「真中由梨をクビにしてもかまわないんだな?」 あの時と同じように、離れていく奏を繋ぎ止めるために咄嗟に出てきた言葉。 そんな言葉しか吐けない自分が、こんなにも情けなくて悔しいものだなんて思ってもいなかった。 けれど今更、どうなるというのか・・・。 後悔したところで思い知らされるだけだ。 それが現実であり、そうすることで奏を手に入れようとしたのは自分だと。 ずっと、そうしてきた。 利用できるものは利用してきた。 手に入れたかったもの。今の会社を、自分だけの居場所を。 手に入れるために、プライドもお構いなしに自ら捨てることを選んだ『あの場所』も利用してきた。 ・・・ああ、そうだ。 手に入るなら、なんでもいいだろう? 奏を自分のものにできるのだから。 傷つけようが、恨まれようが。なにがあろうと、奏は自分のもの。 手放すつもりは、ない。 痛ましげだった表情が消え失せ、高村の瞳に鋭い光が戻る。 「っ・・・」 鋭く険しい表情に奏の肩が震えた。 揺れる大きな瞳が。あの、どこまでも純粋で真っ直ぐな瞳が、どうしようもなく欲しい。 冷酷ともいえる威圧的な雰囲気が離れていても肌に伝わってくるようで。奏は途端に怖くなってくる。 咄嗟に何かを握り締めたくて、右手で自分の腕を強く掴んだ瞬間、 「・・・奏」 深みのある低い声だった。 すとん、と胸に落ちるようなその響きは、不思議と怖くて怯えていた気持ちを落ち着かせていって。 でも、どうしたらいいかわからなくて、今度は困った顔で立ち尽くしてしまった。 呼んだんならくればいいのに。来てくれればいいのに。 男は、腰に手を当てたたまま、自ら来いというように動こうとしない。 その様に、ちょっとむっとする。 (怒ってるのは俺の方なのに、なんで俺がのこのこ戻らなきゃならないんだ) ここで行ったら、ますます自分がバカで、それこそペットみたいじゃないか。 ムカムカして睨み返せば、 「奏。」 ますます低い声で、早く来いと睨まれて、かなり怖い。 (さっきの傷ついた顔はどこいったんだよっ・・・!) 思わずサッと逸らしてしまった視界に、ふと開けっ放しの車のドアが目に入った。 (・・・あれ、俺のためにあけてくれたんだよな・・・) そう思うと、なんとなく申し訳ない気持ちになってくる。 戸惑うように俯いて、 (・・・むう・・・) 本当は凄く嫌だけど。由梨姉のためには戻らなきゃならないんだし。 せっかく開けてくれたのを乗らずに閉めるのは、なんか寂しい感じだし。 こうしててもしょうがないし・・・。 「・・・・・・」 微妙に言い訳がましいようなことをブツブツと考えながら、奏は男の元へと戻ることにした。 歩いていけば、すぐさま腕が伸びてきて、腕の中に囲われてしまう。 包み込まれるようなぬくもりに、仕方なく戻ったはずなのに・・・ 不覚にも、ほっとしてしまった。 変な気分だと眉を寄せつつも。 思わず掴んだ指先は、自分の服を掴むのよりずっと安心できて、心地がいい気がしていた。 結局スーツは買うことになり、 「ちゃんとその分も働いて返すから」 という奏の頭を撫で、高村は微笑した。 (家まで調べてたのかっ?!) その後、迷うこともなく真っ直ぐとアパートの前へと到着したのには驚いた。 「何かあったら連絡しろ」と名刺を渡しながら、ついでに髪を一撫でして走り去っていく車を見送りながら、奏は溜息を吐く。 (やっぱりそこらへんの野良猫扱いっぽい・・・) でも、自分の立場じゃ何もいえないし。 まあ、いいか・・・ と深く考えることを止めて、手に持っている名刺に視線を落とせば。 そういえば、名前知らなかったんだっけ・・・と今更ながらに気がついた。 社名や住所や電話番号に名前。あと、余白には、記載されているものとは違う、走り書きした携帯番号。 「高村、総一・・・?・・・あ、なんか、すっごい小さな共通点かも」 自分の名前を、よく「そう」と読み間違えられることがあったのを思い出して、 「総一」の「そう」と、「そう」とも読める「かなで」の「奏」 それがなんだか可笑しくて、奏はちょっとだけ笑った。 こうして奏は喫茶店のバイトも止め、高村の会社で働くことになる。 甥だと言えば私服でも大丈夫だとかなんとかいわれて甥にされ。 そして同じ頃、社内では一つの噂話が囁かれることになる。 威圧的なオーラと冷徹で近寄りがたく、いつも厳しい顔をしている社長が甥の前でだけは雰囲気が和らぎ、微笑を浮かべ、 そう、それはまるで大切な宝物を扱っているようにも思えるほどで・・・ 「社長は甥を溺愛している」 という話は、あっという間に社内に広まっていくのだった−−−−。 第二話 はじまり 終 ⇒第三話 ひとりきり ---TOP |