「まったくっ!もう私は帰るぞっ!」 人通りがほとんど無いとはいえ、道端でキスしたのがかなり恥ずかしいのか、久美子は顔を赤くしながら 誤魔化すように強気な口調で隼人に背を向けた。 その姿に意地の悪い笑みを浮かべる隼人は、スタスタと歩き出そうとする久美子に手を伸ばす。 「−−−−うわっ!!」 腰に手を回して引き寄せると、彼女の肩に顎を乗せて言った。 「なんだよ。せっかくの日曜だろ?どっか行こうぜ?」 「嫌だ。」 すぐさま拒絶の言葉を口にする久美子に少しばかりショックを受けるけれど、そんなのはいつものことと、 すかさず気を取り直して言葉を続ける。 「予定でもあんの?」 「・・・べつに・・・ないけど・・・」 戸惑いを見せ始めた声に、腰を抱く力が強まった。 予定があろうとなかろうと逃がす気はさらさらないけれど。なきゃないで、強気に出れる。 あっても隼人は強気だが。 「ならいいじゃねーか。腹減ったし、とりあえず飯でも食いに行こーぜ?」 ぎゅうっと一度強く抱きしめた後、腰から腕を離して、今度は腕を掴んだ。 「行こーぜって、私はお金持ってないぞ?」 「あ?金なら俺が・・・・・・あ・・・!」 (・・・俺も持ってねーんだった・・・) 上着のポケットに手を突っ込んで、財布を持っていないことに気がついた隼人は、がっくしと項垂れた。 「じゃっ!今日はこれで・・・」と、乾いた笑みを浮かべながら身を退き始めた久美子を逃がすまいと 引き寄せて、今度は前から彼女の肩に顎を乗せて考える。 お金がないんじゃ、どうしようもない。 取りに帰ってる時間はもったいないし。久美子の実家に行ってしまったら、強引な手段には出れない。 残された道はただ一つしかないが、家には・・・ (・・・親父がいんだよなー・・・) 思い出して、隼人の顔に苦虫を潰したような表情が浮かぶ。 あまり親父とは会わせたくないのが心情だった。 財布を取って戻ってくれば済む話だけど。 たった数分でも、一人で外に待たせておきたくはなかった。今日は、ずっと触れていたい。 お金だって。飯のことさえなければ、大した問題ではないのだ。 「・・・・・・・・・・・・」 人の肩に顎を乗せたまま一人で考え込んでいる隼人に久美子は逃げるのを諦め、 軽く溜息をついて隼人の結論を待った。 グルグルと考えてもベストな答えは浮かばず、思考は次第に愚痴へと変る。 (財布ぐらい持って出ろよっ・・・鍵だって持ってねーし・・・上着だって・・・) 拓が渡してくれなければ、薄着で外を走るところだった。 (あー・・・あんとき拓に頼べばよかったぜ・・・) そう思った時、ふと、拓のある言葉が頭に浮かんだ。 「・・・一石二鳥・・・ってやつ・・・?」 「?」 かなり不本意ではあるけれど。いくらかの妥協は、この際しょうがない。 持ってこなかった自分の馬鹿さに原因があるのだから。 隼人は心の中で決断すると、久美子の腕を引っ張って歩いた。 「えっ?おいっどこ行くんだっ?」 「昼飯代が浮く場所」 「は?」 「・・・あの・・・矢吹君・・・?」 「あ?」 「・・・・・・こ、ここは・・・もしや・・・」 「俺ん家」 「・・・だよな・・・」 連れてこられた場所で、久美子は思わず顔を引きつらせた。 「矢吹」と書かれたプレートのついた玄関。 その向こうに・・・なんとなく想像するのは、学校で見た壮絶なる親子喧嘩の風景。 それだけでなく、拓に初めて会った時に浮かんだ世界が、久美子の中ではすでに確立されていたのだ。 物が飛び交い、罵声が飛び交い・・・。 そしてその中で、あの穏やかで優しい弟君が悲しげな表情で、身を縮めながら生きている。 それを想像するだけで、涙ものだ。 「ち、ちなみに・・・親父さんと弟くんは・・・ご在宅で・・・?」 僅かな期待を胸に聞いてみたけれど、隼人の答えは短く「・・・ああ」。 その顔が明らかに機嫌悪くなったのを見た久美子は、思わず天を仰いだ。 (ごっごめんよ〜っ拓く〜んっ・・・) 意外な鋭さを見せた久美子は、ヒシヒシと感じる嫌な予感に心の中で涙した。 平和な日曜日に、いらぬ波風を立ててしまいそうで恐ろしい・・・。 「わ、わたしは・・・外で・・・・・・」 「いいから、入れっ」 青白い顔の久美子をお構いなしに、隼人は玄関のドアを開けると久美子を家の中へと引っ張り込んだ。 ガチャン・・・と背後で閉まった玄関の音が、異様に久美子の耳には大きく聞こえた気がした・・・。 「なんだっ!もう帰ってきたのかっ!?」 「っ!?」 奥から聞こえてきたデカイ声に、久美子の肩がビクリと震えた。 それはまさしく・・・隼人の父、博史の声である。 「あれ・・・?・・・どうしたんだろ?」 続いて聞こえてきたのは、穏やかな拓の声。 玄関に突っ立ったまま冷や汗を流す久美子の揺れる視界に、部屋からヒョコリと顔を出した二人が映る。 「振られたかっ!?はや・・・と・・・・・・・・・」 「おかえり。そうなの?・・・え?・・・・・あれ?」 豪快な声とともに意地の悪い笑みを浮かべた博史は、笑顔のまま固まり。 不思議そうな顔の拓は、ますます不思議そうな顔をして首を傾げた。 「・・・お、おはよう・・・ございます・・・」 ぎこちない笑みを浮かべながら、久美子はなんとか挨拶をすることが出来た。 数秒後・・・。 「−−−−や、やまぐちせんせいーーっ?!?!」 博史の見事に裏返った声が、響き渡るのだった。 ドカン、バカンと、なにやら騒がしい音が響く矢吹家。 「てめーも手伝えっ!!馬鹿息子っ!!」 「んなのほっときゃいーだろーがっ!!くそジジィっ!!」 博史の怒鳴り声に、隼人はイライラしながらも家の中へと入っていった。 「そんなわけいくかっ!!とっととそこんの蹴ってどけんかっ!!」 「うるっせーなーっ!!」 それはまるでどこぞの工事現場のようである。 この家には近所迷惑っていう言葉はないらしい・・・。 残された久美子はというと。 「すぐに済むと思いますから。はい、お茶どうぞっ」 「ありがとー、弟くんっ!」 玄関で拓と仲良くお茶を楽しんでいた。 「せっかくのお休みなのにごめんな?・・・突然来ちゃって・・・」 「いえ。でも・・・どうして家に?」 「あ・・・うん。なんか・・・昼飯代が浮くとかって、連れてこられたんだけど・・・」 「昼飯?・・・あっ!」 (そっか・・・。お財布渡してあげるの忘れてた・・・・・・) 「どういう意味なんだ?昼飯代が浮くって」 隼人の言った言葉の意味がわからない久美子は、首を傾げて問い掛けた。 拓はにこりと微笑んで、その答えを言った。 「・・・で、出前・・・・・・」 拓からその言葉を聞いた久美子はすぐに帰ろうとしたけれど、それより早くに工事が終わってしまい、 あれよあれよというまに片付けられた居間に連れてこられてしまった。 「あ、あのっ!本当に私のことはいいですからっ!!」 「いえいえっ!是非食っていって下さいっ!先生とお昼をご一緒できるなんてっとっても感激ですよっ!!」 「そ、そうですか・・・?」 異常にウキウキしまくってる博史の姿に、隼人の顔は険しくなりっぱなし。 「ちょっとお前、痛いぞっ!?」 隣に座っている久美子の腕を掴む手にも力が入っていた。 (・・・やっぱりちゃんとお財布渡してあげてればよかったかも・・・) 浮かれながら本人一押しの蕎麦屋に電話をかけてる父に、不機嫌極まりない兄。 拓は、困ったように溜息を吐くしかなかった。 蕎麦を食べ終えた頃、博史が気がついた。 「あの・・・ところで、なんで山口先生が家に?」 今更な質問である・・・。 「・・・えっと・・・な、なんででしょう・・・?」 知らなかったとはいえ、まさか昼飯代が浮くからと連れてこられたなんて言えるわけもない・・・。 チラリと隼人の顔を覗うけれど、相変わらずの不機嫌顔。 蕎麦を食べている時は、さすがに離していたけれど、今また隼人の手は久美子の手を掴んでいた。 