「・・・両極端なんだよ、あの変人は!」


さっさと着替えろと放り込まれるように社長室に入れられた奏は、ブツブツ文句を言いながらクリーニングから返ってきた服に着替えていた。

殺されるんじゃないかと思うほどに恐ろしい地獄の覇者になったと思えば、動物愛護に命を掛ける・・・てのは大げさだけど、
大きなその手に惜しみない優しさをのせて人の頭を撫でて髪を梳くのだ。

二重人格かと疑った瞬間もあったけれど。間違いなく人格は一つのようで、それがかえって困惑を強くした。


一体あの男は何をどうしたいのか、さっぱりわからない。


だから結局奏の中では、いつまでたっても「奇人変人の気まぐれ、暇つぶし」としか位置付かないのだ。



着替えを終え、ソファに置いておいたシャツとジャケットを手に取ったところで、社長室のドアが開いた。

「終わったか」

片手でドアを閉め、振り向きざまに確認するように言われて、奏はこくりと頷いた。

高村は片手で器用に持っていた二つのカップをソファ前のテーブルに置くと、奏が腕に掛けて持っているものに目を向ける。

「その服は持って帰れ」

「え?でもこれ会社の・・・」

「かまわないから、持っていけ。」

有無を言わせぬよう奏の言葉を遮り、強く言う。

それでも躊躇っている素振りを見せる奏に苛立たしげに片眉を吊り上げ、

「いらないなら、捨てるぞ」

冷たく見下ろした。

「なっ、なんだよっそれっ!!」

ごみ同然のように見下ろされた服をギュッと腕に抱きしめて、キッと睨みつける。

「失礼なこというなよっ!人をばい菌みたいにっ!!」

「・・・誰がそんなことを言った?」

眉を顰め、怪訝にしばし奏を見据えて、「・・・ああ」と理解したように小さく頷くと、呆れた顔で溜息を吐く。

「そういう意味じゃない」

「じゃあどういう意味だよっ!」

「お前が着た服を他の人間が着るのが、気に入らないだけだ。」

「・・・?」

気に入らないというか、許せない。

今腕に大事そうに抱えているそれに他の人間が袖を通すのかと思うだけで、吐き気がする。

苛ついて、チッと舌打ちしただけでは浮かんだ不快感は治まらず。

高村は言われた言葉の意味がわからず頭を捻っている奏の顎に腕を伸ばすと、無理やり近づけるように掴んだ顎を引き寄せ、唇を塞いだ。

奏の持っていた服が床にすべる様に落ちる。

「っ・・・!?」

驚きに一瞬目を見開いた奏は、ぎゅっと瞼をきつく閉じて高村の身体を押し返そうとした。

けれど離してなどくれるはずもなく。スルリと背中に腕を回され腰を掴まれ、当然のように舌が入り込んでくる。

嫌だ、と咄嗟に歯を噛み締めて阻止すれば、ゆったりとそれは離れた。

「素直じゃないな、お前は」

苦い表情で顔を寄せたまま低く囁く。

「少しは利口になれ」

「っ・・・利口だからっ逃げてるんだっ」

爪先立ちでも必死で押しのけようとする懸命な抵抗など構いもせず、高村は再度キスを落とす。

それは触れるだけのもので。奏は口元を手の甲で隠しながら、高村を睨みつけた。

「離せよっ」

「どこへ行っていた?」

しかし奏の睨みなど気にも掛けない様子で、高村は唐突に問いかけた。

冷たい眼がじっと見下ろしてくる。気づけば、空気が一変している。

「ど、どこって・・・?」

なんだか急に寒気を感じて、奏は思わず身を退いた。

退いたといってもほんの形ばかりで。上体が少し後ろに反れただけだ。

顔を逸らして、少し考える。

(べ、べつに疚しいことなんてないんだから、言えばいいんだよな・・・?)

自分の答えに自信が持てなくて、困惑げに眉を寄せる。

(なんとなく嫌な予感が・・・あぁでも、このまま黙ってるのも恐い・・・)

チラッと見下ろしてくる男の首元を視界の隅に入れて。捻っても到底外れる気配がない背中の腕も嫌でも確認して。

う〜ん、と思い悩むように天井を見上げた後、勇気を持って、目の前の男を見上げた。

勇気といっても、切れッ端程度。両手は男のスーツを掴んでるし、見上げるのもゆっくりおずおず。

「昼、休みに由梨姉に会いにホテルに・・・その帰りに濡れちゃって、さ」

あはは、と少しでも雰囲気を明るくしようと笑顔も交えてみたのだが、

「それはお前の頭が異常だからだろ」

冷たく、言われた。

「な、なんだよ、それ。俺は正常だ!」

はっきりいって、変人には言われたくない!

