「・・・・・・・・・・・・」 久美子に背を向けてから、何時間経ったのだろう・・・。 眠りたくて、忘れたくて・・・ でも暗くなる視界に浮かぶのはあいつのことばかり・・・。 特別になれないこと、意識してもらえないこと。 生徒でなければ、学校に行かなければ、逢うことのできない自分。 想いが募って、いろいろな事実が目の前に広がって、あの時のように逃げ出した。 家族への想いは、あいつが、みんながすくい上げてくれたけれど、この想いは自分でも きっと誰にもすくい上げられることはないだろう・・・ 忘れられるさ・・・ くだらない、ちっぽけな感情の一つだ 想いも 欲望も 願いも 痛みも きっと・・・忘れられる・・・ 「はぁ〜・・・やっと、つ、ついた〜・・・」 藤山先生と川嶋先生に背中を押され、勢い良く学校を飛び出した久美子は慎のマンションの玄関についていた。 「お、おもすぎ・・・ちょっと・・・買いすぎたかも・・・だなっ」 顔色の悪い慎を想い、栄養になるもんは何でもとかごにつんだものは大袋二枚もの量になった。 袋を両手に走ってきて、さすがの久美子も息苦しい。 息を整え、気合いを入れて、いざ慎の部屋を目指したけれど・・・ 「・・・・・・」 部屋の前について、ドアの向こうにいるだろう慎の存在を思ったら 急にまた朝の出来事を思い出して、立ち止まってしまった。 またあんなふうにされたら・・・? また胸が痛くなったら・・・? 「・・・でも・・・いかなきゃ・・・そう、そうよ、今が勝負のときよっ!!」 といつものように 「ファイトーーオーッ!!」 と、叫んだ時。目の前のドアが開いた。 「・・・なにやってんだよ」 眠ることもできずに、ただ床の冷たさを背中に感じながら高い天井を見つめていた慎は玄関の向こうから ガサゴソとした聞き慣れない物音が聞こえてきて思わず身体を起こした。 もしかしたら・・・ とおもう心が、勝手に玄関へと足を動かす。 「・・・そ・・・しょう・・・」 微かに聞こえてくる声に、慎の鼓動は強く鳴り響く。 なんでくんだよ・・・。 刑事んとこいくんだろーがっ・・・。 来るな・・・開けるな・・・ と鍵を掛けようと伸ばしたはずの手は・・・無意識に・・・? ノブを掴んでいた。 ドアを開けて、目の前に映る久美子から一瞬に視線を逸らす。 「・・・よ、ようっ・・・気分は、ど、うだ・・・?」 突然ドアが開いて驚いているのか、久美子の声はどもって上擦っている。 「そっ、そうだ!!栄養になるもんいっぱい買ってきたからなっ!!」 そういって久美子は袋を持ち上げた。 その袋に慎はふと疑問を感じた。 「・・・刑事と飲みにいくんじゃねーの・・・?」 「え?なんで知ってんだ?」 「・・・・・・」 自分で声に出して、気がついた。 上擦って沈んだ声も、どこかばつが悪そうに苦笑いを浮かべているのも・・・。 ドアを開けたのは期待していたからかもしれない。 生徒を大事にしてる久美子だから、生徒としてでもあの男よりも自分を優先してくれたと。 でも、ちがった・・・。 暴れるように五月蠅く鳴り響いた鼓動は止まり、高くわき上がる熱も一瞬にして冷えていく。 突然目の前に現れて、 久美子は何故か緊張して慎の顔もまともに見れなかった。 「そんなことより、腹へってるだろ?何か」 ジッとしてられずに部屋の中に入ろうとしたが、慎が久美子の声を遮るように呟いた。 「・・・ふられたんだろ?」 「え?」 「ふられて暇になったからって、調子悪い生徒の家に来るなんてどうかしてんじゃねぇの?」 「なっ!私はただ心配し、ーーーッ!!」 慎のあまりの言葉にカッとなって言い返そうと、慎の顔を見て息を飲んだ。 「お前に心配されたって嬉しくないし、暇つぶしの相手もごめんだ」 自分をみる視線も声もひどく冷たく鋭くて、サァーと血の気が退いていくのを感じた。 「迷惑だっていってんだよ」 息をするのも苦しくて、身体全体がガンガンと痛みで溢れる。 「・・・そう・・・だよな・・・ご、ごめん・・・」 声が掠れて、言葉を口にするたびに身体がふるえた。 「こ、これっ、いろいろ買ってきたから・・・好きなの食べろよ。じゃあ・・・」 痛みに涙が出そうになって、身体のふるえを振り払うようにおもいっきり袋を慎の胸に押しつけて 顔を見ることもできず早足でその場を立ち去ることしかできなかった。 