中学校の廊下をおさげ髪のたまえが小走りに歩いていた。


小学生の6年までずっとクラスが一緒だった親友とは、中学に入ってクラスが変ってしまった。


だからこうして、昼休みに彼女に会いに廊下を進むのがここ最近の彼女の日課である。





「―――まるちゃんっ!」


視線の先にその姿を見つけて、たまえは少しペースをあげた。


廊下の壁に背中を預けて立ち尽くしていたまる子がハッと気付いて顔を向ける。


「たまちゃん・・・」


向いた顔にいつもの笑顔は無い。気落ちしたように沈んでいるその表情に、たまえは小さく苦笑いを浮かべた。


「まるちゃん、今日も不機嫌だね。」


「・・・う・・・」


そばに寄って、ふふっと微笑むとまる子はバツが悪そうに顔を顰めた。





入学式から三週間。まる子はずっと不機嫌だった。


ムカムカしてたり。不貞腐れてたり。中学にあがる前は、飛び跳ねるくらい新しい生活を楽しみにしていたのに。


彼女は新しい生活どころではないらしい。


最初の頃は心配してオロオロしていたたまえも、その理由に気がついてからは、
逐一彼女のご機嫌を取るのも理由を聞くのもやめた。


そうしたところで、まる子の心が晴れるわけじゃないことを知っていたから。


「―――お・・・大野君っ・・・!」


まる子の瞳が微かに揺れてキュッと口元に力が込められたのと、たまえの背後からその名前が聞こえて
きたのは、ほぼ同じ。


振り向いて見れば、一つ先の教室の後ろ側の入り口で教科書を持った女の子と大野の姿が見えた。


「・・・あ、あの・・・今日の授業でわからないところが、あ、あって・・・」


そういいながら教科書を胸に抱きしめる女の子の頬はかぁっと赤く染まっていて、緊張で上擦った声も
小さくオドオドする姿も可愛らしい。


少し離れた前側の入り口には、ニヤニヤと意地悪そうで、でもどこか見守るように二人の様子を覗っている
数人の女の子の姿もある。


その光景は、はたから見れば微笑ましい青春の一コマ。


恋をした少女と、その少女が恋をした少年と、その恋を見守る友達。


その世界に入ることのない、入ったとしてもずっと小さな微かな存在にしかなれない不機嫌な彼女は、
フイッと顔を背け、自分の教室へと入って行った。


「ま・・・」


声をかけようとして、たまえはその声を止めた。


後を追って教室へと入りながら、チラリと見えた光景は、困ったような顔でそれでも律儀に答えている彼の姿。


わざと聞こえるように名前を呼べば、彼は慌ててこちらへと来るだろう。


そう思っても、あえてそれをしなかった。


気付いて慌てて来られたって、きっと彼女は喜ばない。


気付いたからって、あの女の子を放って来るなんて、むしが良すぎる。


彼が悪いわけじゃないのもわかってる。もちろんあの女の子達が悪い訳ではないことも。


だけど、少しだけ許せなかった。


教室でつまらなそうに頬杖を付いている彼女の心は、きっと目に見える以上に傷ついているはずだから。








「な〜んかさーっ!すっごいキラキラしてるんだよっ!カッコイイって、まわりでキャーキャーされてんのっ」


入学式の日。まる子は不機嫌な顔で口を尖らせて、言っていた。


自分も伸びているはずなのに。年を越すごとに大きくなる身長差と同じように、その容姿も少しずつ成長して
いることに気付いたのが、入学式の日だった。


たった少しの春休みの後の見なれない制服姿は、今まで見ていたその人とは違うようで。


キラキラしていた。まわりが彼をカッコイイと言うのも、前よりずっとわかる気がした。


ずるいと思った。自分よりも輝いていることが。キラキラしたかったのは、自分の方だったのに。


どうして・・・そっちの方が、輝いているのさ。


だから、悔しかった。


何週間経っても、彼は変らずキラキラしていて。カッコイイという噂話はいくつも生まれて。


