男の歩くずっと前方にはダイニングテーブルが見えて、そのわきの奥にはキッチンが少し見える。

奏はその景色をベッドの上で、一人ぽかーんと眺めていた。


(なんだ今の?・・・おかす、罪を犯す?・・・ん?なんだろう、罪って・・・)


高村の結構切実な警告は、まったく通じていないらしい。


しかも、


(普通にしてろって・・・ん?なんだよ?

まさか、さっきちょっと恥ずかしかったけどポロって言っちゃった言葉が気色悪いから止めろってことかっ?!てことはっ!?)


てことは、


(罪を犯す・・・こ、殺す?まま、抹殺?したくなるくらい気色悪いから普通にしてろってことかよ!?!?)


ガーン・・・と沈んで、膝に置いてあった枕に顔を埋めた。


「うう・・・なんだよ・・・そんな風にいうことないじゃないかっ・・・」

ぐすっとショックで涙ぐみながら、奏は枕に頬を摺り寄せる。

まだ出会って間もないけれど。お前だけが俺の味方だ・・・とか、枕に話しかけるしまつ。

やはりずれている。

頭の回転は速いのに、余分に回り過ぎて空回りしたあげく、脱線してるのも気づかずにそのまま回り続ける。

奏の思考はまさにそんな感じ。

でもそれが全て悪い方向に行くわけではない。頭の回転が速いというのは、ちょっとしたことにもよく気がつくということで。

奏はしょぼくれていても、あるものを目に留めて気がついた。

高村が座っていた椅子の脇に小さなサイドテーブルあって、その上にノートパソコンがある。

ベッドの中央らへんにいた奏が椅子の方に近づくと、サイドテーブルと椅子の下に沢山のファイルやら書類やらが一つ二つの低い山を作っていた。

それはたぶん彼がそこで仕事をしていたということで。

近くに置かれた時計を見れば、8時をさしていて。振り返って反対側を見れば、たぶん窓だろうそこにはカーテンが引かれていて、夜の8時だとわかる。


『・・・ここに寝かせておいただけだ・・・』


そう言っていたけれど。

本当は、ずっとついていてくれたのかもしれない・・・。


『アンタには関係ないだろっ』


消えていた記憶が耳を掠めて。奏は申し訳なさでいっぱいになっていった。



ベッドから降りてフローリングの床にペタリと足をつけて、その時やっと自分の服が変わってるのも気づく。

ズボンの裾が長くて引きずってる。だらりと肩を下げれば、服はずれて袖も長い。

なんて情けないんだろう。

自分の仕事も全然できてなくて、沢山の仕事を抱えてる人に迷惑かけて、それなのに他の人のベッドで寝たのが不思議で・・・

ちょっと嬉しかった、なんて・・・。

じわ、と滲んでくる涙を袖で拭った。泣くなんて、もっと情けないじゃないか。

奏は袖を巻くってズボンも折って、ダイニングテーブルの方へと歩いていった。


男の背中が見える。大きな背中。

忙しいのに、それでもそばについていてくれた。目が覚めた後も、気に掛けてくれた。

やっぱりこの人は、自分よりずっと大人で、ずっと優しい・・・。

近づくたびに顔は申し訳なさで俯いていく。そばに立って、

「・・・あの・・・」

おずおずと声をかけて。意を決したようにぎゅっと手を握り締めて、奏は顔を上げた。


「あのっあのさっ・・・っっ?!?!」


が、奏はそこで固まってしまった。


目に映る光景が、あまりに意外・・・というか、信じられなくて。


だって、だってそこには・・・


「・・・あの・・・」


「・・・ん?どうした?」


「・・・・・・・・・」


軽く横を向いた男のその手には、おたま、が!


男の前には、火にかけられてグツグツ音をならす小さな土鍋が!その中には、ご飯が!


それはまさしく、お粥!



・・・レッツ、クッキングッ・・・!



ここまで近づいといて今更だろうけど。背中しか見てなくて、まわりが全然見えていなかったらしい。奏は驚愕していた。

「・・・あの・・・・・・料理、す、するんだ・・・・・・?」

(そういえばホテルの女の人たちが言ってたっけ。男の意外性とかギャップがいいって・・・それってこういうこというのかな・・・?)

「俺が料理するように見えるか・・・?」

なんだか呆れた視線と声が返ってきた。

「え?」

見上げると、なにをバカなことを・・・という感じで見られている。

「でも、それ・・・」

確かに目の前には、鍋の中でおたまをゆったりまわしてる状況があるじゃないか。

指まで指して指摘すれば、真実はあっさりと判明した。

「これは雇ってる家政婦に作らせておいたものだ。」

「かせいふ・・・?」

「ああ。週に何度か昼間いない間に洗濯や掃除をしてもらってる。料理はほとんど外で済ませるから用は少ない、今回は特別に頼んでおいた。」

「な、なんだ・・・そっか・・・」

思わずホッとする。やっぱりこの男が料理してるのは意外過ぎる。

「あれ?でも・・・おいた、って?」

ふと言葉に引っ掛って問いかけた。

さっきから「作らせておいた」とか「頼んでおいた」とかいってたような?

「ああ、それはお前が着替えてる間にな。」

「ええっ?」

サラリと言ったけど。着替えてる時って、俺、べつに・・・なんともなかったよな?

「べつに驚くことじゃないだろう。あの時、沢木からお前が酷くずぶ濡れだったのを聞いて、風邪でもひいた時のために作らせただけだ」

「え、でもそれじゃ俺がもし倒れなかったら?」

信じられないという顔で見上げてくる大きな瞳に、高村はその時、奏が隣に来て初めて表情を引きつらせた。

「・・・・・・さあな。俺が食べるか、明日持っていってお前に食わせるか・・・」

ほんの少し沈黙して。何事もなかったかのようにコンロの火を止めた。

実のところは、どっちにころんでも、連れ込むのにちょうどいい機会だな、などと考えていたことは言わない方がいいだろう。

それに、高村にはそれなりの理由もあった。

「ここで他人と顔をあわせるのは好きじゃないからな。

面倒くさいのと手が回らない理由で家政婦は雇ってるが、顔をあわせたのは仕事を依頼したときだけだ。」

どんな顔だったかも、今では思い出せない。知っているのは電話越しの声くらいなものだ。

いくら奏のためとはいえ、この場所で、この部屋に、他人といるのは不快でしかない。

だからあの時早い段階で電話をし、作ったらとっとと出て行くように言っておいたのだ。


高村の気難しい顔を見上げながら、奏は冴子の言葉を思い出していた。


『社長は、他人に煩わされるのが嫌いなだけよ?

他人をいちいち呼ぶのも、視界でウロチョロされるのも、自分以外に神経使うのさえ面倒な人間なのね。』


『不信じゃなくて、興味がないだけね。』


・・・なんていうか。

興味がないだけじゃなくて、どこか人に対して潔癖な気がする。


(ああ、だから・・・さっきのも気色悪いとか思われたんだ。他人をさけたいのに、嬉しそうに俺が言ったから・・・)

そう思って、でもふと考える。

(あれ、でも俺は・・・?)

疑問に思って。でもすぐに奏は答えを出した。

(あ、そっか。ネコみたいなものだから、いいのかな。

・・・じゃあ時々、ぞっとするような顔で見るのは・・・やっぱり他人なんだって思う瞬間とか、だったり?)


「うーん・・・なんか、ややこしい・・・」


ますますこんがらがった気がする。というか考えると、それだけ渦を巻く気がした。






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