「山口先生、おはようございます。」 「し、篠原さんっ!?お、お、おはようございますっ!!」 その日は。 なんて素敵な朝なんでしょうっ!!と、手を合わせてちょっと可愛く(?)心の中で叫んでいたはずなのに。 朝は珍しく時間通りに目が覚め、通勤途中の篠原さんに偶然ばったり会ったりなんかしちゃったりして、おまけにっ!! 「あの、突然なんですけど・・・今夜、一緒にお食事でもいかがですか?」 それはもう、にっこりと。爽やかな笑顔で誘われてしまったりなんかしてっ!! しかもっ!! 「僕と二人なんですけど・・・どうですか?」 とまで言われてしまったわけでっ!! もうそのときは、志麻ねえさん、八百屋のおじちゃん、その親戚のにーちゃん・・・か、どうかはわかんないけど。 とにかく絶対、写真のご利益のおかげだと心から思ってたのに・・・。 あんなに感謝したのに・・・。 志麻ねえさん。八百屋のおじちゃん。その親戚のにーちゃん。 そんでもって、神様っ!! いったい・・・どういうことなんでしょうか・・・? 嗚呼・・・。志麻姉さん・・・。 こんなとき私はどうしたらいいんでしょうか? もしかしたら人生最大のピンチのときを迎えたのかもしれません・・・。 「・・・・・・なぁ、なに?あれ・・・?」 「さ、さあ・・・?」 学校へと続く並木道でその日四人が目にしたのは、なんとも幸せそうな、というか妙な担任の姿だった。 ルンルンと踊るような軽快なスキップで、時にはクルリと回ったりして。 それはもう、大草原を駆ける少女(?)のように見えなくもないけれど、彼女を知るまわりの者たちには、異様な光景としか見えなかった。 いつになくハイテンションで浮かれまくっている彼女の空気についていけるような生徒がいるはずもなく。 関わり合いにはなりたくないとコソコソとそ知らぬ顔で通り過ぎる者もいれば、顔を引きつらせながらも怖いものみたさにチラチラと様子を窺うものもいた。 もちろん3−Dの生徒も例外ではなく、いつもの4人組もまた、彼女の異常な雰囲気に呆然と立ち尽くすしかなかった。 「・・・季節外れの五月病ってやつ?」 「寝相悪すぎて頭打っておかしくなっちゃったとか?」 野田と南は呆然としながらも、その光景を思い描いてみた。 だらしない顔をして、髪の毛を思いっきり爆発させた久美子がベッドからずり落ちる姿を想像するとそれはもうかなり笑える。 アハハハッ・・・と、二人同時に笑い声を上げてその勢いのまま久美子へと駆け寄っていった。 「五月病ってなんだ?」 久美子に驚き、突然笑い出した二人にビクつき、手に持ったアンパンを食べるのも忘れて未だ呆然と立ち尽くしていたクマだけが心配そうに首を傾げていた。 「もしかしてヤンクミのやつ病気なのか?」 純粋に、ただ心配しているだけなのに。 「なあ、慎・・・・・・・・・・っ?!?!」 隣に立っている慎に視線を向けた瞬間、クマは恐怖に固まってしまった。 クマの視線の先にあったものは、ものすごい不機嫌そうな顔で前方を睨み付けている慎と内山の姿だった。 顔つきだけでなく、二人を取り巻く空気そのものが恐ろしい。 跳ねるように踊るように、花を撒き散らす久美子のいる天国からはるか遠く、一気に花枯れる地獄の世界へと突き落とされたような感覚だ。 視線を逸らしてもなお、ビシビシと突き刺さる不穏な空気に痛いまでの緊張が走る。 (な、なんだっ・・・し、慎が、うっちーがっ怒ってる?!お、俺っなんかまずいこといったかっ?!) あまりの恐怖に冷や汗を流しながらも、一生懸命、危機を脱しようとクマは頑張った。 (あんぱん一人で食ってんのがまずかったのか?い、いや、慎はそんなやつじゃねーっ) パニックを起こしそうな頭を必死に使って、考える。 (はっ!!も、もしかしてっ!!昨日うっちーの弁当のウインナーこっそり一本食べたのがばれたのかっ!!) ちょっと小さめの赤いウインナーがすごく美味しそうで、よそ見している間に食べてしまったことを思い出した。 (かあちゃんが作った愛情弁当だもんなっ・・・。