「なっ、なに笑ってんだよっ!黙ってないで何とか言えよっ!!」 わけもわからず笑われて、奏の顔が怒りでかあっと真っ赤に染まった。 指を突き刺したまま、キーキーぎゃんぎゃんとわめく様は毛を逆立てたネコのようで。 「知れば知るほど面白いな、お前は・・・」 なぜか関心するように呟かれた。 「おっ、面白いってなんだよっ!?と、とにかくっ由梨姉には近づくなよなっ!!」 「近づくもなにも、あの女に用もなければ興味もないんだが?」 「嘘つくなっ!!」 「嘘を吐いてどうする。・・・だいたい、」 言葉を吐きながら、高村はゆったりと奏へと近づいていった。 「こうむった損害を女一人辞めさせることで全て片付けてやったんだ。」 怒鳴られるいわれはないと思うが? 奏の目の前まで迫りきって、高村は笑みを浮かべる。 こつんと足音を鳴らしただけで、肩をビクつかせて。腰を机にぶつけて逃げ場を失い、真っ青になっていく顔を眺めながら。 かなり悪趣味なことをしているという自覚はある。 けれど、それは自身のせいではないだろう。 これほどまでに思ったことなど、今まで、ありはしないから・・・。 怖がらせて、脅えさせて。追い詰めて。 ・・・そして、壊してしまいたくなる。 「・・・それとも、お前が責任を取るか?」 「っ・・・」 机に手を付き、耳元でそっと囁く。 「契約を取るために費やした経費も時間も。破棄されて被った損害も、」 全て。そう、到底できやしないだろうと、どこかからかいを含んだ声で言われ奏の手にぎゅっと力が篭った。 「と、とって・・・やるさっ!・・・責任も、金もっ・・・」 震える声に少しだけ身体を離し、高村が奏を見下ろせば、じっと見上げてくる視線と目があった。 その瞳は脅えながらも真っ直ぐで。 その奥にある感情を捉えて、高村は自分の心が苛立つのを感じた。 途端に眉間に深いしわが刻まれ、凍ったように視線が冷たく鋭さを増していく。 その表情の変化を目にして、奏は驚いて恐怖に表情が強張った。 なぜ、こんな風に睨まれなければならないのか、奏にはわからない。 「・・・好きな女のためなら借金でもする、か。」 「−−−っ!?」 好きな女、という言葉に、一瞬にして真っ青だった顔が真っ赤になっていく。 その反応が、高村の怒りをさらに煽った。 ぎり・・・と苦虫を潰したような顔で高村は言う。 「借金も結構だが。お前のその幼稚でちっぽけな感情と正義感のせいで失くした相手のことはどう責任を取るつもりだ?」 「っ・・・そ、それは・・・!」 冷たく言われた言葉に、奏は何も返すことができず視線を逸らした。 幼稚でちっぽけで。そう言われてしまえば、その通りなのかもと思ってしまう。 何もできる術などなくて。ただ勝手に助けるだけで。 結局、辞めさせてしまう原因を作ったのは自分なのだ。 助けたいだけなのに。守りたいだけなのに。 どうして、上手くいかないんだろう。 どうしたらいいかわからず、奏は泣きそうな顔で拳を握り締めて俯いてしまった。 悔しそうに唇を噛み締めるのを見つめていた高村は苛立っていた気持ちに、思わず溜息を吐く。 悪趣味に加えて、ずいぶんと大人気ないものだと。 本当のところは、失くした相手などどうでもいいというのに。 契約破棄で被った損害など、実際のところはそう大したものなどありはしないのに。 ・・・あの女への感情が行き場のないことなど、とうに知っているのに。 気に入らないのだ。 大きく、少し釣り上がったその瞳にあの女への感情が写っているのが・・・。 黙り込んでしまった奏にもう一度小さく息を吐き、高村は奏へと手を伸ばした。 くいっと顎を掴み上げ、その瞳を覗き込む。 「結婚する女を想ってたところで何になる。こんな目をしていて、略奪なんてものができるか」 なにを見ていても真っ直ぐな視線に。そんなことできるわけがないと結婚することを知ったとき確信的に思った。 現に結婚という言葉を聞いただけで、その瞳はこれ以上ないほどに大きく見開かれて、困惑気に揺れている。 「けっ・・・こん?な、なんだよ・・・それ・・・」 突然の言葉に、奏はわけがわからなかった。まったく、知らなかったのだ。 「な、なにいってんだよ、あんたっ・・・そ、そんなことあるわけないだろっ?」 信じられないというように奏の手は高村の腕を掴み、揺すった。 「相手がいることくらいは知っていただろう」 「それはっ・・・で、でも・・・」 知っていた。恋人がいるのは。もう、何年か前から・・・。 でも、結婚するなんて、聞いてない。 「う、うそっ・・・」 そんなことあるわけないと頭を振りはじめた奏だったけれど、次に聞こえた言葉に動くこともできなくなってしまった。 「三ヶ月もすれば、結婚して相手の実家がある九州に行くことが決まっている。」 「・・・・え・・・?」 奏の表情が見る見るうちに凍りついていく。 九州へ行く・・・? 離れて・・・行く・・・? 掴んでいた手から力が抜け、腕からだらりと滑り落ちた。 嘘だ・・・。 遠くへ行くなんて・・・。 離れて、しまうなんて・・・。 だって、そうしたら・・・。 俺は・・・ 見上げていたはずの視線は焦点の定まらない、ぼんやりとただ宙を見つめるだけで。 様子のおかしくなった奏に高村は眉を寄せた。 そっと色を失った頬に手を伸ばそうとして。その頬に、涙が流れるのを見る。 ひとりになる? また・・・独りきりに・・・。 瞳を見開いたまま。大粒の涙が頬を流れては、ぽたり、ぽたりと床へと落ちていく。 呆然と。 もう何も映してはいないような瞳を高村は驚いた顔で見下ろし、そして涙で濡れることもかまわず引き寄せられるようにその頬に触れた。 驚くほどに冷たい頬。 フロアで空を見上げていた、あの時の横顔が何故か脳裏に浮かんだ。 遠くを。ただ、空だけを見上げていた瞳は悲しく切なげで。 覆いかぶさるようにして背後に立った時、その身体が思っていた以上に細く、華奢で小さいのだと感じだ。 威勢良く殴りかかっていた様からは想像つかないほどに。 それはただの思い違いではなく、事実なのだろう。 震わせているその身は、やはりとても小さかった。 触れた指先の感触に我に返ったようにハッとした奏は指を振り払い、片手で顔を覆った。 「・・・うっ・・・ふ・・・ぅ・・・」 零れる涙を必死に堪えようとしても、涙はボロボロと溢れ出すばかりで。 止まることのない涙を堪えようとしながら、奏は泣いている自分が悔しかった。 泣きたいわけじゃないのに。泣きたくなんかないのに、涙が止まらなかった。 それが、どうしようもなく悔しい・・・。 本当に、幼稚でちっぽけで、なんて自分勝手な・・・感情なんだろう。 好きな人を守りたかった。大切にしたかった。 ただ、それだけだったのに。 ---NEXT |