俊介×都倉(信哉×都倉も少しだけ。)


******


「はい、都倉先生。」


「ん・・・ありがとう。」


開きかけたドアの隅間から見えたのは、楽しそうな笑みを浮かべてカップを差し出す弟とそれを穏やかに受け取る彼の姿だった。

彼といっても、信哉と同じように、いや、半分だけ血の繋がりがあるもう一人の弟なのだけれど。

まるで寄り添いあうような二人の姿に。気を許しているようなその背中に。言い様のないジリジリとした焦りを感じた。



泉田病院がメディカルセンターとして生まれ変わって一年近く過ぎた頃。

あの頃は人に嫌われることなんて構いもしなかった彼が、まわりと打ち解けていくようになっているのはわかっていた。

ガラス越しに見る暗闇のような冷めた目や、自分の信念を曲げない挑戦的な眼差しは相変わらずではあったけれど。

時折見せる無防備な雰囲気や表情さえも、今はよく見かけるほどだった。



「・・・?」


そして今もまた、カップに口を付けた都倉はふと不思議そうな顔で隣に立つ信哉を仰ぎ見ている。

予想通りの反応に満足したらしい相手は、にんまりと笑顔を作った。

「どう?なかなかいけるでしょ。先生用に特別ブレンドにしたからねえ」

誇らしげに腕を組んで胸を張られ、都倉は信哉を見上げたまま、一瞬言葉を失って沈黙した。

カップを落としそうになる自分の手にハッとして。

それから、どこか困ったような笑みを浮かべて視線を逸らすようにカップに口を付ける。


目の前にはられたレントゲン写真を確認しながらコクリと喉を通るお茶は、確かにいつもの何ともいえぬ香りや苦味が和らいでいて飲みやすかった。

ただあくまでもゴクッと口に含んだ瞬間、「なんだこれっ!?」と声を上擦らせずにはいられないものよりはマシというくらいだけれど。

それでも、自分のために用意してくれたものだと真っ直ぐに言われてしまうと、気恥ずかしい気分を感じずにはいられなかった。


素直に嬉しいと表現できるほど器用でもなくて。どちらかというと戸惑う気持ちの方が大きい。

一瞬、表情を作ることさえ忘れていたことを誤魔化すようにポーカーフェイスで装うけれど。

それも今更。

雰囲気や瞳は、隠し切れない気恥ずかしさに揺れていた。





素直になりきれないその横顔に信哉は引き寄せられるように目を細める。

お茶一つでこんな表情が見れるのなら、抱きしめたりしたらどうなるのだろうかと考える。


「やっぱり可愛いよな、都倉先生。」


「・・・・・・」


言った方は下心を忍ばせて楽しそうだが、言われた方は複雑に沈黙するしかない。

飲み込むタイミングを逃して口の中に残ってしまったお茶を改めてコクリと喉に流し込んでから、あのね、と少し呆れた眼差しで隣を見上げようとする。

その瞬間、カップを持っていない方の手を掴まれて思わず目を丸くした。


「なに?」

振り解くこともなく、ただどうしたのと視線で問いかける。

「本当、嫌いになんかなれっこないし。」

「え?」

掴まれたのも唐突なら、告げる言葉もやっぱり唐突で。

上体を屈めて顔を近づけてくる仕草にも、都倉は背凭れに肩を預けてひどく無防備だった。


『嫌いになりませんから。』


まだ周りが、疑念とわだかまりに溢れていた頃さえ、そう思わずにはいられなかった。

理由を問われてもわからないし、ただ、この人だからと思った。

血が繋がっていようが、もう一人の兄だろうが。たとえ、父親の裏切りである愛人の子供だろうが。

嫌いになれるわけがない。むしろ、好きなのだ。


抱き締めたら、どんな感触がするんだろうとか。どんな香りなんだろう、とか。


腕の中にギュッとしたら。キスとかしたら・・・


ああ、やばいなあ、


と、まるで他人事のように苦笑が零れてくる。



「信哉くん?」

僅かに椅子を退いて、窺うように見上げてくる姿勢から、その少し抑えた声色に名前を呼ばれて。瞬間、信哉の表情がピタリと固まった。

笑顔を浮かべる余裕もなくて、身体の奥から熱いものが込み上げてくる。

ドクリと鳴る鼓動に突き動かされるように距離を詰めた。

吐息すら触れ合いそうになる、その時。


「−−−おい信哉、この前頼んでおいた・・・」


二人きりの空間を切り裂くように、別の声が割って入ってきた。

彼の唇から零れ落ちた音に反応したのは、どうやら一人だけではなかったらしい。

俊介が、手元のカルテに視線を落したまま近づいてくる。

そうして視線を上げたところで、今気づいたというように二人を見やる表情には動揺など見受けられず。

信哉は、今凄くいいところだったのにっ・・・と悔しそうに項垂れた。


「なんだ?」


何食わぬ顔で声を掛けるのとは裏腹に。俊介の眼差しは、脱力したままにデスクへと落ちる二つの手に冷たく注がれていた。

信哉の手からわずかに覗く彼の指先に、胸がもどかしいほどに苛立った。


そしてその視線に気づいていたのなら無駄に怖気づいて慌てて手を離した信哉だっただろうけれど。

気づかぬ信哉は、せめてこのささやかな感触だけでもというように都倉が立ち上がるまでずっと、手の中にしっかりとその手を握り締めていた。



「それじゃ、ごちそうさま。」

残ったお茶を飲み干して、ほんの少しの笑顔を向けられる。

握り締めていた手をしばし名残惜しそうに見下ろしていた信哉は、

「あ、うん。また来てよ。」

目の前に差し出された笑顔に気分を急浮上させて、だらしなく口元を緩める。

あくまでも仕事で来ているんだということも忘れているような明るい口調に、都倉の顔には呆れたような苦笑が零れた。






***






二人が親しいのはわかっていた。

彼の真意がどこにあるのかもわからず、ただ疑念と先入観だけをむき出しにしていた自分と違って。弟は自分よりもはるかに大人であり、何より彼を知っていた。

そんなことはわかっているはずだった。







「まだ帰らないのか?」

静まり返った深夜の医局に低く落ち着いた声が響いて、デスクへと向かっていた都倉は訝しげに振り向いた。

デスクの明かりと水槽の青白い光りだけがぼんやりと浮かぶ室内に、長身の身体が姿を現す。

「泉田、先生?」

目を薄っすらと細めて相手を確認すると、小さく首を傾げた。

「どうされたんですか?」

「今日は患者の容態も安定しているんだろう?」

こんな日こそゆっくり休んだ方がいいと、デスクの上に片手を付いて彼の手元を上から覗き込む。

「それをいうなら、先生も、でしょう?」

無遠慮な動きでカルテを取られ、小さな溜息が零れ落ちる。

すかさず取り返すような余裕のない態度は見せないが、ツイッと見上げてくる視線は、返してください。とはっきりと告げていて。

自分の態度の所為とはいえ、あの時見た雰囲気とは違う、どこか見えない壁を作っているような空気に黒い感情が胸に渦巻いた。


同時に、自分はこんなにも身勝手な人間だったのかと腹の底で嘲笑う。


それでも胸に沸く想いは、既に抑えられないところまで来てしまっていた。


同じように並んだ二人。

けれど背後から見たそれは、あまりにかけ離れているだろう。



『信哉くん?』



そう、呟いた彼の声色だけが耳鳴りのように鼓膜に張り付いていた。





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