「持ってる傘も差さずに雨の中を歩く奴は、よっぽどの馬鹿か異常者か・・・」

「っ!?」

含むような言葉は的確に的をついたようで、奏が息を呑んだ。

驚きに見開いた目が次第に陰を帯びて揺れていく。

滲んでいく視界を隠すように、奏は顔を俯かせた。

「結婚の報告でもされたか」

上から、躊躇いもなく言われる。

唇を噛み締めて、

「アンタに関係ないだろっ・・・」

顔を背けた。


−−−・・・ズキン


(・・・っ・・・?)

頭を振った瞬間、こめかみあたりに痛みが走った。

(・・・あ、れ・・・痛、い・・・!)

グラリと揺れて痛みが酷くなると、奏は顔を顰め、指先で額を押した。

でもそんなもの気休めにもならない。

(なんだろ・・・ヤバイのかな・・・?)

ズキズキズキと痛みが増殖していくように頭の中に広がっていく。

「どうした?」

声と共に、スッと手が払われ、額全体に冷やりとした手の平が触れた。

きつく引き寄せられていた体がふわりと自由になって、一瞬痛みも忘れて見上げてみれば、

「熱が出てきたか」

苦々しく舌打ちをして、気難しい顔をする男が見えた。

「・・・ね、つ・・・?」

舌足らずに呟いた奏の体はそのまま、ふら・・・と傾きかける。

再び引き寄せられた時には、奏は思考も働かず、ただ頭が割れそうなほどの響く痛みを感じていた。





「まだ痛むか?」

「・・・痛い・・・」

それになんだかボーっとしてきて、体がだるい。

ぽつ、と呟いて。でも・・・と体を起こそうとするけれど、

「仕事・・・だろ・・・?だい、じょうぶ・・・おれ・・・」

「どこがだ。気になるなら、とっとと気を失え」

と、引き戻される。

すっぽりと奏が納まっているのは、ソファに腰掛けた高村の腕の中だった。

膝に座らされた状態で、男の鎖骨あたりに、ポテ、と頭を寄せて。

「・・・俺も・・・それがいい・・・」

ぼんやりとして、瞼を閉じた。



静かになった奏の顔を覗き込み、高村はそっと息を吐いた。

すぐにでも寝かせてやりたいが、激しい頭痛を感じているらしい奏を動かすこともできず、

もう少し痛みが落ち着くか、寝るか意識を失うか、そうしてから運ぼうと思っていた。

少ししたら運ぶか、と起こさぬようにしっかりと腕に抱いたままテーブルに置かれたカップに手を伸ばす。

軽く口を付けたところで、


「・・・声が、するんだ・・・」


微かな声がした。


顔を覗けば、虚ろな瞳がぼんやりと揺れている。


「・・・声?」

問いかけると小さく頷きが返ってくる。

寝ぼけてはいないようだが、その瞳は所在なげに力なく宙を彷徨っているように見え、怪訝に顔を顰めた。

何か言うとして。けれど、それより先にまた小さな囁きが零れる。


「・・・笑い声・・・耳の奥で、消えなくて・・・」


だから、雨の音で誤魔化したかったんだ・・・。


祝福を奏でる、笑い声。


なのに、


「・・・俺・・・笑えなかった・・・」


笑おうとしたんだ。


笑わなきゃって思った。


でも、どんなに頑張っても。口元は引きつるばかりで、歪むばかりで。


「・・・笑えるわけ、ないのにさ・・・バカみたい、だ・・・」


悲しそうに、歪んだ頬に涙が零れる。


「・・・でも、やっぱり・・・笑わないとだよな・・・」


おめでとうって言わなきゃ・・・。


ポタリ、ポタリと涙が落ちて、大きな手が、そっと髪を撫でた。


その温もりに、頬をもっと身に寄せて、そっと目を閉じたら。


微かに、音が聞こえた。



それは耳から離れなかった笑い声じゃなくて。

苦しくて、悲しくて・・・恐くて震えてしまいそうな、胸を軋ませる音じゃなくて。



そう、どこか温かい・・・力強い、音。



トク・・・トク・・・とリズムを刻む、心音だった。







少しだけ、泣いても、いい・・・かな・・・?


ここは、温かいから・・・。


笑い声も、しないから・・・。




本当は、笑いたかったんじゃないんだ・・・。



本当は・・・泣いて、しまいたかったんだ・・・






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