暗くて真っ暗な闇がある。


小さくなって。目を瞑って。


たった一つの温かな手だけが、救いだった。


でももうすぐ無くなる。一人になる。


目が覚めても。光を浴びても、もうそこには、いないんだ・・・。


それでも頑張れる・・・?


−−−頑張れる・・・きっと、一人でも大丈夫・・・


だいじょうぶ・・・だから・・・。











奏は意識がゆったりと浮上していくのを感じていた。

無意識にあがる瞼を、いつも、その瞬間を恐れていた。

覚めた先にまだ闇が広がっているかもしれないから。

けれど、今は大丈夫そう。瞼を閉じていても、光を感じられる。

朝・・・かな?

そうしてやっと、うっすらと瞼を上げた。

ぼんやりする視界は闇じゃなくて、ホッとする。

でもふと、違和感に気づいた。

いつも見上げる天井は、たしかくすんだ茶色だったはず。なのに、今見えるのは綺麗な白色。

それになんだか、頭の下が柔らかい。枕は小さくて硬めで、こんな風に頭がすっぽり沈んだりしないのに。

(なんだろう・・・でもこれ・・・気持ちいいや・・・)

ちょっと頭を動かすだけで、ふわふわする。

頭を動かして横向きに寝てみた。頬になだらかで柔らかなものが触れて。

奏はそのまま頬を摺り寄せて、気持ちよさそうに笑っていた。

ついでにもぞもぞと腕を動かして、柔らかなその枕の下に手を差し入れてみる。

やっぱり凄く、気持ちいい。

なんだか気持ちよすぎて、ちょっと不安になった。


どうしよう。もしかしてここって天国なのかな?


「・・・っ」


いやいや、困る。それは困るっ。


ハッとして、奏はバチっと目を見開いた。



「目が覚めたか?」

と、降ってくる声。

一瞬ぽかんとしたまま、奏は低めの椅子に座ってこちらを見ている高村をマジマジと凝視してしまう。

「・・・あ、あれ・・・?」

なんで?と不思議そうな顔をすれば、男の手が音も無く伸びてきた。

「ニタニタ笑ってるかと思えば、真っ青になる。・・・お前は、目覚める時もいちいち面白いんだな」

楽しげに微笑みながら、さらりと優しい手が髪を撫でる。

「・・・っ」

思わずかあっとなって、恥ずかしさに赤くなる頬を隠そうと顔を枕に埋めた。

(なにやってんだよっ俺っ!ニタニタって・・・すごいアホみたいじゃないかっ・・・!)

ううっと、枕に回していた腕に力を込めて、

(あ、そうだ)

