「はーなーせーーーっ!!!!!」 「・・・・・・・・・」 奏がこの会社に来て、もう何十回となるだろう。こうして1フロア全体が硬直するのは。 たとえその姿が見えなくとも、彼のもつ威圧感がまわりに与える影響は凄まじかった。 一人が凍ったように固まれば、その凍った姿を見た者もまた同じように固まる。 ま、またなのっ!? どーして遭遇しちゃうよっ俺っ!? たびたび被害にあってる者達はみな、そう心の中で頭を抱えずにはいられなかった。 それでも殺伐とした会社にならないのは、そこに奏の頑張りがあるからかもしれない。 小さな仕事もいつも一生懸命で。文句の一つも言わない。 あの傲慢さが滲み出ているような存在の社長とは大違いに、健気だ。 それに奏という青年は実に明るく華やかな存在だった。 社長のような大輪の派手さではないけれど、あくまでも素朴で、けれど淡く優しい花のような、そんな雰囲気の子だった。 社内中を彼が駆け回るたびに自然と目で追ってしまったり。さり気なく一言でも声を掛けてあげたくなったり。 それはもう、社内の密かなアイドル・・・いや、マスコット? とにかく皆奏を応援していた。好んでいた。社長の甥だという隔たりもなく、その心に嘘はない。 だが、申し訳ないことに。 「離せよっ!!てかっおろせーーっ!!」 エレベーターの中に引き摺り込まれていく奏を、助けるほどの勇気を持ってる人間はいなかった・・・。 ぶすくれて歩いていくその背後から、逞しい腕はがっしりと細い腰を捕らえて離さず。 ジタバタ暴れて逃れようとすれば、さらに腕を回し上げ、脇に抱えられるようにして消えていく哀れな姿を彼らは涙ながらに見送った。 心の中で、嵐が去った・・・とホッと息ついていることは、当然奏には秘密である。 「お前は・・・、いちいち五月蝿い奴だな」 チッと面倒くさそうな舌打ちと呆れた溜息。 いまだギャーギャーと腕の中で抵抗を止めない奏に痺れを切らしてエレベーターの床に降ろせば、素早く距離をとってそっぽを向く。 「フンッ、アンタが人のこと抱えたりするから悪いんだろ!俺は荷物じゃないんだっ!」 「身軽で細くて手ごろなサイズだがな。片手で抱えられる大きさは面倒くさくなくていい」 クツクツとした笑みに返され、奏はむっか〜として相手を睨みつけた。 こういうところが人のことをバカにして、それこそ動物扱いしているっていうんだ。 でもその片手には、いつの間にやら自分が持っていたはずの服があって。 ・・・こういうところが、大人だとか優しいだとか思うのだ。 それはある意味、目敏すぎて侮れないともいえるが、純粋な奏にはあくまでも自然でスマートな心遣いとしか認識されることはないらしい。 だから困ってしまう。 いつでも横柄で傲慢な態度でいられたら、自分はとことんむかつけるし怒れるのに。 さり気なく優しくされてしまうと、まるで肩透かしを食らっているかのようにうろたえてしまう。 そんな細かいことまで気にしてしまうのが奏の優しい性格であり美徳ともいえるかもしれないが。 それは同時に墓穴掘りと隙見せの悲しい性でもあるのだった。 「だが、少し軽すぎだな。」 むむっと眉を寄せて大人しくなった奏の頬に手が伸びる。 細すぎて、折ってしまいそうだ・・・。と、耳元で低く囁かれ、奏はビクリと肩を竦ませて頬を赤く染めた。 「なっ・・・なんっ・・・!?」 言われた言葉の意図は何だかよくわかっていないのだけれど。 なんだかとっても恥ずかしくて口をパクパクさせて動揺する様は何とも可愛く、抱き寄せる腕に力がこもった。 ぐっと与えられる力に、一瞬にして奏の顔が真っ青になる。 本当に折られそうな恐怖が背筋を駆け抜けたからだ。 