慎は久美子が押しつけていった袋を持って部屋に入り、そのまま閉めたドアに背を預けて 崩れるように玄関に座りこんだ。 「・・・どうかしてんのは俺じゃねーか・・・」 あんなふうに言うつもりなんてなかった。 本当に心配してくれたことも、自分のために買い物をしてくれたことも嬉しいと思いながらも 刑事の存在と久美子の恋心が影を作る。 ただ悔しくて、少しでもあいつの心を自分に向けさせたくて、思いついたことは傷つけることだけ・・・。 ひどいのも、最低なのも、迷惑なのも、あいつじゃない。 俺の心が、あいつへの想いがひどくて迷惑なもの・・・。 沈んでいく気持ちと共に視線を落としていくと、久美子が押しつけていった袋から缶詰が見えた。 「・・・桃缶・・・」 黄色いラベルの付いた黄桃の缶詰。 ラベルにうつる写真の桃はとてもキレイで柔らかそうで・・・。 桃缶を握りしめてジッと見つめていた慎は、ハッと我に返り、桃缶から手を離した。 支えを無くした桃缶は鈍い音をたてて地面に少し転がった。 握りしめていた手はしっとりと汗ばむのに、額や背中には冷たい汗が伝う。 ただの缶詰だけど、キレイで柔らかそうで甘そうと感じた時フワッと久美子の姿が浮かんできてやばいと感じた。 このままこの部屋で桃缶を見つめ続けていたら、なんだか自分が本当におかしくなりそうな気がして 慌てて制服のままの服を着替えて、外へと飛び出した。 慎のマンションから逃げるように走った久美子は、ふと小さな公園を見つけて落ち着こうとベンチに腰を下ろした。 「はぁ〜・・・なにやってんだろ、わたし・・・」 何にも考えずに自分の思いだけで押し掛けてしまった。 「迷惑だと思われてもしょうがないよな・・・」 でも・・・あんな風に冷たくいうことないじゃないか・・・。 「あんな冷たい顔しなくたって・・・?」 冷たい顔。鋭い視線。 出会って最初の頃のように・・・? 一瞬みたあの顔と最初の頃の顔が頭に浮かんでくる。 同じだと思っていた。最初の頃も私を拒絶していたから。 でも、なにか・・・ちがう・・・? 外へ出て、久美子に会うんじゃないかと思って周りを気にしてみたけど、沈みかける太陽とあかく色づく空を見つけて そんな自分がばかばかしく思えた。 丁度、飲食店や店が立ち並ぶ通りを歩いていると、突然名前を呼ばれた。 「沢田くん・・・?」 振り向くとそこには藤山と川嶋の姿があった。 「あれ?沢田、山口先生はどうしたん?」 「・・・・・・」 久美子のことを言われて、先ほどのことを思いだして眉間に力がはいる。 「なに、あんたじゃないの?」 つまらない、と付け加える川嶋に、慎は意味がわからなくて低く呟く。 「・・・なんのことだよ」 機嫌が悪そうな慎の様子に臆することなく、かえって2人はニヤニヤと笑みを浮かべて話し始めた。 「山口先生、朝から元気なかったのよ。ボーとしちゃって」 「そうそう。おまけに篠原さんのせっかくの2人きりのデートも自分から断ったんよ〜」 嫌な笑みを浮かべてどこか探るような顔をした2人にイラつきながらも 大人しく聞いていた慎は、サラリと言った言葉に固まる。 「・・・・・・え・・・?」 眉間にめいっぱい皺を寄せていた慎の表情が変わったのを逃さずに、2人はさらに笑みを深くする。 「おどろきでしょ〜?篠原さんの誘いを断るなんて!」 「だから山口先生のことやから、生徒のことやと思って、あんたとふんでたのになぁ」 「今日の欠席は沢田くんだけですしね〜」 笑みを交わしながら2人は話を続けたけれど、慎は川嶋の言った言葉に頭がいっぱいになる。 『篠原さんのせっかくの2人きりのデートも自分から断ったんよ〜』 ・・・断った・・・? ふられたから、俺のとこに来たんだろ・・・? ・・・デートだったんだ・・・自分から断るなんてあるはず・・・ 「・・・嘘だろ。あいつが断るわけ・・・」 「ホントよ?一緒にいるときに電話がかかってきて、ちゃんと断ってるの聞いたし」 「それに、これからうちらが、山口先生のかわりに篠原さんとデートなん」 「・・・ーーーっっ!!」 慎は言葉を最後まで聞かずに、かけだした。 突然走り出した慎に一瞬驚いた2人だけれど、遠ざかっていく男の背中を見つめ笑顔が浮かぶ。 「予想は大当たりみたいやね♪」 「そうですね♪」 背中が見えなくなると、2人は顔を見合わせて嬉しそうに面白そうに笑顔を交わした。 3へ・・・ |