動きだした、夏 今年の四月。桜と共に現れた女。山口久美子が3Dの担任になって、四ヶ月。 3Dの沢田 慎の心は、その女、通称ヤンクミのことでいっぱいだった。 女なんて・・・ましてや恋なんて、と思っていた自分が懐かしいほどに。 でも、その恋は・・・片思い。 担任と生徒とか、相手の実家が任侠だとかそんなこと関係ないと思いながらも、男として意識してもらえない年齢や 身分に少しずつ苛立ちを覚えているのも事実だった。 朝、夏の制服の白いシャツに袖をとおした時。 ふいに思ったことが頭の中に渦巻いている。 もうすぐ夏休みだ・・・。 学校に行けば、必ず逢える。週末も休みがあければすぐに逢えると、それほど意識していなかった。 けれど夏休みは一ヶ月以上ある。 今更、夏休みの存在を気にするのも、一ヶ月も逢えないなんて思うのもバカらしいと思いながらも朝から携帯の カレンダーを睨み付けて、夏休みまでの日数と夏休みの日数を数えてしまった自分に苦笑いがこぼれる。 憂鬱な気分でも彼女に逢いたくて、他の生徒達に少し遅れながらも朝から登校していた慎は 次の出来事でその行動をひどく後悔することになるのだった。 「お、おはようございますっ!!」 学校へと続く並木道で、朝からテンションの高い声が響いた。 いつもより高い声と嬉しそうに上擦った声に自分に向けられたものじゃないことも、見たら必ず 嫌な思いをするのもわかっているはずなのに、声を聞いたら振り向けずにはいられなくて視線を向けてしまった。 そこには想像したとおり、自分の頭も心も支配する久美子と自転車にまたがって爽やかな笑顔をした刑事の姿があった。 朝から刑事に逢えたのが嬉しいのか、頬をほんのり赤く染めて刑事を見上げる久美子に身勝手な苛立ちを覚える。 笑顔で楽しそうに話す2人の姿をこれ以上見ることも、立ち去ることもできない。 たとえ視線を逸らしても、彼女の声だけは耳に響いた。 「今日ですか?もちろんオッケーですよっ!!」 「ハイっ!!篠原さんもお仕事頑張って下さいっ !!」 次々に聞こえてくる久美子の声。 飲み会に誘われて嬉しそうに頬を染める顔と、手をブンブンとふりながら刑事を見送る姿が見ていなくても想像できて 苛立ちは高まるばかり・・・。 それでも・・・ 「おっ!!沢田!!おっはよ〜」 と、自分に向けられた声に素早く反応してしまっていた。 でも・・・ 久美子の顔を見た瞬間、心の奥で・・・何かが・・・崩れた・・・。 初めはいろんな顔がおもしろくて。 だんだん彼女の全ての表情がとてもキレイで可愛く思えて・・・。 気づいたら・・・目が離せなくなっていた。 笑顔が見たくて。 いろんな顔が見たくて。 でも、今は・・・・・・。 自分に向けられたのは笑顔だけれど。 「沢田、どうした?」 困惑した顔は、自分をおもって心配している顔だけど。 それは。刑事に向けられていた顔とは全然ちがう。 ・・・教師の顔。 「顔色悪いな。風邪か?」 そんな顔いらないっ!! 俺がほしいのは、そんなっっ!! どす黒いものが、ザワッとわき上がった・・・・瞬間 「大丈夫か・・・?」 と、白くて細い手が伸ばされ触れそうになった時、慎はおもわず音を立ててその手を叩いていた。 「さわ・・・だ・・・?」 戸惑って弱々しい声。 「・・・わりぃ。・・・気分悪いから・・・帰るわ・・・」 傷つけたかもしれない・・・。 でも、顔を見ることなく。慎は久美子に背を向けてその場を立ち去った。 もし、あのまま手が触れたら。 抑えられなくなりそうで・・・。 触れた手を、離せなくなりそうで・・・。 自分は 人間は・・・ なぜ、こんなにも、 欲張りなんだろうか・・・。 初めは、ただ・・・いろんな顔を・・・笑顔を・・・見ていたかっただけなのに。。。 「なんか今日のヤンクミさー、変じゃねぇ?」 昼休み。昼食を食べ終えて、とくにする事もなく教室でのんびり過ごしていた内山は ふと教壇に視線をとられ朝から気になっていた事を呟いた。 