「・・・なんの用だ」

その冷たい声が響いたのは、奏が考え込んでいる時だった。

沈黙を打ち消すようにして社長らしい男が声を上げた。

その声は酷く低く、冷たく。

自分が問われたのかと思った奏は男を見ようとして、顔を向けたことを後悔した。

「−−−っ!?!?」

2秒も刻まぬうちに顔を慌てて逸らす。びしり、と音を立てるように奏は固まった。

なっなななななっ・・・な、なっ・・・なんだよっあれっ!?

いったい、どれだけ冷や汗を流させれば気が済むというのか。

というか流れ出る冷や汗も凍りそうなくらい、今見てしまったものは恐怖の塊だった。

恐ろしく冷たい、不機嫌なんて言葉では言い表せないほどに男の表情は険しかったのである。

自分は今、地獄に顔を突っ込んだ気がすると、冗談じゃなく思った。

氷のように固まった奏をよそに、男と女性の間では何やら淡々とした会話がされているようだけれど。

男の視線は奏から外れる気配はなくて。

ヒタッと、あの地獄のような瞳で見据え続けられていると思うだけで息も出来ない。

もしかしなくても俺・・・とんでもないとこに来ちゃったんじゃ・・・?

少し、後悔しそうになってきた。でも仕方ない。

とんでもないどころじゃないから。

殺されるかもしれない。・・・明らかにそこは尋常ではなかった。

(どうしようっ!由梨ねえっ!)

死活問題にまで発展しそうな展開に奏は心の中で頭を抱えた。

簀巻きにされて海に投げ出されたり、コンクリートに固めて埋められたり、闇の臓器売買の商品にされたりするかもしれない!

個人的には臓器売買が人の役に立つだろうから、希望できたら希望したいけどっ。

・・・てぇっ!!死にたくないよっ!まだっ!!

そう思った瞬間、奏はこれでもかと拳をぎゅぎゅっと握り締めて、駆け出そうとした。

情けなかろうが。どんなに悔しかろうが。まだ、死ぬわけにはいかないのだ。


まだ・・・いくらも生きていない。


精一杯生きて、長生きすると・・・・・・誓ったから。


足に力を込め、踏み出す。


「どこに行く?」

けれど、逃げ出すことは許されなかった。

走り出そうとするのに気づいていた男が奏の腕を掴んだのだ。

強い力で引っ張られ、あっという間に距離を縮められる。

ぐっと腕に込められる男の力に、奏は恐怖からか声を発することさえ出来なかった。

抵抗のできない奏をさらに自分へと近づけて、男の手が奏の頬に触れる。

ビクリと肩が震えて。冷たく厚みのある手と、男の胸板が肩に触れて奏は一層、身体を強張らせた。

男が自分を見つめているとわかっていても。視線を動かすこともできず、奏は真っ青な顔でただ立ち尽くすことしかできなかった。

本当に殺されるんじゃないかと思えば思うほど恐怖が全身を襲って。

次第にその身体が小さく震えだすと、何を思ったのか、それまで食い入るように奏を見つめていた男の口元に笑みが浮かんだ。

その気配に奏は恐る恐る男の顔を見上げてみる。

さっきまで殺気にも似た空気が一瞬でかき消され、男の顔には何故か満足げな表情が浮かんでいた。


(・・・な・・・なんだよ・・・?)

狎れなれしい言葉を吐いたと思えば、地獄の覇者みたいな形相をしたり。

今度は何が良かったのか、不可解な笑みを浮かべていて。

奏は意味がわからないと顔を顰めた。

けれど殺されるのは免れたようで・・・。とりあえずホッと息を吐きかけたそのとき、歩き出した男に腕を引っ張られた。

引っ張られ、どこかしらに連れて行かれそうになっている自分の状況にオロオロしていると、男が秘書らしき女性に声をかけた。

「しばらく電話も繋ぐなよ」

「・・・えっ・・・!」

奏は嫌な予感を感じ、慌てて女性に助けを求めるように視線を向けた。

けれど女性は柔らかな笑みを浮かべて返すだけで。

奏の顔は再び真っ青になる。

「いっ・・・いやだっ・・・はなせよっ・・・!」

足を踏ん張り、引き離そうと腕を揺らして奏は今度こそ抵抗した。

暴れだす奏に、男は面倒くさいというように舌打ちを零す。

「真中由梨のことで話があるんじゃないのか?」

「!」

顔を顰めて言った男の言葉に、奏はハッとした。


そうだ、由梨姉のことで来たんだと思い出すと、奏は大人しく男の腕に引っ張られるようにして歩いた。

けれど、ふと思う。

なぜ・・・自分がそのことで来たことを知っているんだろうかと。

そういえば、なぜ・・・自分がここに通されたのか。

どうして、この男が自分のことを知っていたのか。

今更ながら考えて、奏はある考えに行き着く。


「あっあんたっ・・・―――・・・っ!?」


瞬時に男に訴えかけようとして口を開いた丁度そのとき、部屋の前に来たらしい。

ドアが開かれ、部屋の中に放り投げられるようにして入れられた。

つんのめって転びそうになるのを堪えて、その部屋を見渡せば。

そこには重厚そうな机と深く大きな黒い椅子に、低く広いテーブルと革張りの高級そうなソファ。

壁にはびっしりと本の詰まった本棚やこれまた見るからに価値がありそうな絵画が掛けられていて。

入ったことはないけれど、ここが社長室だと奏がわかるくらいの豪華な部屋だった。

続いて入ってきた男がドアを閉める音を耳にして、奏は勢いよく振り返り、叫んだ。

「あんた、由梨姉をどうするつもりだよっ!!」

ビシッと強く言ってのければ、ドアに背を預けてこちらを見やる男の口元が僅かに釣りあがる。

「由梨姉に何かしてみろっ!!俺がただじゃおかないからなっ!!」

真剣な顔をして、まるで小学生のような台詞を吐いた奏に。

男は口元に拳を近づけ、いくらか噛み殺すように。

けれど、こらえきれなくなったのか。クツクツと笑い声を洩らして笑い出したのだった。







ただ、面白いオモチャを見つけたと思っていた。

釣り上がった瞳で自分を睨みつける奏の姿に、男・・・高村総一は、つい一週間ほど前のことを思い返す。



あの日、自分にはけして向けられることのなかった、その瞳。


ホテルのロビーで騒動があった日。彼は、その場にいたのだ。


元々、あの時行われていた契約は高村にとっては大した相手でも、ことでもなかった。

くだらなく無能な社員が下手に野心なんてものを持って、勝手に契約しようとしていただけ。

契約を潰すついでに釘を刺そうかとホテルに出向いたところで、見つけたのが奏だった。

真っ赤な顔で怒りを露にした目で、男を殴りつけ、そして涙ぐむ女を困ったように戸惑ったように見つめて。

一目見れば分かるほど、その女に向ける瞳は高村にしたら随分とくだらぬ感情を込めて揺れていた。

何故だか、その横顔から目が離せなかった。だが、それと同時に思ったのだ。


あの瞳に映る感情を壊したら、どうなるだろうかと。


あの、真っ直ぐな感情を壊したら・・・。




その思惑通り、奏は自ら彼の前へと現れることになったのだった。



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