぬくもりはいつもより高い。


ほとんど毎日引っ付いている隼人だからこそ、気づいたような感じだ。


そういえば昨日からどこか大人しかった。


今も、いつもなにかしらの抵抗を見せるのに、ボンヤリと腕の中に納まってる。


隼人は久美子の眼鏡を取り、頬に手を置くとコツンと額をくっつけた。


が、そうして熱を測ったことのない隼人はそれが熱があるのかどうなのかわからない。


眉を潜め、今度は手を当ててみる。


触れ合っている場所全てが熱くて、どうもわからない。


「家じゃすぐ体温計で計っちまうからな・・・。やっぱ保健室連れてくか」


「今日はあと5時限目の授業だけだから・・・大丈夫だ・・・。」


首を捻ってる隼人にされるがままだった久美子はそう呟いて腕から離れようとする。


その言葉に思いっきり眉を寄せた隼人は、彼女の腕を掴んで歩き出した。


「大丈夫じゃねーだろっ絶対っ!授業なんて自習にでもしとけっ!」


「そんなわけにはっ・・・・・・・・・あ・・・れ・・・・・?」


引き摺られるように部屋を出た久美子は、咄嗟にドアに手を掛けて踏ん張ろうとするけれど、


その瞬間、身体から力が抜けた。


「−−−−おいっ!?」


ズル・・・っとドアに身体を預けて倒れ込む久美子を、隼人は慌てて抱き止める。


苦しそうに眉を寄せる顔は赤くほてり、微かに息も上がりはじめてきた久美子を抱き上げると
保健室へと急いだ。


行く途中で遭遇した教師に状況を伝えて、保健室のドアを足で蹴り開ける。


「急病人だっ!!」


校医であるおばさんは突然の怒鳴り声に一瞬驚くも、隼人の腕の中でグッタリしている久美子に気づいて
素早く駆け寄った。


「山口先生じゃないっ!まあっヒドイ熱っ!」


抱きかかえられた久美子の額や頬、首元などにそっと手を置いて症状を見ると、ベッドへと寝かせた。


久美子の額に冷やしたタオルをのせる。


「3Dの生徒さん?・・・心配ないわよ。熱は少し高いけど、ただの風邪だから」


微かに青い顔をして久美子を見下ろしている隼人に、校医のおばさんは穏やかな声で言った。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