「そうそう。なんか朝からボーっとしちゃってさぁ。まあ、変なのはいつもだけどね〜」 と笑っていう野田も、パソコンをいじっていた手を止めて自然に教壇へと視線がいっている。 「・・・教室入ったときいつもよりテンションが低かったような・・・」 2人の言葉に南の頭にも朝のヤンクミが浮かび、思い出した。 「そういや出席もとってないぜ・・・」 朝、いつもの明るい挨拶もなく、教壇に立っても黙ったままの担任をおかしいと思い 声をかけたら急に慌ててそのまま出ていってしまった。 「なんか悩んでんのかな・・・」 ポツリと呟いた内山の言葉とともに、教室内に少しの沈黙が訪れていた。 今朝の事が頭から離れない。 様子がおかしくて体調の悪そうな慎を心配をしながらも、それ以上に手を伸ばしてた時の事を 何回も思い出してしまう。 今までだって、頭を撫でたり触ったことなんていくらでもあるけど、あんな風に叩かれたことなんてなかった。 いつも嫌そうな顔をしながらも手を受け入れてくれていたのに・・・。 はたかれた瞬間、手に少しの痛みを感じたけれど、それ以上に心の奥で突き刺さったような鋭い痛みを感じた。 痛みに一瞬なにが起こったのかわからずにいたけど、遠ざかっていく背中を見つめて気がついた。 ・・・拒絶。 その言葉を理解した時、心に刺さった何かはふかく深く突き刺さり、痛みも深くする。 立ち去っていく背中にも、空席の場所をみたときも ・・・痛くて、痛くて・・・ 「・・・せんせ・・・山口先生っ!?」 「はっはいっ!!」 突然近くで自分を呼ぶ声が聞こえて、ハッとして顔をあげると藤山先生と川嶋先生の姿があった。 「ど、どうしたんですか?お二人も・・・」 「どうしたって」 「それはうちらの台詞や。あんたこそ、帰り支度もせんと、ボーとして」 「残業でもあるんですか?」 「え・・・?」 慌てて時計を見ると、もう下校の時間はとっくに過ぎていて職員室には他の先生の姿はなかった。 「・・・あ・・・すいません・・・」 元気がなく、様子のおかしい久美子に静香と菊乃は顔を見合わせた。 「なんやあんた、朝から変やな?」 「悩み事ですか?」 「・・・いえ・・・」 自分でもなんなのかわからなくて、2人の声にうつむいてしまう。 そんな久美子に菊乃は小さく溜息をついて、 「なんやしらんけど、あんたらしくないで?ウジウジしてるなんて」 「・・・・・・」 確かにそうだ。 気になるなら、訳わかんないなら、逢いにいけばいい。 このままじゃ、だめだって思うのに・・・・・・・・・。 「・・・こわい・・・ときって・・・ありますか・・・?」 「え?」 「動きだすのに・・・声を出すのに・・・こわいって・・・思うこと・・・」 「・・・・・・そうやね。裕太と離れてた時はよう思ってたかな」 逢うのが恐くて、裕太に本当のことが知れて、自分が傷つくのが恐かった。 「川嶋先生・・・でも川嶋先生は動き出せたんですよね。どうしてですか?」 久美子の言葉に、菊乃も静香も吹き出しそうになりながら苦笑いを浮かべた。 なんだろうと首を傾げて見つめる久美子の頭に菊乃は優しく手をのせて頬笑んだ。 「あんたのおかげ。あんたが背中を押してくれたから・・・」 「・・・わたし?」 「そうですよ!山口先生がなにを悩んでるのかわかりませんけど、今のままでいいんですか? こわいままで、いいんですか?」 「こわがって動けないなんてあんたらしくないけど・・・動き出せないならうちらが背中押してあげるで?」 「動き出して傷ついたら、私たちが慰めてあげますよ?」 2人の顔が声がとっても優しくて、その言葉だけで前に歩き出せる気がした。 「お二人とも!!あっありがとうございますっ!! そうですよねっ!!私っがんばってきますっ!!」 逃げてちゃだめだから・・・。 逢いたいから・・・。 そう思って勢い良く立ち上がったとき、おなじみの音楽が突然鳴り始めた。 2へ・・・ |