キラキラしてて、ずるい。そんな悔しい気持ちはいつまでも消えなくて。


気がつけば、彼のそばには女の子がいた。


クラスも違って。昼休みや放課後は怒ってるし凄い不機嫌なんだと突っ返して、無視もしたりして。


気がつけば、胸が酷く痛かった。


自分の髪をサラリと触ってみる。


入学式の日から毎朝梳かし続けている髪は、自分で触っても気持ちいいくらい滑らかで。


ふとした時にリボンや背筋を気にする自分は・・・どこか惨めに思えた。


「・・・まるちゃん」


「・・・・・・あれってさ。恋、なんだろーね。」


「え・・・?・・・・・・あ・・・うん。そうだろうね・・・」


頬杖をついたまま呟いた言葉に、たまえは少し戸惑いながらも頷いた。


「女とかに興味ないとか、サッカーの方が好きだとか言ってたくせにさ。優しかったりすんの。」


前は、女の子には素っ気ない感じだった。基本的には優しくても、必要以上に関わることはしなかった。


「今だって、たぶんあの子に丁寧に教えてるよ。」


「まるちゃん・・・」


「・・・そのうち、手繋いで帰ったりすんのかねっ」


ははっと可笑しそうに笑うのは一瞬で。不貞腐れたように机にべたりと突っ伏してしまうまる子の姿に、
たまえはどうしようもなくもどかしかしい気持ちになる。


何を言ったって。それは、一つの感情にしか聞こえなくて。


自分がどれだけ傷ついているかも知らないまる子に、見てるほうが泣きたくなりそう。


「・・・ねえ、まるちゃん?」


「・・・・・んー?」


「それって、全部ヤキモチって言うんだよ。」


言う言葉も。不機嫌なわけも。全部ヤキモチだ。


気づけばいいのに。


「・・・・・・は?」


不思議そうに顔を上げたまる子には、その意味もわかっていないようで。


「ヤキモチ・・・・・・し・・・知らない・・・?」


たまえは思わず冷や汗が出るくらい、驚愕した。


「知ってるよっ。焼き餅でしょ?お正月に食べたばっかだよ」


「・・・ま・・・まるちゃん・・・」


ダラダラと冷や汗を流しながら、たまえは思った。自分の目の前にある恋は、想像以上に不安だと。


そしてギャグ漫画のところしかまともに見ていないらしいまる子に、たまえは真剣にお願いをした。


少女漫画を、恋愛漫画を、もっと真剣に読んでほしいと。


少しだけでも、何か一つだけでもいいから。気づくことができたら・・・


きっと少しは、心が軽くなるのにね。








ポーンポーンと数回ボールを頭上に投げて、ドサッと座って深い溜息。


入学してから3週間。部活はもちろんサッカーで、今は休憩時間だ。


「なんで怒ってんだ?あいつ・・・」


思い出すのは、まる子の姿ばかり。


しかも、怒ってたり拗ねてたり、機嫌悪かったり。そんな表情ばかりだ。


そんな顔も嫌いじゃないけど。できれば笑ってほしかった。


けれど怒っている理由もわからず、自分に人を笑わせる才能なんてものもない。


どうしたらいいかわからないけど。頼むから、笑ってほしいと思う。


ついさっきも、グラウンドのフェンスのところにいるのを見かけて駆け寄ってみれば。


「・・・・・・なにっ」


ぶすっとした顔で思いっきり睨まれた。


「なにって、お前こそどうしたんだよっ?」


思わずこっちもムッとして言い返せば。


「ど、どうもしないよっ!ちょ、ちょっとばっかしフェンス越しにグラウンドを眺めてみたかっただけだよっ!」


なんか微妙にオドオドしながら、怒鳴る。


その顔がちょっと赤くなっているのに本人が気づいているのかはわからないけれど、そんな姿を
向けられれば可愛いなんて思ってしまうじゃないか。


ドキッとして、惚けてれば。


「ほらっ!さっさと行ってよっ!私は今青春を感じてんだからっ、さっきみたいにあんたは
 かっこよくシュートでも決めてればいいのさっ!!」


思わず嬉しくなるようなセリフを吐かれる。


