第一話 出会い



真っ白な雪が降る、それはとても綺麗な日だった。


白く雪の積もる小さな公園は、寂しくて、悲しくて。涙が溢れるほど・・・綺麗だった。


「かなで、帰ろうか?」


そう、優しく手を差し伸べてくれる人はもういない。


皺だらけの痩せ細った手も、背骨の曲がった小さな身体も。しわくちゃで優しげな笑顔も、もう、会えない。


どんなに待っても、どんなに泣いても、もう誰も来てくれない。


切なくて、苦しくて。


凍えるような寒空の下で。真っ白な世界で、俺は、一人きりになったんだ。



でも・・・来てくれる人がいた。



「奏くん・・・。帰りましょう、一緒に。」


そう言って、手を差し伸べてくれる人が。



白くて細い手に真っ白なコート。


どこか儚げで。舞い落ちる雪のように綺麗で。


天使のような、人だった。




・・・天使だと、思った。





その日から・・・彼女が全てになったんだ。





**********





「辞めたぁっ?!」

クラシックがゆったりと流れるホテルのロビーで、一つの素っ頓狂な声が上がった。

気品あるインテリアで統一されたそのホテルは、昼下がりの穏やかな時間を過ごすには絶好のポイントだと有名であったのに。

今はたった一人の場違いな声に、ロビーの空気は一瞬にして張り詰めている。

「辞めたってなんでっ!?いつだよそれっ!?」

怪訝な表情と眉間による皺の数々。軽蔑するような非難の視線。

それらを受けて青い顔で冷や汗を浮かべているフロント係の女性に対し、当の本人は気付いていないというかそれどころじゃないらしい。

男にしては華奢な身体をフロントに乗り上げるように爪先立ちで食って掛かる。

元々少し釣り上がった大きめの瞳はさらにつり上がり、先の跳ねた薄茶色の髪がピョコピョコと揺れていた。

「奏君っ!落ち着いて!ねっ?」

お願いよ、と心底困った顔でフロントの彼女は両手を胸の前で合わせる。

だがそんな願いも虚しく、奏の勢いは止まりそうもない。

「辞めるなんて変だろ!3日前は普通に働いてたじゃないか!?」

けれどバンッと勢いよくフロントを叩いたその時、奏の背後から伸びる一つの手があった。

ガシッと奏の首根っこを引っ掴み、乗り出そうとしていたその身体を後ろに引き寄せる。

細身の身体はあっさりとその手に捕まった。


「久我マネージャー!」

感激したように女性が名前を呼んだ瞬間、奏は顔面蒼白で固まるしかなかった。

まずい人に・・・見つかった、と。

「お客様。失礼ですが他のお客様に、たいへんっ!ご迷惑になりますので、お話はこちらでお願いできますでしょうか?」

これでもかというくらい口の端やら目じりやらを引き攣らせながらも、あくまでも冷静な口調は崩さない。

奏の返事を聞くこともなく、男は細い首根っこを引っつかんだままフロントの奥へと消えていった。



しん、と静かな時が再びロビーを包み込む。

けれど穏やかな昼下がりを害されたと睨みつけていた客達は、やっと元に戻ったことにほっと息吐くことを忘れていた。

可哀相なほどに真っ青な顔で引きずられていく様は、そう、どこか悪戯をして叱られた野良猫のようで。

その姿に誰もが同情せずにはいられなかったからである。





「−−−水島・・・、お前はいい加減、周囲の視線ってものにもう少し気をくばれないのか?」

腕を組み、厳しい顔つきで椅子に座らせた奏を久我は見下ろした。

身を縮込ませながら居心地が悪そうに俯いている奏は、心の中でそっと呟く。

(人の目を気にしていたら何もできないっていうじゃないかっ・・・)

本当は口に出して言いたかったけど、見下ろしてくる視線の痛さに肩を竦めてしまう。

「二十歳になったんだろう?いい加減、謹みくらいは持て。」

確かに今年の春に二十歳を迎えたけれど。

謹みって・・・俺はどっかのお嬢様じゃないっ。

思わずムッとして、不満げに久我を見上げた。

「謹みなんて、男の俺が持ったってしょうがないじゃないか!」

どうせ俺は短気だし、ホテルに迷惑をかけたのは申し訳ないって思ってるけど。

そんなこと考えてる暇なんてなかったんだ。

「そう・・・そうだっ!由梨姉っ!由梨姉どうしたんだよっ!?」

大事なことを思い出して久我のスーツの裾をはしっと掴む。

必死な様子で見上げてくる奏に久我の表情が強張った。

視線を少し逸らし、溜息を吐く。

「真中は昨日で辞めた」

「え?」

思わず、スーツを掴んだ指先に力が篭って、奏は目を見張った。

「う、嘘だっ!だって3日前まで働いてたじゃないかっ!!そんな急に辞めるなんてっ・・・!」

そこまで叫んで、奏はあることを思い出した。


(・・・まさか、あんなことで?)


思い出した出来事と彼女が辞めたという事実を照らし合わせて。

そうした瞬間、奏は言葉を失うしかなかった。


見る見るうちに顔が真っ青に染まっていく。

スーツを掴んでいた指先からは力が抜け、零れ落ちるように離れていった。


何故こういうことには鋭くなってしまうのか。

普段は回りの視線さえも気づかないほどに鈍感だというのに。

久我は、複雑な表情で沈んだその肩を見下ろした。


「べつに、お前の所為じゃない。相手が悪かったんだ」

だからあまり気にするなと、軽く背中を叩く。

気遣いを含んだ優しげな仕草は、いつも奏に安心を与えてくれるけれど。

今はそれだけでは、あまり効果が期待できそうになかった。



守ろうと思ったんだ。

ただ、守りたかった。


傷ついてほしくなかったから。だから・・・なのに−−−。



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