腕を捕まれれば、しばらく痺れが治まらなかったり、骨が軋むほどに腕を締め上げられたこともある。 機嫌が悪い時は本当に恐ろしいのだと、ゾッとするほどの鋭い視線と痛みで思い知らされるのだ。 そうしてみるみるうちに腕の中で強張っていく身体に、高村はフッと笑みを零した。 引き寄せたまま、優しく後頭部を撫でる。 けれどやはり腕に抱いたその身の細さが気にかかった。 見た目は少し華奢に思うくらいだが、その身体は思った以上に細くて軽い。 それらは身寄りの無い苦しい生活環境が原因しているのだろうけれど。 それでも普段の血色は悪くなく、頬もこけた様子がない健康的さで、吊り目がちな大きな瞳や明るく駆け回る仕草からは体の弱い印象は受けない。 だが、だからこそ気にかかるのだろうか・・・。 弱くて脆い身体を隠すために元気を装っているような気さえして。 (だがそれは・・・心も同じか・・・。) ロビーで声を掛けるずっと前から、奏の姿を見ていたのだ。 服装が違うのも癇に障ったが、悲しそうに俯く横顔に苛立った。 またあの女を想っているのかどうなのか。 何にしても、その心にあるものが自分じゃないことは嫌でもよく分かっていた。 だからこそ、気分が悪い。 「・・・っ」 取り巻く空気が殺気立ったのを敏感に感じ取ったのだろう。腕の中の小さな身体がビクリと震えた。 身を竦ませて、じっと恐怖が通り過ぎるのを息を潜めて隠れる子供のように、小さくなっている。 けれど指先が白くなるほどに握り締めているのは、彼のスーツで。 ただただ、怯えるように自分に縋りつく様が、高村の征服欲を誘っていた。 一瞬にして、フッ・・・と気配が何かに変わる。 苛立ちでもない。 殺気とも違う。 たぶんそれは、狂気のように暗く、どこまでも深い・・・檻のような。 (愚か、だな・・・) 恐怖が怖くて震えながらも、その恐怖にしがみつく奏が。 奏を腕に抱きしめながら高村は目を細め、口元を歪めた。 愚かにさせているのは自分で。 それ以外許さないのも自分だろうに。 こんな風に、奏の心を自分だけで埋め尽くしてしまいたいと思う。 この腕の中で生きるしかないのだと。 縋りつけるものは自分だけなのだと、思い知らせてやりたい。 暗く歪む意識の中。 「・・・な、なあ・・・?」 けれどふと、場違いのようにぬけた感覚が高村の思考を揺らした。 気づくと、奏がクイクイとスーツを引っ張り、心底不安げな顔で自分を見上げてる。 「・・・お、おらない、よな?」 恐る恐る、窺うように問いかけて、首を傾げて。 おそらく殺気立っていた空気が消えて、余裕ができたのだろう。 怒ってはいなさそうだけど。でもまだちょっと不安で。 息を潜めてるのも我慢できなくなって、問いかけてきた。 奏の思考が手に取るようにわかって。高村は、思わず笑っていた。 「なっなんだよっ・・・!?」 突然、くつくつと小さく声を洩らしながら可笑しそうに笑う高村に、奏は何が可笑しいんだと思ってむっとする。 「いや・・・」 口では否定していても、口元の笑みはなかなか消えそうにはなくて。 高村は自然と溢れていた言葉を口にしていた。 「お前は、可愛いものだな・・・?」 「はあ?」 呆れるくらいに、なんだかただただ、可愛く思えてならない。 世の中こんなに可愛いものがあったのだろうかと思うほどに、そう思う。 愚かだと。 支配してしまいたいと・・・ただそう思うだけの心に、何故かふと、奏は自然にこうして温かな何かを与えては揺らすのだ。 それが何なのか、彼はまだ知らずにいる。 けれど髪を撫でるその手は、優しく、愛しげで。 そして奏は、 (やっぱり俺って動物扱いじゃんっ) 今もって見当違いの場所を爆走していた。 ---NEXT |