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「うぜぇ、邪魔。」


「っ!」


世間はなんで、こんなにも僕に厳しいんだろう。

世の中に比べたら全然狭い廊下の真ん中で、世間なんて言うのも可笑しいけれど。

佐々原晴季(ササハラハルキ)は、深く息を呑んだ。



「ごめ・・・」

震える手足をやっとの思いで動かして、廊下に散らばったノートを拾い集める。

視界がぼやけて頭が真っ白で、思考も何もまわらない。

はやく、はやくと思うのに。どうしてこの手はちゃんと動いてくれないんだろう。

ぎこちなく拾い集める手に、見下すような視線が降る。

「鈍くせぇ奴。」

「−−−っ・・・」

必死にかき集めたはずの抱えたノートはまるで焦る気持ちを嘲笑うかのように、
バサバサと音を立てて再び廊下へと散らばっていった。


ああ、なんで僕はこんなにも全てがままならないんだろう。

廊下の真ん中ですっ転んで。ノートぶちまけて。本当、邪魔でうざくて鈍くさい。

なんだ、彼のいう通りじゃないか。

わかっているけど胸が痛い。

「うざい」や「暗い」、「鈍くさい」。それが晴季に対する男のいつもの口癖だった。

晴季が何かする度に・・・違う、何もしなくても顔を合わせる度に黒川聡(クロカワサトシ)はそう言った。

それは挨拶と同じくらい軽いものだったり。もっと重いものだったり。

きっと、気分次第なんだろうけれど。

言われた言葉はいつまでも胸に突き刺さって。何度言われても、けして慣れる事などなかった。

たとえそれがすでに日常と化してしまっていたとしても。







−−−ドカッ!

「・・・っ」

朝のHRが始まる少し前。

隣の席に投げ出された鞄と椅子に座り込む乱暴な気配に一瞬にして頭が真っ白になる。

用意しておいた1時限目の教科書で視線を遮断してしまうと、長い足で机を軽く蹴られた。

「おい。無視かよ」

機嫌の悪い、不満げな声。

「・・・ご、ごめんっ」

挨拶一つ振り絞るだけで泣きたくなった。

挨拶しなければいつもこうして怒られるのに。いつまでたっても学習しない馬鹿だと彼は思ってるのかもしれない。

でも自分の方から挨拶したって、

(きっとうざいって・・・言われるだけなんだ。)

そんなのもっと恥ずかしくて、きっと惨めで耐えられない。

隣同士だからって。こんな扱いなら、放っておいてくれた方がずっとよかったのに。

そう思うことさえ贅沢で何様だというみたいに、つまらなそうに頬杖をつく彼の視線は晴季を自由にしてくれなかった。

族の頭だとか、喧嘩負け無しだとか。所謂不良な彼にとって晴季は、窮屈で退屈な教室内でのただの暇つぶしなのだろう。

わかっているけれど、心が折れそうになる。

窓側の一番後ろの片隅で。最後列に二人だけ。

他のクラスメイトや教師にさえも、距離をとられたこの空間。


本当に、なんでこんなにも世間は厳しいんだろう。


狭い狭い片隅で。小さな小さな世間の中で。

晴季は一人、怯えてそして、悩んでいた。







「うぜぇ奴」

酷いことを言うたびに傷ついた顔をして。

前髪から覗く黒目がちな目を濡らしているのを見ると、どうしようもなく胸が騒いだ。

「ごめん・・・。ごめんなさい・・・」

震えた声を聞くたびに、独り占めして閉じ込めて、泣かせて、滅茶苦茶にしてしまいたかった。

その頭の中、心の中。全部俺だけのもんになりゃいいのに。

それなのに全然上手くいかないのが腹立たしかった。







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