怒るのも無理ねーよぉ〜っ!な、なんで俺はそんな酷いことしちまったんだぁっ!?!?) 「−−−−−−う、うっちーっ!!」 言い訳にしかならないかもしれねーけどっ!もう食っちまったからどうしようもねーけどっ!! お前の弁当があんまり美味しそうだったもんでっ!! つい食っちまったっ!!ごめんっ!! そう誤ろうとしたのだけれど。 「・・・・・・あれ・・・?」 振り向いたときには二人の姿はなく。 「−−−−−−なにやってんだよ、クマッ?!」 呼ばれた声はずいぶん前方で。 「早く来いよ。遅刻するぞ?」 淡々としたその声は、いつものクールなままで。 「・・・・・・お、おお・・・」 さっきのは見間違いか? と、首を傾げながらも歩き出そうとしたクマにふたたび声がかかる。 「・・・クマ。ちゃんと片付けろよ」 「食べんじゃねーぞー。ちゃんと捨てろよー」 呆れたような顔の慎と、ニヤニヤしている内山の姿に訳がわからず何気なく視線を周囲に動かすと。 「・・・あ゛・・・」 足元に塊が落ちているのに気がついた。 恐怖のあまり握り締めて形の崩れたアンパンから落ちた、あんこだった。 「ヤンクミーーっ!」 「おっはよーっ!!」 一人むなしくあんこをどうしようかと思い悩むクマをよそに、先を歩く久美子に追いついた南と野田の二人は彼女に負けじと明るく声をかけていた。 二人の声に二つに束ねた髪をフワリと靡かせて、久美子がクルリと振り返る。 「野田くん、南くん、おっはようー!今日はとーっても素敵な朝ねぇー♪」 愛用のバッグを両手で前に持ちながら、無意識だろうか軽く小首を傾けるという可愛らしい小技をまじえて、にっこりと満面の笑顔で挨拶。 ドキリ。 そのままクルクルと回りながら、鼻歌まじりにスキップで先を進む久美子の姿に二人の顔つきが変わる。 ドキン。・・・ズキリ。ズキズキ。 途端に軋む胸が、一つ。二つ・・・。 その後方で、さらに酷くギリギリと奥歯までもが軋むほどの苦痛を抱える心が一つ。二つ・・・。 「・・・南ー。なんかさー俺、分かっちゃったかも」 「俺もわかった。・・・なんかすっげー、嫌な予感ってやつ?」 予感というか、確信だけど。 できたらそうでなければいいのに・・・。 途端に二人の顔が引きつる。 彼女をこんなにも浮かれさせるものなんて。 少女のように可愛いくらいの笑顔を作らせるものなんて。 一つぐらいしか浮かばない。 「ヤンクミさーっ!もしかして・・・」 「あの刑事にデートに誘われちゃった、とか?」 どうしようもないくらいしかめそうになる顔をなんとか笑顔で頑張った。 二人の言葉にクルリ、ピタリと止まって、かぁぁ〜っと一気に真っ赤に染まる彼女の顔。 「で、で、デートだなんてっ!!そんなんじゃないわよーっ・・・た、ただ二人っきりでお食事でもどうですかぁって」 モジモジしながら喋りだす高い声。 ギリっと、嫌な音がひどく大きく胸に響く。 「それって思いっきりデートじゃんよっ」 「どうせまた事件とか起こってドタキャンされんじゃねーの?」 もう笑顔なんて作ってられるかよ。 思いっきり不機嫌な顔で、はき捨てるように言い放つ。 けれどそんな男の奥に隠れた気持ちに彼女がわかるはずもなく。 ムッとしながらも、すぐに何かを思い出したようにバッグの中から写真らしき紙を一枚取り出して、自慢げに笑った。 「その心配はないぞー!!なんたって今日の私にはこのどんなお札よりも!どんなお守りよりも負けない!すんばらしい志麻ねえさんがついてるんだからなっ!!」 フフンっと胸を張って、ビシッ!!と二人の目の前に突き出される写真。 優雅に美しく微笑む大女優岩下志麻である。 「・・・岩下志麻の生写真なんてあったんだな」 「ふふっ・・・お前らも欲しいだろうがこれだけはあげられないぞぉー」 「いや、べつに欲しくないし」 「俺も。でさー、どしたのよ、それ。・・・まさかあの刑事からもらったのか?」 「そんなわけないだろっ!昨日帰りに近所の八百屋のおじちゃんがくれたんだよ。なんか親戚の人にこういう写真集めてる人がいるとかで」 「ふーん・・・。