無言のまま久美子から視線を逸らさない様子に、なにを言っても離れる気はないだろうと思ったおばさんは、
小さな微笑を浮かべて、ベッドのまわりのカーテンを広げていく。


「しばらくは目を覚まさないと思うけど、気がついたら呼びにいらっしゃい。私は職員室に行ってるから」


そう言残して、校医のおばさんは保健室を出ていった。




「・・・わりー・・・」


隼人は赤く染まっている久美子の頬に、そっと手を伸ばした。


昨日のうちから、ちゃんと自分が熱があると気づいていればよかった。


そうすれば、こんなにひどくなることはなかったかもしれないのに・・・。


おばさんが計ってくれた久美子の熱は、38.3 ℃だった。


苦しそうな表情に、顔を歪める。


腕の中でいつもより大人しかった久美子に、少し喜んでいた自分がいたから。


隼人の胸が、ズキリと鳴った。








それから2時間がたった頃。


「・・・・・・・・・・・・?」


久美子の睫毛が微かに震えた。


「山口っ?」


ベッドの脇に椅子を置いて、ずっと久美子を見つめていた隼人が立ち上がる。


なんだか酷く重い目蓋をなんとか持ち上げると、ボンヤリと隼人の顔が見えた。


「・・・・・・・・・?」


起きあがろうとしても、身体が思うように動かない。


「・・・大丈夫か?」


「・・・ここ・・・は・・・?」


「保健室。風邪だってよ」


隼人の言葉にようやく状況を理解した久美子は、力を抜いた。


そういえばなんだか身体が熱いし、頭も少し痛む気がする・・・。


少しはっきりしてきた視界に隼人の顔を見つけて呟く。


「・・・今・・・何時・・・?」


「あー・・・っと・・・・・6時限目がはじまる頃か」


隼人は、仕切られていたカーテンを少し開けて保健室の時計を見た。


「・・・お前・・・・・・授業は・・・・・・?」


「あ?・・・サボりに決まってんだろ。つーか、付き添い?」


「・・・生徒に付き添ってもらう教師がどこにいるか・・・・・・」


視線を逸らす久美子に、隼人は眉を寄せる。


心配してやったっていうのに・・・。そう言おうとして、言葉を飲み込んだ。


目を覚ました久美子にホッとするけれど、まだ胸の痛みは消えない。


視線を床に落とした隼人に久美子の声が掛かる。


「・・・ずっと・・・ついててくれたのか・・・?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


なんとなく言葉を返すことができず、久美子の額から落ちかけているタオルに手を伸ばした。


タオルを持ち上げる瞬間。


久美子の表情が動いた。


「・・・ありがとな・・・」


小さく呟いて、その顔にやわらかな微笑みを浮かべた。


ふわりとした優しげな笑みに、鼓動がドキっと高鳴る。


胸の奥が、かぁっと熱くなった。


「・・・礼ならキスにしてくだパイ」


高鳴った鼓動を誤魔化すように、軽い口調で口許を上げた。


「・・・あのなー・・・・・」


溜息つきながら苦笑いを浮かべる久美子の声に、タオルを変えようとした隼人の足が止まる。


振り向いて。久美子のそばへと戻ってきた。


「・・・?」


不思議そうに見上げてくるその額にそっと手で触れた。


久美子の熱が手から伝わるように胸が熱くなる。


軽口で言ったはずの言葉が、心を捕らえてしまった。



キスしたい・・・。


いつもよりも微かに薄い色をしたやわらかな口唇へと・・・。



「やぶき?・・・ちょっ・・・やっ・・・やめろっ・・・」


近づいてきた顔を、久美子は慌てて押し返す。


「ぜぜったい風邪が移るからっ・・・そっそれはやめろっ」


風邪の熱とは違う赤みを頬に浮かべて、目を瞑りながら顔を押し返す久美子の手を掴んだ。


「移って結構。・・・丁度今週の土曜から三連休だし?」


「せっ、せっかくの休みの日を風邪で潰すなんて嫌だろっ?」


「そんなことないぜ?風邪ひいたらお前にずっと看病してもらうから」


「・・・はあ?!・・・なっ・・・なんでっ・・・」


「なんでも。今日水曜だから、あと二日も休めば治るだろ?」


「勝手に決めるなっ!そ、それだったら今日移ったお前だって、休みの頃には治ってるじゃねーかっ」


「ハッ!俺を馬鹿にしてもらっちゃ困るぜっ!」


「・・・馬鹿にしてはないぞ・・・」


「とにかくっ!キスさせろっ!そんで土曜日に熱出したら看病すんだよっ!いいなっ!」


勝手にそう決めると、隼人はキスをした。


(なっなんなんだっこいつは〜〜っ)


毎度のことながら、結局最後は奪われてしまう久美子だった。











そして土曜日。


久美子がいなくて悶々とした日々を過ごし、どんなに身体がだるくとも学校へと通っていた隼人は・・・。


久美子からうつった風邪を二日間ほったらかしにしたからか。


はたまた、ちょっと異常とも呼べる愛が成せる技か。


見事に宣言通り、熱を出したのだった。








「・・・熱があるのがそんなに嬉しいの?」


感激したように体温計を握り締める兄の姿を、拓は不思議そうな顔で見やった。


「おおっ!拓っ!今日山口くっからっ!」


熱があるとは思えない明るい声で言った言葉に、なるほど・・・と思った。


兄の担任である久美子とは、拓も面識がある。


というか、結構仲良しだったりする。


隼人が久美子に向ける感情もよく知っていて、彼女に恋をして以来、兄は変ったと思う。


変ったというか・・・時々変だ・・・。


恋は人をおかしくさせる。


というのを聞いた事があった拓は、まったくその通りだと頷いたものだ。


ニヤニヤしながら携帯をかけている兄の姿を横目に、拓は優しい久美子の笑顔を思い浮かべると
申し訳ないような気の毒なような気持ちで、目を伏せるのだった。








数時間後。


久美子はスーパーの袋を片手に、矢吹家の玄関の前に立っていた。


チャイムを押す前に思わず溜息をつく。


隼人に言われた通り、熱は昨日の朝には下がり、久しぶりにゆっくりと休んだ久美子は
すっかり風邪を直していた。


朝。熱が出たという隼人の電話を少し疑いつつも、こうして買い物までして家の前に来てる自分は


どう見ても心配して看病しに来た姿ではないか・・・。


自分の姿を呆れつつも。久美子は決意を固めてチャイムを押した。





チャイムの少し後。久美子を出迎えたのは、拓だった。


「あっ・・・弟君っ!おはようっ!」


「おはようございますっ山口先生。・・・ごめんなさい・・・わざわざ・・・」


申し訳なさそうに頭を下げる拓に、久美子は明るく手を振った。


似た者同士の気性の荒い家族の中で、大人しくて穏やかな拓を久美子はとても好いている。


自分のまわりには今までいなかったタイプで、なんか弟みたいな感じで心が和む。


本当はちゃんと名前で親しく呼びたいのだけれど、隼人がぶち切れてしまって「弟君」「山口先生」と
決められてしまったのだ。


自分は苗字なのに、拓だけ名前で呼ばれるのがかなり気にいらなかったらしい。


「矢吹は?どんな具合なんだ?」


「熱はあるけど・・・元気です・・・全然・・・」


ハハッと乾いた笑みを浮かべる拓に、久美子も思わず苦笑いを浮かべる。


「おせーよ、てめー」


居間まで来た二人の前には、コーヒーをのんびりと飲む隼人の姿があった。


((全然看病必要ないって・・・。))