また、ハッとする。


埋めていた枕から顔を上げてみた。それは横の長さが、両方から腕を回して、指と指だけを繋げるくらいの大きめの枕だった。

枕というかクッションに近い感じのふわふわ柔らかい弾力でブルーの肌触りの気持ちいい布に包まれている。

「そんなにそれが気に入ったか?」

起き上がって、ベッドの上に座り込んだまま、膝の上に乗せて枕を見つめる奏に高村は不思議そうに問いかけた。

同じ店で部屋の家具を買い揃えた時に「おまけです」などと言われて付けられたものだったのだが。

ベッドの枕元にただ無造作に置いていただけのそれを、奏は寝ぼけていたのか、寝かせるときに自分で引き寄せて枕にしてしまったのだ。

枕を興味深々に見つめながら、撫でたり手で押したりしている姿をしばし眺めて、高村はふいに浮かんだ考えに思わず苦笑していた。

一瞬。なんとはなしに思ってしまった。

数年前から自分の枕元に置かれていたそれは、はじめから、奏のためにそこにあったのでは・・・と。

我ながら、呆れる。

けれどバカらしいと思いながらも、心のどこかではそう確かに感じた自分がいるのも事実だった。

胸に落ちる甘い感情に首を振って、高村は奏の前髪を分け入って、その額に手を当てた。

「熱はだいぶ落ち着いたが。頭痛の方はどうだ?」

「え?」

問われて、奏は枕から視線を外し高村を見た。

「まだ痛むのか?」

気難しい顔で目を細める男に、奏はやっと気づいたようだ。

「うわっ・・・あっ・・・えっと・・・俺っ・・・」

ずさっとベッドの上で後退さると、わたわたする。

キョロキョロ視線を彷徨わせると、自分が物凄い広いベッドの上に乗っていて、物凄いだだっ広い部屋にいて、

そこがまったく知らぬ場所なんだということに気づいた。

奏があと三人くらいは平気で寝られそうな大きなベッドの真ん中にぽつんと座ったまま、数秒の時が過ぎる。

「・・・・・・」

ぼやーんとして、

「・・・あの、ここ・・・どこ・・・なんでしょうか・・・?」

気まずさからか、男の前ではほとんど使いもしない敬語を付け加えて、神妙な顔をして聞いた。

「俺のマンションだ」

「なんでっ!?」

さらにずさっと身を引く。

「・・・お前、まさか自分が熱を出したのも覚えてないのか・・・?」

高村もまた、神妙な顔で問いかける。

確かに酷い頭痛を感じていたようだから、覚えていないほうが幸せなんだろうが・・・。

彼は困惑している奏に簡単に言った。

「会社で倒れて、ここに寝かせておいただけだ。そんなに熱は酷くないようだったしな。」

そう言って溜息を吐き、高村は立ち上がった。

「それだけ俊敏に動けるなら、もう平気だろ。」

奏の頭を軽く撫で、手を離したその時、

「そ・・・そう、なんだ・・・。あっと、えっと・・・ごめん・・・」

少しだけ俯き加減に奏は言葉を詰まらせながらも、小さく謝罪の言葉を口にした。

それから恥ずかしそうに顔を赤くして、

「なんだろ・・・。凄い、10年ぶりくらいなんだ。他の人の布団とかベッドに寝たのって。目が、覚めたのも。・・・だから、」

なんだか、不思議な感じがする・・・

そう、はにかむように微笑んだ。どこか嬉しそうな顔をして・・・。

「・・・・・・」

高村は、奏の頭の上に手の平を浮かせたまま・・・思わず視線を奪われたまま硬直していた。

少し下げれば、触れられる。いやもう、すぐにでも抱き寄せることも、いっそのこと押し倒して手に入れることも出来る。

ベッドの上に座り込み、おそらく奏は気づいていないだろうが、その身に高村のものである大きなシャツを着ている。

首から鎖骨のラインは剥き出しだった。


・・・這い上がる、欲がある。せり上がり、喉元まで埋め尽くそうとする。


ちらつくのは、その体を這う自分の手と涙に歪む・・・


「・・・っ!」

ちらつく欲に呑まれそうになる寸前で、高村は手を自分の元へと戻した。

鳴らしそうになる喉をその手で押さえ、ついでに抱いた熱も押さえ込む。

視線を逸らし、何か耐えるように苦しげな表情を浮かべる高村に気づいて、奏は少し心配そうに首を傾げた。

「どうかした・・・?」

「・・・・・・」

問いかけられ、さらに苦々しく目を細めた高村は、それでも奏へと視線を戻し、顰めた顔のまま見下ろした。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

妙に重い沈黙が二人の間に続いて。

さきに耐え切れなくなったのは奏の方だったが、奏が近づこうと身を動かした瞬間、それを止めるように高村が沈黙を破った。


「・・・かなで、」


「うん?」


「犯されたくなかったら、普通にしろ」


「・・・・・・は?」


言うだけ言って、高村はベッドに背を向け、そのまま離れていく。



彼は理性強い男だった。

まあそうじゃなければ、日々、引き寄せてキスをするだけでは終わっていないだろうけど・・・。






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