でもさー・・・それ持ってるからって事件が起きないなんてことはないんじゃないの?」 「ただの生写真じゃん、それ」 「おまえらーっ!!志麻ねえさんをバカにするんじゃなーいっ!!」 「バカにしてねーだろっ」 「当たり前のことをいったまでだぞーっ」 「う、うるさいっ!!とにかく志麻ねえさんは、すごいんだっ!!」 「「わけわかんねーって」」 久美子の岩下志麻好きっぷりに、二人はそろって深い溜息をついた。 その奥で、いつもの彼女に戻ってくれたことに何故かすごくホッとしている自分がいるのを感じながら。 けれどその後ろの二人には、もうそれだけでホッとできるような心の余裕なんてなかった。 ギリギリと締め付ける痛みも、情けないくらい泣きたくなる衝動も。 もう耐えることは、できそうにない。 ただ真っ直ぐ。彼女だけを見つめながら、心に決めたのは・・・。 「それじゃぁ、お先に失礼しますっ!!」 待ちに待った放課後。 今のところ、いつものような3D内での事件も起きていないし、キャンセルの電話もないことに職員室をあとにしようとする久美子の顔には嬉しそうな笑顔が浮かんでいる。 「はぁ・・・なんで山口先生だけなんですかぁ〜?私だって今日空いてるのに〜・・・」 久美子の笑顔をチラリと横目に、机の上に肘をついて藤山先生が大げさにため息をついた。 「まぁまぁ、いいじゃないの〜」 ガッカリというかショックを受けたような藤山先生とは対照的に呑気にお茶を飲む川嶋先生は軽く笑顔を浮かべて楽しんできなと小さなエールを送る。 が、ふとなにかを思い出したように首を傾げた。 「あれ?そういえばあんた、取りにいったの?」 「え?なにをですか?」 川嶋先生の言葉に、今度は久美子の首が傾く。 「教科書とか全部一式教室にそのまま置きっぱなしにしてきちゃったって、授業終わったあといってたでしょ?」 「・・・・・・・・・・あっ!!」 少しの間のあと、久美子は思い出した。 6時限目の授業のとき、この後デートがあることに浮かれすぎて教科書も持たぬまま職員室に戻ってきていたのだ。 「あ、あ〜〜っ!そ、そうだよっ!!わ、私、急いで取ってきます〜っ!!」 出席簿やらプリント用紙なども全部一緒においてきてしまったことも思い出して、久美子は大慌てで職員室を出て行った。 約束の時間にはまだ余裕があったけど、会う前にすることは沢山ある。 いつものように、みんなで飲みに行くのとは違うんだから。 そう思うと、廊下を駆けながらも顔がにやけてしまう。 「・・・って、教科書だよっ!・・・えっと、6時限目は3Dだったんだよな」 危うくまた忘れてしまいそうになって、久美子は慌てて3Dの教室へと向かっていった。 放課後の3Dの教室は、生徒がいるときとは大違いでとても静かなものだ。 ドアを開ける音も、やけに大きく響いた。 中に入り、初めに目に行くのはやっぱり生徒たちの座る席のほう。 いつも何かしらトラブルを起こしてくれる連中だが、今日は何事もなかったことに優しい笑顔が浮かぶ。 このあとの約束のこともあるけど、やっぱり生徒達が一日平和に過ごせたことも嬉しく思う。 「そういやー・・・今日はやけに皆静かだったなぁ・・・?」 朝から篠原さんとの約束のことで頭がいっぱいで、何も起きなかったことに安堵していたけど。 ふと彼らのことを思うと、いつもと様子が違っていたような気がする。 表立ったことはなくても、何かあったんだろうか? そう思いつつ、忘れた教科書が置いてある教卓のほうへと視線を向けると 置いてあるはずの教科書がないことに気がついた。 「あれ?」 不思議に思い、手に持っていたバッグを机の上に置いて教室内を見渡しながら足を進めた。 それらしいものはどこにもないし、誰もいない・・・と、思っていたら。 教卓を通り過ぎようとしたとき、視界の横のほうに何かあるのに気がついた。 「−−−−−−−・・・・・・うわっっ?!?!」 突然気配を感じて、思わず声を上げながら横を向くとそこにいたのは・・・。 「沢田っ?!」←クリックで次へ。 |