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「都倉先生?」

医局のデスクに向かったまま振り向く気配のないその背中を不思議に思って、信哉は再度声を掛けてみた。

反応が無いことが気になって少し焦って近づいてみれば、やっとわかったその原因に信哉は珍しいなと驚く。

午後の日差しが医局を照らす、穏やかな時刻。

軽く頬杖をついたまま、彼は静かに眠りについていた。

(昼寝とかするイメージ全然なかったけどなあ。)

はじめて見る一面に思わず口元がにやける。

力の抜け落ちた肩が普段の張り詰めた雰囲気を柔らかなものにしている。

けれどそれも、つかの間。

覗き込んでいた寝顔が苦しげに眉を顰めるのを目にしてしまえば、咄嗟にその肩を揺すっていた。


それ以上苦しむ顔は見たくなかったし、させたくもなかった。



「せんせ、都倉先生!」

「・・・ん・・・っ」

力を込めて呼べば、ふっと瞼が持ち上がり、中から虚ろな眼がぼんやりと顔を覗かせて宙を彷徨う。

「あ、ああ・・・悪い・・・」

信哉の姿を視界に捉えると、ギクリと表情が揺れた気がした。

驚いたのかとも思えたけれど。しかし何かを隠すように片手で顔半分を押さえた仕草に思わず身を乗り出した。

「何、先生、もしかして調子悪いとか?!」

午後の陽気に誘われて・・・というには、よく見ると顔色があまりよくない。

熱があるのかと手を伸ばしかけるが、するりとその手を避けるように都倉が席を立った。

そんなことないよと、手元の医学書やカルテを片付けはじめるけれど、信哉と視線を合わす気配すらない。

ポーカーフェイスが余計に怪しい。


「だったら、触らせてくれてもいいんじゃないの?」

じと、とした目で横から顔を覗き込む。

「触ったって、楽しくないと思うけど?」

負けじと都倉も何食わぬ顔で纏めたものを腕に抱えて距離を取る。


(いや、絶対楽しいから。)


思わず胸の奥にある感情が即答しそうになった。

いやいや違うだろ、と首を振って、気を取り直してからもう一度、真っ直ぐに都倉を見る。


「都倉先生」

やがて根を上げたのは、意外にも都倉の方だった。

内心の居た堪れなさに抱えた腕に力が篭って、やり場のない視線を軽く項垂れるように俯かせてしまえば溜息しか出てこなかったのだ。

はぁ、と溜息を吐いて。観念したらしい。困ったようにしながらも口を開いた。


実は、昼前から少し頭痛がしていることや、今は少し熱があるかもしれないこと。


「薬はちゃんと貰ってあるし、患者さんのところにはなるべく近づかずにこうして大人しくしてるから問題ないよ」


そういって肩を竦めてみせるが、基本的なことが大きく間違っていた。


「普通そういう時は大人しくするんじゃなくて、休むべきなんじゃないの?」


医学書やカルテ片手にどう身体を休ませてるっていうのだ。


もっともらしい台詞に、「それは、まあね」と曖昧な相槌を打ちながら、


「けどこうしていた方が・・・」


落ち着けるんだと、そう呟いた表情はどこか寂しげに見えた気がした。





***





「患者さんの方は兄貴に診てもらってるからさ、心配ないよ。だから都倉先生はゆっくり休んでよ」

押しの一手で何とか都倉を仮眠室で寝かせることに成功した信哉は、未だ自分が横になることに納得していないような表情を上から眺めた。

「・・・わかったよ。」

諦めたように溜息を吐いて枕に頭を沈めるのを満足気に見届ける。

「・・・で?君はいつまでいるつもり?」

「え?」

室内にある椅子をベッドのそばに移動させようとしている手を一旦止めて、都倉を見た。 迷惑というか居心地が悪そうな視線と目が合う。

半目で睨みつけてくる視線にも気づかぬふりをして。

「あ〜・・・ほら、俺、今日は検査も入ってなくて暇だから。」

軽く頭を掻きながらベッドの脇に椅子を置いて座り込んだ。

明らかに居て欲しくなさそうなオーラを出していたが、信哉だって退けない事情はある。

ずっと感じている不安みたいなものに自然と表情が引き締まった。


「それに、なんか心配だし。」

「ただの風邪だろ?」

「そうだけどさ・・・。」

呆れた眼差しに視線を下ろす。

自分でも大げさだとは思っているのだ。でも、動揺してしまう心は誤魔化せないのだから仕方がない。


いつも以上に影を帯びた瞳や表情が、気になって仕方なかった。


自分まで暗くなりそうな雰囲気に頭を振って、気を取り直すように口元を緩めて顔を上げる。


「それに、この前の健康診断で取った先生のレントゲン見てたらさ、わかっちゃったし。

都倉先生、意外と・・・」


意外と、


『寂しがり屋でしょう−−−?』



続けるはずだった言葉は、声にはならず。かわりに、胸の奥へと岩のように落下した。





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