ともに溜息をついた。


お互い大変・・・。


そんな感じの空気が、二人の間を流れていた。








「お前っちゃんと横になってろよっ!」


見た目は元気だが、熱があるのは確かなようで隼人の額に手をあてた久美子はすぐに怒鳴った。


「朝は何℃あったんだ?もう一回計れっ!」


ビシッと体温計を隼人へと突き出す。


隼人が計っている間に、お茶をだしてくれた拓に買ってきたものを見せた。


「果物とか飲み物とか色々買ってきたから。好きに食べてくれていいからなっ!」


「す、すいませんっ!ありがとうございますっ!」


仲良さげな空気に眉を寄せた隼人は、丁度良いタイミングでピピピッと鳴った体温計を服の中から出すと
不機嫌そうな顔で久美子に差し出した。


「37.7℃・・・結構あるな・・・。・・・大丈夫なのか?お前」


なんでもないような隼人に久美子は心配げな顔を見せる。


「あ゛ー・・・だるいっちゃーだるいかも・・・」


肩に手をかけて首を捻る隼人の額に、また久美子の手が伸びた。


優しげな手のぬくもりに、ニンマリと笑みが浮かぶ。


「今日親父さんは?仕事か?」


「あーっと・・・どうだっけ?拓?」


「帰りは月曜日の夕方っていってたよ」


「−−−なにっ!?」


その言葉に、久美子は勢いよく拓の方を振り向いた。


「それは本当かっ?!拓君っ!!」


「は・・・はい・・・」


突然の大きな声に少し戸惑う。


頷いた拓に、久美子は驚愕した。


「それじゃしばらく二人だけっ?!」


「そ、そう・・・ですけど・・・・・・・・・」


「お前らっ!!親父さんが帰ってくるまで家に泊まれっ!!」


「「・・・は?」」


久美子の言葉に、兄弟揃って間の抜けた声を上げた。


・・・なんでいきなりそんな方向に・・・?


隼人としては、久美子といられればそれでいいけれど。


「なんでそうなるわけ?」


どういう思考でそっちにいくんだ?


「いつものことなんでそんなに気にしなくても・・・・」


「あまいっ!いつもとは物凄く状況が違うじゃないかっ!」


「「・・・どのへんが・・・?」」


「矢吹が風邪でダウンしてて使い物にならない今っ!!拓君は一人みたいなもんじゃねーかっ!」


・・・使い物・・・。


ものすごい言われようをされてしまった隼人は、ショックで固まった。


おまけに拓の名前呼んでるし・・・。


自分を気にかけてくれる久美子に嬉しく思いつつ。


その隣でどんよりと黒いオーラを放つ兄を気の毒に思いつつ。


拓は困った顔を浮かべるしかない。


きっとぶち切れるまで、あと数十秒・・・?


「拓君っ!!今すぐにお泊りセットの用意してっ!!」


「・・・お泊りセット?」


「パジャマとか歯ブラシとか着替えとかっ!!」


「あ、は・・・はい・・・っ!」


勢いに押されて慌ててたちあがった拓は、仕度するために動こうとして、振り向いた。


「・・・あの・・・何分ぐらいで・・・?」


「そうだな・・・なるべく早く?」


久美子に問いかけてると思わせながら、隣にチラリと視線を送ると、隼人が右手を広げていた。


「・・・5・・・?」


覗うように呟くと、ブンブンと手を振って隼人が訂正する。


両手を広げて・・・。


「・・・じゅー・・・・・・」


今度は左手を閉じて、右手だけをグッグッと突き出す。


「・・・じゅー・・・ご・・・分ぐらいで・・・?」


OKっ!っと、隼人が頷いたのにホッと息をついた。


「15分?・・・時間は気にしなくてもいいけど。こーゆうときは、慌てず騒がず転がらずっていうからな!」


(・・・山口先生・・・・・・それはちょっと違う・・・)


(・・・騒いでんのはてめーだけだ・・・)


兄弟はともに心の中でつっこむのだった。





拓が仕度をしている間。


キレた隼人は久美子をとことん追い詰めようとしたのだが、抵抗する久美子に熱が上がりはじめてしまい、
拓が頃合を見計らって居間に戻ってきたときにはかなりぐったりした状態になっていた。


それでも久美子にベッタリとしがみついているあたりが兄の想いの深さを表しているようで、


拓は「恋って凄い・・・」と、しみじみ思うのだった。




次へ。