博史が話しかけるたびにイライラは募り、もうそろそろ我慢も限界。 明らかに久美子への好意が浮かぶ博史の顔と声がむかついてしょうがない。 話しかけんじゃねーよ!俺のだぞ! 叫びたいことは山ほどあったが、なんとか耐えていた。 「そういえば、拓・・・お前、デートとかっていってなかったか?」 「えっ!・・・えっ・・・と・・・」 突然ヤバイとこに話を振られ、拓は困ったように口篭もると、申し訳なさそうに隼人に視線を向けた。 隼人は気にするなと首を軽く横に振り、久美子はなんて言おうかと必死に考えた。 「あっあのっですねっ・・・えっと・・・で、でででーとっではっ・・・・・・・っ!?」 ギリッと一気に腕に痛みが走った。 困った顔の二人に、目の据わりきった一人。 3人の様子を見た博史は、なにかにピンときたらしい。 「まっまさかっ!!この馬鹿息子が山口先生にとんだ迷惑なことをっ?!」 ドンッと博史が握りこぶしでテーブルをぶっ叩いた。 「なんてヤローだっ!!てめーって奴はっ!!先生になにしくさったっ!あ゛ぁ゛っ!?」 「えっ!?いえっあのっ」 ガッと立ちあがって隼人に向かって怒鳴り声を上げる博史を久美子が慌てて押さえようとするけれど、 隼人もまたバンッとテーブルをぶっ叩くと、ガッと立ちあがって声を荒げた。 「なんだっていいだろーがっ!!あ゛ぁ゛っ!?てめーこそっいい歳こいてっこいつにちょっかいだして んじゃねーよっ!!このっくそじじいがぁっっ!!!!」 「てめーの方こそガキのくせに先生にちょっかいだすなんざーっ笑っちまうぜっあ゛ぁ゛っっ!!」 「んっだとっっ!?もいっぺんいってみろっくそじじいっ!!!」 「あっあのっ二人ともっ!!ちょっとっ!?」 久美子も立ちあがってワタワタするけれど、全然二人には声も届いていないらしい。 どうしたもんかと焦る久美子に拓の声がかかった。 「先生。今は、なにもしないほうがいいですよ」 座ったままの拓はちょいちょいっと久美子の袖を引っ張ると、久美子を座るように促した。 「えっ・・・で、でもな・・・」 「そのうち治まるから大丈夫です」 少し困りながらも笑顔を浮かべてる拓に、久美子は戸惑いながらも大人しく座って待つことにした。 言い合いは次第にヒートアップしていき、手まで出てきたと思ったら、 やはりそこらへんの物にまで手は伸びている。 近くに置いてあったのか、ティッシュ箱やらペンやらノートやら。 足元にあったクッションまでもがブンブンと飛び交っている光景を見やりながら、久美子は問い掛けた。 「・・・い、いつも・・・こんな感じなのか?」 「えっと、今日は居間が片付いてるので、飛び交う物は少ない方ですよ?」 「・・・へ、へー・・・・・・」 「時々パンとかお菓子とか投げたりするんですよね。あとコーヒー溢したり。 そういうのは止めてほしいなって思います・・・」 「・・・そ、そうだよな。食べ物にあたるのはよくないよな・・・うん・・・」 こんな壮絶な喧嘩が繰り広げられてる中にいても、さして気にすることもなく、のんびりのどかにお茶を飲む ことができる拓の姿を見て、久美子は知った。 素直で優しくて穏やかな拓くんが、意外にも図太いということを。 そして思った。 物が飛び交い、罵声が飛び交い。そんな中で、身を縮めることもなく、恐怖に怯えることもなく、 そしてつられることもなく、彼はいつでも穏やかに優しく過ごしている。 久美子は一人、改めて感動するのだった。 3 終 4へ あとがき まだ続きます・・・。次回は、たぶんそんなに長くないと思うのですが・・・ 雰囲気的に少しまた変ってきそうな感じなので・・・。 父博史さんの台詞とかが結構悩みました。 言い争いは、あんなんでよかったのだろうかと思います。また4にも続くので、頑張らなくては。 あと携帯がいつまにやら行方不明ですが、ポケットにしまったことにしておいてくださいませ。 忘れてました・・・。(苦笑) |