そうして、唇と尖らせて。むす〜っと彼女は去っていくのだ。


どうしたものか。可愛いじゃないか。


自分を見てくれてたと思うと嬉しくなる。


無意識だかなんなのか、近頃よくかっこいいと口走ってくる。


どうしたって、可愛く思わずにはいられないんだ。


だけどやっぱり、そろそろ笑顔がみたいもの。








「・・・青春って・・・なにいってんの、あたしっ!」


ドスドスと歩きながら、思わず自分に呆れてしまう。


時々妙なことを口走っているような自覚はある。でも、それもこれも、あっちがキラキラしてるから悪い。


キラキラしてるから、どうしたらいいかわからないし、ムカムカするんだ。


フェンス沿いを歩きながら、チラッとグラウンドの方へと視線をむければ。


頬を赤くして、一生懸命にサッカーの練習を見てるあの女の子がいた。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


思わず立ち止まって見てしまう。胸の奥が、不思議と痛い。


真っ直ぐな眼差しと自分と同じくらいの長さをした髪の毛。


その姿は、自分よりもキラキラしているような気がして。


・・・彼には、あの子の方が輝いて見えているんじゃないかと思えて、嫌だった。


ふっと足元を見れば、がばっとあいた自分の足。少し解けかけたリボン。


それは凄く惨めで。・・・・・・悔しくて、悲しかった。








次の日、まる子は櫛で髪を梳かすことはやめた。


意味がない気がしたから。


梳かしたって、何をしたって、キラキラするどころか、ますます惨めになるだけだから。


気も抜けて、ぶらぶらと学校までの道を歩く。


会いたくなんか全然ないっていうのに。ばったり校門の前であったりなんかしてしまう。


「・・・・・・・・・・・・・」


朝からぶすっと一睨み。相も変わらず、キラキラしててカッコイイ。


無言でそのまま彼の横を通り過ぎようとしたけれど、ふっと何かが頭に触れた。



「跳ねてるぞ」



呆れてるようで、少し笑いを含んだ声と頭を撫でるように触れてくる手の感触。



まる子はその瞬間、ドキーンっと胸が高鳴るのを感じて、慌てて振り向いた。


「−−−−〜〜〜なっ!?な、ななななにさぁ〜〜っ!?!?」


バッと自分の頭に両手を置いて、飛び跳ねるように距離を取って、信じられないというような顔で叫んだ。


耳まで真っ赤に染まった顔。動揺を隠す余裕もない、ただただ、わたわたするばかり。


目を見開いて驚きに彼の顔を凝視すれば、その顔にはふっと目を細めた優しげな表情が浮かんでいた。


な、なんだろう、その顔はっ。その顔は反則なんじゃないのっ?!


そんな顔をするから。


ますます顔が熱いし、触れられてた頭も熱いし、なんだか凄く恥ずかしくってドキドキしてしまう。


突然でわけのわからない動揺に戸惑いながら、頭を抱えて俯こうとしたまる子はふとその姿を見つけてしまった。


驚きに目を見開いて、ほんのり頬を赤く染めてどこか泣きそうにも見える、あの女の子の姿を。


勢いよく背を向けて駆け出していってしまったその子の背中に、一気に現実に引き戻されたような感覚を覚えた。


なに、やってんだろ。


あれだけ熱かったものがすうっと冷えていく。まる子はキュッと口元を引き締めて、彼の腕を掴んだ。


「なにやってんのさっバカだねっ!!早く追いかけてやんなよっ!!」


彼の腕を女の子の背中へ向かうように力いっぱい引っ張って離し、自分もまた校舎へと走った。


「−−−−はっ?!おいっ、なんだよっ!?」


トトッと前のめりになりながら走り去っていくまる子を彼は呆然と見送るしかなかった。


・・・なにを追いかけろっていうんだろうか?


自分が追いかけるものなんて、どんなに辺りを見渡しても一人しかいないというのに。


その追いかける相手から追いかけてやれなんていわれても、意味が全然わからなかった。


次へ・・・