「んっ・・・ハァ・・・」

深いキスが終わり、奏は高村の腕の中で忙しなく息を吐いた。

しがみついて。

(な・・・なんだよ、これぇっ)

情けなく泣き出しそうになっている。

足にも腰にも力が入らなくて。

高村に支えてもらえなければカクカクと崩れ落ちてしまいそうな自分の身体が信じられなかった。

すごい速さで心臓がバクバクいっていて。顔が、ものすごく真っ赤になってるのがわかる。

そんな自分を見られるのが恥ずかしくて。奏は高村のスーツに顔を埋めるしかできなかった。

顔を少し寄せて。キュッと指先に力を込めて。

けれど、ふと気がつく。

目に留めたそれに奏はハッとして、慌てて高村から身体を離した。

静かな奏に緩んでいた腕は思ったよりも結構簡単に離れたけれど。

「え・・・あ・・・うわ!」

いまだ足に力が入らない奏はそのまま床にへたり込む様にして座ってしまった。

ペタンと座り込んでしまった自分が信じられなくて、奏は目を白黒させる。

それがなんとも心をくすぐって。高村は軽く笑った。

鋭い光を帯びていた瞳が柔らかな色を湛えて、奏の頭に大きな手が降りる。

「どうした?」

それは、自分でも予想できなかったくらいの、柔らかな声音だった。

「う・・・ぁ・・・」

頭上から髪を梳かれて、自分があまりに恥ずかしくて。奏は真っ赤な顔で口籠った。

「な・・・なんでも・・・ないんだけど・・・、」

もごもごししながら。それでも、自分が離れた理由を思い出して顔を上げる。

彼のスーツに視線を向ければ、気まずそうに、少し申し訳なさそうに眉を寄せた。

「その、あの、さ・・・スーツ、がさ・・・」

「・・・?」

恐る恐る、といった感じで呟く奏を不思議に思い、高村は自分のスーツに目を向ける。

「・・・シワに、なっちゃってるんだけど・・・」

見れば奏の言うとおり。彼のスーツには2、3箇所シワになっていた。

抱きしめている間に奏が掴んでつけたもの。

高村にしたら、それだけ奏がこの腕の中で自分にしがみついていた証のように見えて、

気に障るどころか、妙にゾクゾクとした喜びに近いものが浮かび上がりそうになるのだが。

奏にしてみれば、見るからに高そうなスーツにシワをつけてしまったのが気になるようで身を縮ませている。

小さくなってる奏に苦笑いを浮かべて、高村はスーツに手を掛けた。

上着を手馴れた仕草で脱ぐのをチラリと見やって、奏はなぜか胸が妙にギクリとした。

ババッと慌てて顔を逸らす。

(なっなんだよっ・・・!)

上着を脱いだだけじゃないかっ。と、思いつつも。なんだか落ち着かない。

直感的に感じた、身の危険というやつだろうか。

胸がドキドキと高鳴って。女の人の気持ちなんてわからないけど、なんか自分がすっごく乙女になったような気がしてしまう。

ていうか、乙女なんて言葉が浮かんでくること自体、かなりやばいんじゃないかと思う。

ブンブンと頭を振って、気を取り直すように再度高村へと視線を向けてみる。

掛けるものを備え付けていないのか、高村は脱いだ上着を重厚そうな椅子の背凭れに掛けるだけだった。

それを眺めて、なんだか悔しくなる。

悔しいくらい、男前な顔じゃないか。体格だって、全然違う。

お世辞にも逞しいなんていってもらえやしない細っこい自分の身体が憎らしい。


男らしく、なりたかった。


強く、なりたかったのに。


結局自分は、この小さくて細っこい身体のように、弱いまま・・・。


強ければ、よかったのかな。


もうちょっとでも男らしかったら・・・


由梨姉・・・好きに、なってくれたかな・・・?


そう、暗い気持ちに落ちていきそうになった瞬間、ぐいっと身体が持ち上げられるように立たされた。

ハタッと我に返れば、腰に腕が回っていて、再び高村の腕の中に納まってしまう。

そ・・・そりゃ、腰抜かしていつまでも床にへたり込んでるのも恥ずかしいけど・・・。

だからって、なんでまた抱きしめられなきゃならないんだよ。

しかも今度は腰をがっしりと掴まれて、つま先が地面から少し浮いちゃっている。

いまさっきまで長年のコンプレックスで暗くなっていたのだ・・・。

これじゃあ、力持ちなんだぁっ!なんて感心するどころか、余計に悔しくなるだけじゃないか。

それに、こめかみの辺りをそっと触れたり撫でたりしてくる高村に奏はどうしても思うことがあった。

(・・・なんか俺、バカにされてるっていうか・・・ペットみたいに思われてないか?)

ペットというか、そこらへんで拾ってきた動物みたいな扱いを受けているような気がする。

男が動物に愛情を注ぐタイプには見えないけれど。どこか和んでいるように見える表情が十分に怪しかった。

前にホテルにいたおばちゃんマダムに、

「まあ、子ネコのように愛らしい子ねえ〜」

なんて言われながら頬を撫でられたことがあるから、なおさらそう思えてならない。

紫のアイシャドウが凄いインパクトの、派手なおばちゃんに撫でられるよりは心臓に悪くないけれど。

動物扱いされてるのは結構我慢ならないことである。

「ちょっ・・・もうッ!いい加減離せよッ!!金のこととかっどうするんだよっ!?」

再びキスでもするつもりなのか、ぐっと近づいてきた高村の顔をぐぐーっと手で押し返す。

「・・・金?」

高村は奏の手を引き離すついでにその手を握り締め、なんのはなしだ?と怪訝な顔をした。

「な、なにって、損害のことに決まってんだろっ!」

「・・・・・・ああ。」

そんなことか。という感じでどうでもよさげに呟いた高村だったが、

奏の手がワナワナと震えているのを見て、名残惜しそうに奏を離した。




・・・・ああ?


なんだよっその、てきとうな感じっ!そのせいで俺も由梨姉も大変なことになってるんじゃないかっ!!


もうわけわかんないっ。


ごちゃごちゃしてくる奏にたいし、高村はいたって冷静に重厚な椅子に座った。

「それで?働いて返す気があるのか?」

「もちろんっ!って、あんたが言ったんじゃないか。ものになれって。それって部下になって馬車馬のように働けってことだろ?」

「・・・・・・・・・」

キョトン、と目を丸くするのは可愛いけれど。微妙にずれてる自分と奏の思考に、思わず溜息を吐いた。

おまけに今時、馬車馬なんていうのが・・・以外と・・・これもやっぱり可愛い。


「何をやればいいんだ?やっぱり、おばちゃんじゃないけど掃除のおばちゃんとかか?」

本当は金なんてどうでもいいんだが。

というか腕に抱きしめキスした瞬間から、このまま部屋に連れ込んで拉致監禁まがいに閉じ込めてしまおうとか思っていたのだが。

片手に拳をぎゅっと作って、やる気満々に瞳をキラキラさせるのを眺めていると、

どうにも、思うとおりにさせてやりたくなったりしてしまう。


それに、どう見てもネコのような性格である。


無理やり閉じ込めてもスルリと腕から逃げていきそうで。



それなら、とことん・・・


手懐けようか―――



高村の口元には、たくらむ様な笑みが浮かんでいた。



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